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*******この国が独裁に支配されていると言ったら、反発するひとは多いだろう。軍事政権が成立しているわけではないし、選挙で選ばれた政治家が権力の座にあり、マスコミもまた報道の自由を国家に保障されているではないか、というような反論が出ても、ある意味で当然かもしれない。だが、むろん、そうであるからこそ、この「一党独裁と、それ自身でもありそれを支えるものとしての情報帝国主義」という問題意識を、あえて提出しているのである。古典的な形式とは隔たったものであるがゆえに、この独裁は強固なのであり、民衆に革命の、あるいは改善の意欲をも起させない。端的に言ってしまえば、これは、民主主義を十全に手段として使うことで成りたった、民主主義を否定する支配の完成、すなわち独裁なのである。この、「民主主義を手段として成立した独裁」というはなはだしい逆説をこそ、なによりも認識しなければならない。
岡庭昇著「かくもさまざまな言論操作」より**********
野田佳彦が民主党代表に選出され、総理大臣となった。海江田万里との争いは不毛以外のなにものでもなく、結果、菅直人よりもさらに悪い、おそらく憲政史上最悪の部類に属する総理大臣が誕生したことになる。この野田に比べれば、安倍、麻生、はたまた小泉純一郎でさえもひょっとしてマシだったかもしれないとさえ思う。では、何がそれほど最悪なのかと言えば――これほどまでに露骨な霞が関独裁の傀儡はこれまでいなかったという意味で最悪なのである。
今日の政局を見るためには、時計の針を小沢一郎が民主党の代表に就任した2006年の時点に戻す必要がある。この時点の民主党は前原体制が引っかかった偽メール問題で大揺れに揺れて窮地に追い込まれていた。この危機を救ったのが前原の後任となった小沢一郎である。小沢は直後に行われた千葉の補選に勝ち、以後、着々と党勢を回復させ、2007年の参院選挙では大勝利をもたらし、ねじれ国会という状況を作り上げた。
これに心胆を寒からしめたのが、霞が関の独裁権力である。おそらく、この独裁権力も当時の自民党に権力維持装置としての耐用年数が訪れつつあることは気づいていただろう。であれば、いざという時のために民主党内にも同様の装置の受け皿を作っておかなければならない。しかしそれは、小沢ではない。なぜなら小沢は霞が関独裁というこの国の正体を的確に見抜いた上で「国民の生活が第一」の政権を作ることに目標をおいていたからだ。
しかも外交的にも対米従属からの独立がその基本にあった。これは、長らく日本を支配してきた独裁権力にとっては、社会主義や共産主義などとは比べものにならない“危険思想”だったのである。しかし一方で、さしもの従順な国民の間にも政権交代への機運が醸成されつつあり、次の衆議院選挙では確実に民主党政権が誕生するのは明らかであった。そして、そうなれば小沢一郎が最高権力者の座に就くこともその時点ではまた明らかだった。
そこで起きたのが、政権交代選挙の直前といっていい、2009年3月3日に起きた小沢一郎の秘書である大久保隆規秘書の逮捕である(西松事件)。以後、検察から流れるリーク情報をマスメディアという洗脳装置が大々的に垂れ流すことで、小沢はついには代表を辞任することになる(そのへんの流れについてはこちらを参照されたい)。
http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2009/03/index.html
当時、朝日の星浩、毎日の岸井成格(この男はネット上でこの原稿(http://www.the-journal.jp/contents/kishii/2009/04/post_56.html)を書いて読者から批判コメントが殺到すると、何の反論もしないままトンズラした)、田勢康弘などを筆頭に、ほとんどすべてのメディアが小沢バッシングという新たな鬼畜米英に邁進したわけだが、ではいまこの大久保秘書の裁判はどうなっているのか? 大久保氏は確かに現在も裁判を闘っているが、その訴因は「西松事件」ではない。
なぜなら、「西松事件」というのは公判の途中で、検察側の証人が検察のシナリオを覆す証言をした結果、裁判そのものが成り立たなくなって雲散霧消してしまったからだ。では、現在、大久保氏は何の裁判を争っているかというと、石川知裕議員が逮捕された、いわゆる「陸山会事件」である。この時、大久保氏も逮捕されて、ここで検察は「西松事件」を捨てて、陸山会事件へと訴因変更をしたのである。
そして、この裁判は9月26日に判決が出る予定だが、検察側の圧倒的不利が予想されている。これだけの経緯があってもなぜ、メディアが検察の捜査や自分たちの報道を検証することなく、「脱小沢」を喚き立てるのか? それが独裁権力の“国策”だからだ。
そこで野田佳彦である。いまなぜ野田なのか。それは、最初に書いたように、野田が完全なる霞が関傀儡として存在するからだ。この男はこれからも原発を推進するという。福島ですでに信じがたい破局事故が起きながら、それでも原発を否定しないのはなぜか。それは、独裁権力が原発を否定しないからである。
では、なぜ霞が関は原発を否定しないのか。それは原発もまた独裁権力の“国策”だからだ。なにしろここには無数の利権がゴロゴロと転がっており、さらに原発推進の前提として官僚は無謬であるという、本来、あり得ない神話が組織内に横たわっている。もし、ここで原発が間違っていたということになると、それは霞が関の“国策”そのものが間違っていたということになり由々しき責任問題が発生する。
そのようなことはあってはならないことで、ゆえにこれからも原発は粛々と推進するのが彼らの立場であり、その際、国民の命と安全、健康など知ったことではない。しかし、それにしても、なぜここまで霞が関傀儡があからさまに透けて見える野田なのか。
実はここに私は日本を長年にわたって支配してきた霞が関という独裁権力の危機意識を感じるのである。普通に考えれば数年がかりで小沢という危険思想の持ち主を潰すことができたことは、独裁権力にとって大勝利だろう。だが、9月26日に判決が出る陸山会事件の行方は彼らが当初思い描いた結末にはならない可能性が高い。そういう判決が出た場合、体制に少なからぬ影響が出ることは間違いないだろう。
そのための十分な備えとして野田が必要であったということが一つ。そしてもう一つ、いまや霞が関の独裁体制を揺るがすのは小沢ばかりではない。その筆頭が福島第一原発の破局事故であり、いつ収束するのかもわからない人類史上、未知の放射能災害である。実はその深刻さを彼らは表向きの言動とは裏腹にそれなりに理解しており、だからこそ自分たちに災いが降りかからないよう、現状でできる最善手として超傀儡の野田が登場させたのではないか? 私はそのように現状を邪推するのである。
http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2011/08/post-d6f6-1.html
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