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「小沢一郎が、間違っても「脱原発」論者などではない」と、元から新自由主義者でもある彼を、今は目覚めたように批判できるようになった中々に賢い人のブログ。
来年の政界再編と小沢氏の解党に至る暗闘もしっかり視野に入っているのも、10年先でも生き残れそうな予感がします。
その意味で、管理人をはじめ、ここ阿修羅の政治水準とは次元が違います。
小沢との「融和」には熱心でも国民には目を向けない野田佳彦(きまぐれな日々)
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野田佳彦新首相の組閣は異様に遅いけれども、世間一般に論戦が公開される党の代表選挙が異様に短くて、密室で行なわれる組閣が異様に長いとは、民主党は一体何をやっているのだろうか。野田佳彦が率いるグループ「花斉会」が「百花斉放」からとられたネーミングだとは、実は今回の代表選で初めて知ったのだが、今回の代表選はその名前とは正反対の経緯で進んだ。
私は財務大臣と経産大臣の人事に注目しているのだが、産経新聞は岡田克也財務相との新聞辞令を出している。だがまだわからない。今日のエントリは、本来は野田内閣の組閣を叩くつもりだったが、こんなに組閣が遅くてはお話にならない。これぞ「政治空白」だろう。
野田佳彦の人事について、「党内融和」だの「挙党一致」だのという言葉を用いてこれを評価する向きがある。しかし、私にいわせればそんなものは全く評価の対象にならない。「党内融和」と言ったって、金子勝に言わせれば、
野田新総理の党人事は、輿石幹事長、樽床幹事長代理、平野国対委員長、前原政調会長です。あ〜松下政経塾と小鳩連合です。これが挙党体勢だとすると、政策能力が低すぎて青ざめてしまう。内閣の構成も獲得票数のバランス人事だと、どじょう内閣どころかメダカの学校になる?
というものに過ぎない。野田佳彦の党人事について、「リベラル・左派は冷遇された。小沢『サハッ』は厚遇されたけど」と評した人もいたが、そもそも民主党の「リベラル・左派」などいまや絶滅危惧種になっていて、代表選で候補者も立てられないのだから仕方がない。ましてや野田佳彦はネオコンにしてネオリベだ。そんな野田にとっては、幹部の旧自由党系議員には右派が多い小沢派との相性は決して悪くない。
何よりふざけているのは「輿石幹事長・樽床副幹事長」の布陣であり、高齢の輿石東はあまり表に立たず、樽床伸二を大役に立てる機会が増えるだろうという。樽床といえば昨年6月の民主党代表選で菅直人と争った男。その時、あまりにひどい新自由主義の主張をしているのを聞いて、こんな人間を推す小沢一郎は何を考えているのかと思ったものだ。それ以前には小沢一郎に容認的な部分を残していた当ブログが、以後小沢一郎を「国民の生活が第一」のスローガンを除いてほぼ全否定するに至ったのも、小沢の樽床擁立に激怒したことがきっかけになっている。
で、その樽床伸二が矢面に立つなら、小沢一郎との折り合いも悪くない樽床自身が幹事長でも良さそうなものだが、なぜ輿石東が幹事長になったかというと、それが小沢(派)との取引だったからだ。言うまでもなく、小沢一郎は人事権と金庫を押さえたかった。前原誠司は拒否して代表選に敗れたが、野田佳彦はいとも簡単に要求をのんだ。前回のエントリで、私は
野田佳彦が幹事長に誰を指名するかも注目されるところだ。まさか小沢系の人物にはならないとは思うが、中間派の人物が選ばれれば、それだけでも小沢一郎にとっては成果だろう。
と書いたが、その時点でマスコミが報じていたのは「小沢派が輿石東の幹事長就任を要請している」ほか、岡田克也と旧民社の川端達夫の計3人の名前だった。代表選直前の8月27日付朝日新聞社説には、
前哨戦では、盛んに「挙党態勢」「党内融和」という言葉が聞かれた。震災後も繰り広げられた党内抗争は、いい加減にやめようという響きもあって、一定の説得力を持つ。
だが、「挙党一致」に込められた意味が、政策の違いには目をつむろうということなら、あまりにも無責任な対応だ。
まして、小沢グループにカネと公認権を握るポストを譲るというのなら、有権者の支持をさらに失っていくのは避けられないだろう。
と書かれていたのだが、民主党主流派御用達ともいえる朝日新聞がもっとも危惧していた事態が現実のものとなったのである。これは、昨年、前原誠司と野田佳彦が菅直人を取り込んで起こした「クーデター」と同様、小沢一郎陣営が起こした「クーデター」と言っても過言ではないとさえ私は思うのだが、なぜか世の「政治ブログ」を見ていると同様の捉え方をしているところはほとんどない。「代表選直後から言われていたし、ごく自然な人事なのではないか」との評価まであったのにはびっくり仰天した。小沢派がおいしいポストを手に入れた一方で、仙谷由人が干されそうになっているのも、上記の人事が「クーデター」であると考えれば納得できる。まあ仙谷由人になど間違っても同情はしないけれども。
マスコミ報道では輿石東が固辞したなどと伝えられたが、そんなものは6年前に森喜朗が「干からびたチーズ」と言ったのと同じで芝居ですよ、芝居。マスコミには「干からびたチーズ」と言っていた森喜朗が舞台裏でやっていたのは、郵政総選挙での小泉圧勝を決めた「刺客作戦」だった。これは亀井静香や平沼赳夫、それに野田聖子といった「反小泉派」にとってはまさに青天の霹靂だったが、小泉陣営は作戦を練りに練っていたのだった。
表で海江田万里を立てながら、裏で野田佳彦にも食い込む「二正面作戦」を行って戦果を得るとは、このところ連戦連敗だった小沢一郎の「剛腕」もまだまだ見くびってはならないと思った。今回の代表選で小沢一郎は「連敗」を止めた、そう私は解釈している。一方で、残念ながら真の敗者は「脱原発派」だったと思うが、これに関しては『kojitakenの日記』を参照されたい。
今回の代表選は、これまで「一枚岩」に近かった、いわゆる「小沢信者」の間にも亀裂が走る結果となった。「小沢もやっぱり貧乏人の味方ではなかった」として離れた陰謀論系・反「日共」系の左翼もいれば、「小沢さんが後ろ盾になる野田政権は長期政権になる」とする右派系の信者もいるといった具合だ。だが、彼らもおそらく来年生じるであろう「政界再編」騒動で小沢一郎が率いるグループを支持する側に回るのだろうと私は予想する。
何度同じような騒ぎが繰り返されるのだろうとうんざりする。田中角栄に対して起こした謀反(1985年)に始まって、佐川急便事件の翌年、1993年の「政治改革」騒動と小沢らの自民党離党・新生党結成、総選挙での新進党敗北を受けた翌年、1997年の新進党解党・自由党結成、1999年の自自連立、2000年に「小渕恵三首相を殺した」とまで言われた連立離脱、2003年の民由合併。2006年に小沢一郎が民主党代表に就任した時には、これで小沢一郎も最後の勝負をかけるのだろうなと思ったが、まだ続きがあったというわけだ。
今朝の朝日新聞「オピニオン」欄に、海江田万里の長文のインタビューが出ている。「傀儡と言われても構わない」と言い切った海江田は、TPPも原発も、持論と違う政策を口にしなければならなかった、という朝日新聞記者・刀根舘正明の言葉に対して、
私が一番やりたかったのは経産相としてはTPPであり、原発問題ですけれど、総理大臣になればその優先順位は下がるんです。
などと言い訳ともつかない言葉を発している。と当時に自身が今なおTPP推進論者であり、原発推進論者であることを素直に認めている。小沢信者の中には、海江田はもともとは「脱原発」論者だったが、菅内閣の経産相としてやむなく「原発の守護神」の役割を演じたのだろう、などと言っている人間もいるが、そうではなく「原発推進」は海江田自身の政策だったことを自ら認めているのだ。
こんな人物を「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」といういつもの論理で担いだ小沢一郎が、間違っても「脱原発」論者などではないことはいうまでもない。森ゆうこや川内博史も小沢一郎同様、間違っても「脱原発」論者ではない。海江田万里を担いだのがその証拠だ。彼らの「脱原発」論は、国民を騙して支持を得るための方便でしかない。
そんな小沢一派に野田佳彦は金庫の鍵を渡したのだが、もちろん野田佳彦自身も原発推進論者である。
ことここに至っては、民主党とは「第二自民党」以外の何物でもないことは誰の目にも明らかだろう。「リベラル・平和系」を標榜する人たちは、一刻も早く民主党を見捨てた方が良い。自民党でも民主党でもない政治勢力を築いてそれを大きくしていかない限り、日本の政治が良くなることはない。
だが、その障害となるのが小選挙区制だ。そして、この制度の成立をゴリ押しした張本人の一人も、やはり小沢一郎だった。
いまや自民党と同様の「財界の政党」となった民主党の「党内融和」なんかを評価するのは止めようよ。民主党の「党内融和」とやらは全然「日本に住む私たち」の方を向いてないじゃない。声を大にしてそう言いたい。
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