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小沢が海江田支持を決めたことにがっかりしている人は多いだろう。私もその一人で、あんなのを日本の総理にするくらいなら、そのへんの町工場の親爺でももっとすぐれた見識の持ち主はたくさんいるだろう、と思っている。しかし、総理は代議士の中から選ぶしかないのだから、仕方がない。
だが問題は実は総理ではない。誰が筋書きを書くかということであり、誰が演出をするかということだ。映画や芝居で言えば、俳優より脚本家や監督が大事なのだ。なまじ俳優に勝手なアドリブをされたら、映画や芝居が台無しになる。「影武者」で勝新太郎が黒澤明と衝突して降板したのがいい例だ。
そういう意味では海江田は、小沢監督の意思に逆らうことのなさそうな人物だから、これを選んだことに不思議はない、ということである。
小沢一郎は、総理の椅子など眼中にない、と私は見ている。総理になりさえすればそれが人生のゴールだという連中とは次元が違うのである。いや、なまじ総理などになると、横田幕府(ジャパンハンドラーズ)との確執が大変だから、総理にならないほうがいいと思っているのではないか。
何度も書いてきたように、日本の政治を見るにはアメリカを観察する必要がある。そのアメリカは今、破産状態で大変な有様だから、日本のことはジャパンハンドラーズに任せっきりだろう。そしてマスコミはその指示で好き勝手なことを書いているわけだ。
世界から見れば、コップの中の嵐である。
日本に滞在しているあるイギリス人は、日本の政治がこれほどひどいのに、日本社会の秩序が見事に維持されているのに感心して、「日本には政治はいらない」と言ったという。
実際そうなのであり、政治はむしろ国民生活を悪化させる役にしか立っていないのだが、しかし、その害悪を被っている人々も無数に存在する。非正規労働者や東日本大地震被災者、福島原発被災者などがそれだ。やはり、政治を改革する意思が国民一人一人の中に無いと、日本は良くならない。
そしてその改革の根底にあるのは、不幸な他人への自然な同情なのである。政治とは人々を幸福にする手段だという根本が、今の世の中には見失われ、政治とは自分が利益を得るために利用するものだとなっているのではないか?
放っておくと政治は私物化されるものである。国民は政治を監視し(今、「誠司を監視し」と偶然に変換された)それが国民の不利益にならないようしなければならない。小泉時代の「痛みを伴う政治改革」「骨太の方針」のような、国民に犠牲を強いる政治を国民自体が受け入れるという愚行を二度と繰り返してはならないのである。
(以下、「毎日崖っぷち」から転載)
すべては日本だけの問題ではないというか、国境も国籍も関係ない連中の影響下にあるということを考えないとならないわけで、感情的に脱原発だけ標榜しているわけにはいかんのだ。
対抗する手段はなにかと言えば、軍事的な管理はもちろんのこと、国民が完全に監視できるシステムを構築し、あらゆる工作ができない体制を整えることだ。
そのために必要なのは、経産省はもちろんのこと、環境省、文部科学省、防衛省、警察庁、総務省などが全部同じ方向を向いて、最も安全かつオープンな形で原発を解体することが彼らの利益になるようにすることだ。
つまり、公共事業としての原発解体利権を応援していかなければならんわけ。
これを実現するためには、官僚をまともに扱えるというか、官僚と敵対するのではなく、取引と交渉によって動かす政治力が必要なのだ。
そのへん理解してるのって、小沢一郎、亀井静香、田中康夫とその周辺の人間しかおらんと思うし、なんとかして権力を握ってもらわないと困るんだよな。
海江田がどうこうではなくて、とにかく民主党乗っ取り組に、小沢・鳩山グループが勝利してもらわなきゃならんのだよ。
まあ、この話、世の中の大半の人はアレルギーたっぷりだろうな。
「なんなんだ、このブログ?」って思う人も多いんだろうね。
官僚や利権を応援してる政治ブログってのも、マイノリティーもマイノリティーだもんな。
みなさん、なんでも自分でどうにかできて、官僚なんかただ邪魔してるだけだと本気で思い込んでたりするからな。
前にも書いたことだが、残念なことに、日本という場所は一度として共和国であった歴史がなく、民衆が自発的にシステムを構築したこともない。
そのへんに当たり前にあるものが、どっかの誰かさんたちによって作られ、維持・運用されてきたものであるということを、それがいいか悪いかはべつにして認めるべきだ。
原発に関する話も同様。
こうして問題が起こったからこそ、原発アレルギーにつながっているわけだが、以前は原発について考えていた人間だってほんのわずかで、必要悪どころか、当然に必要なものだと思ってる人も多かったんじゃないの?
このブログでも以前から原子力に関する話をチラホラ書いてきたが、ほとんど反応なかったしな。
官僚や利権が暴走していたというのも、言い換えれば、意識的・無意識的の違いはあれど、その暴走を我々国民が黙認していたということだ。
いままでなにも言わず恩恵を受けてきたくせに、問題が起こったときだけ大騒ぎするなってのが彼らの本音じゃないかね。
問題が起こってからのアタフタぶりのような、ゼニの奴隷の本領発揮による殺人行為まで是認する気はまったくないが、これまでに起こってしまったことは、いやでも我々国民全員が詰め腹取るよりないんだよ。
それが民主主義ってものの正体なのだ、残念なことにね。
知らなかった、気づかなかった、興味がなかった、ダマされた我々が愚かだっただけのことだ。
しつこいようだが、民主主義というのは、民衆の総意で物事が決まるという前提に、情報操作というエッセンスを加えることにより、利益はどっかの誰かさんたちが享受し、責任と負担は民衆すべてが取らされるというものだ。
そして、その情報を操っているのは、カネという搾取ツールである。
この現実はフランス革命の時代からなんにも変わっちゃいない。
現実に、いまリビアなどの中東諸国で起こっていることもみんなそれだ。
人権やら民主化やら、耳障りのいいことを抜かしているが、結局、あらゆる国富を金融屋が奪い取る結果になるのは目に見えている。
もっとも、カダフィにしろフセインにしろ、そのほかの独裁者連中にしろ、完全な愛国者でもなんでもなく、国民の生活を豊かにするのと同時に海外の金融屋勢力とつながってもいたわけだが、どっちが国民にとって「マシな選択」であるかと言えば考えるまでもあるまい。
まあ、この民主化革命とやらが終わってから、いやってほど思い知ることになるだろうけどな。
冷静に考えてみりゃわかるんだがね、日本の官僚主義うんぬんって話も、中東で起こってる話も、まったく違うように見えるが実はほとんど同じ話なのだ。
このことについては、今日はもうこれ以上書かない。
オレなんぞがその根拠を書くよりも、自分で過去を振り返ってみたほうが理解しやすいだろうしな。
ヒントは「カネ」と「分断」だ。
この視点に立って、日本と世界の現実を見据えれば、我々のなにが問題であり、どこが愚かだったのか、ほとんどすべて理解できると思うぜ。
というわけで、話を戻すが、重要なのは、これからどうするかじゃないか?
そして、それをやり遂げるために、どのような人材や組織を活用するかということも戦略的に考えなきゃならんのじゃないか?
だからこそ、オレは今後やるべきと思うことを、オレ自身の利益というモノサシで考えてこのブログに書いているし、いまのところ大してうまくいってないが、行動にも移しているというわけだ。
ほかの利権の立場にある人たちにそんなことを言ってもしょうがないと思うが、大半の国民は、変な思い込みを排除すれば、オレと利害が一致すると思うんだよな。
そうなると、海江田なんかどうでもいい話で、とにかく小沢・鳩山グループに勝利をもたらさないとならんってことがわかると思うんだけどね。
http://dorian.en-grey.com/Entry/907/
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