http://www.asyura2.com/11/senkyo118/msg/710.html
Tweet |
1
2
3
----------------------
わたしは小吹さんと共に「小沢一郎に、仕事をさせろ」の横断幕をもち、
先頭を行進させていただきました。
小吹さんはその日の朝方まで仕事をしておりました。
奥様と列車で新潟にかけつけました。
沿道の方々の反応はよかったです。
チラシが足りなくなり、デモ行進ルートにあるコンビニでコピーしては、配布。そしてまた足りなくなり、コンビニでコピーして配布の連続でありました。
チラシを配布していたのは、東京スタッフの女性と新潟の女性であります。
8月27日土曜日夜、わたしは東京墨田区森下にある、開座のアトリエで、舞踏を観戦いたしました。久しぶりに開座の主宰者岡庭氏にも会えることができました。寺山修司演劇を継承した「演劇実験室●万有引力」の主宰者 J.A.シィーザー氏も来ておりました。J.A.シィーザー氏は「革命少女ウテナ」の作曲家であります。
開座の舞踏手である貞森裕児の出演。貞森裕児は女舞踏手でもあります。
これまで修行をしてきた舞踏家でもあります。
細部における表現と柔らかさ、そして破綻しない安定感がある舞踏。
演劇実験室●万有引力の新人、七生の舞踏。七生も女舞踏手であります。
311は日本のあらゆる女性に大きな衝撃をあたえました。
女性は身体生命が宇宙と連動しております。「月」と連動しております。地球という「星の生命体は星の子を誕生させる」それが女性であります。
311以後の世界における衝撃と苦悩、ゆらぎ、悲しみ、そして覚悟。
それら女性表現者の舞台生成における現場を観戦してまりました。
舞台とは一回性の時間にあり、それは観客によってしか確認できません。舞台が終わった時間から、観客と舞台の応答が開始され、観客は記録していきます。
居酒屋「森下」での初日打ち上げにも参加してきました。
「おのれの身を裂いて脱皮をとげていく永久運動、それが前衛表現者である」
J.A.シィーザー氏から教えていただきました。
森下という場所は
1983年5月、寺山修司がなくなり「演劇実験室●天井桟敷」が、横浜と大坂で寺山修司「レミング」
最終公演を
してから、
J.A.シィーザー氏が「演劇実験室●万有引力」を創設した場所でもあります。
主宰者はあらゆる責任を負い、覚悟の総量が普段に問われてまいります。
わたしは8月27日、JR「両国駅」で降り、地下鉄の大江戸線から「森下」につきました。「両国という地名の発祥は、江戸と下総という両国をかける橋であるとうことであります。昔、墨田区の森下は下総と呼ばれておりました。
「両国駅」は隅田川の花火大会を観戦する若い人々で圧倒されておりました。
男も女も「ゆかた姿」であります。
わたしは8月27日の深夜も焼酎を飲み続け、8月28日の新潟へ向かう藤島さんの「新党市民」車に乗せていただきました。
新潟デモが終了し交流会に参加し、再び「新党市民」車は東京をめざします。
途中、あらゆる場所での花火大会が打ち上げる花火が高速道路から見えました。
運転者は情熱の人である、らくさんであります。
東京に着き、わたしは藤島さんの宿舎に泊めていただきました。
また焼酎を飲みました。
壮大な藤島さんのエネルギーある日本文明史と、311以後のパラダイム転換の話を聴く事ができました。
藤島さん。ありがとうございました。
8・28新潟デモを行進しながら、わたしは3・3高知デモの感動を思い出しておりました。
今後とも、協働の力、民草の力で、がんばっていきましょう。
藤島さんからは、まだまだインターネットでやるべきことの可能性はあることを、教えられました。
藤島さんは、わたしが尊敬するJ.A.シィーザー氏のごとく前衛者であります。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK118掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。