11. 天橋立の愚痴人間 2011年8月26日 11:17:47: l4kCIkFZHQm9g
: M1dRyg1AKE
投稿者さん、ありがとうございます。 以下は10年ほど前に書いていた、私の原点です。http://www.kyudan.com/toukou/amano04.htm (人類の輪より抜粋) 映像を主体とする情報の氾濫のなかで、現代の青少年が正常な自我を形成する事自体が至難の業です。 人間にとって正常な自我の発育がどれほど大切かはここでは言及しませんが、性的衝動をはじめ、世の中の裏表を次々と詰め込まれ、ゲーム等の擬似体験の影響を連日受け続ける子供達に我々大人は何を期待しているのか。 その上、彼らが就くべき職業の窓口は極端に減少している。 大人自身が、所謂、勝ち組・負け組に厳しく選別されてゆく状況のなかで、社会は二極化がすすむ。 双方とも十分すぎる余暇をいだき、それぞれの論理で社会を破壊に導く、そこにはもはや自由な経済活動もなく、民主主義もない、まるで人類の末路をテーマとした映画のような光景が、50年後の我々の世界のように感じる。 そうはしてはいけない、資本主義の妄想も民主主義の妄想も今、我々はたださなければならない。 人類は精神的許容量を超えて物質的に進歩しすぎた。 と言うよりも大量の物質を手にして精神が質を変えてしまった。 二十一世紀はそれを矯正しなければならない。 人類は経済活動全体を制御する方法を身につけなければならない。 物質の氾濫をコントロールしなければならない。 経済活動そのものは本能に基づくものであるから、我々は人間の本質を見直す領域まで立ち入らねばならない。 プラトンが役に立たないのではない。 ショーペンハウエルが役に立たないのではない、キリストも必要だ、人間の本質は変わるものではない、彼らの言っていることは全て間違ってはいない。 ただ人々のほうが自らの本質を見失っているのだ。 しかし現代の状況で安定した精神を維持することは並大抵ではないと思う。 昔から沢山の思想家はいたが、一般の人々にとってけして身近な存在であったとは言えない。 当時の人々の考えることの総体が彼らであり、より究極的に表現しているのが彼らであっただけであり、宗教の教義のように人々に直接的に喧伝されていたものではない。 しかし現代の我々は大部分が自身を見詰め直す必要に迫られている。 先人の意見も真摯に検討しようではありませんか。 我々自身が意識的に現代に応じた我々のあり方を考えるとき、それを象徴する思想家達が現出して体現してくれるのではないか。 数百年前のルネッサンスのように、切実なる我々の意思が集約されたとき、新しい思想が現出するのではないか。 やがて現れる思想は超人間の領域をも抱合しているかもしれない。 そしてその思想は今までになく人々を束縛するものであるかも知れない。 またそれは同時に独裁に結びつかないシステムでなければならない。 安易な思想は我々をまた異なった方向の不幸へ導く。 いよいよ真剣な民主主義の本分が問われる時代の到来が近い。 矛盾する方式だが、勇気を持って確立できるように努力しなければならない。 資本主義経済システムの限界を認識し、そのシステムに振り回されない社会の仕組みを考え出さなければならない。 グローバル化が必要な面もあるが我々の身の丈にあった生活環境を合わせ持とうとする方向のなかに、来るべき社会のヒントがあるように思う。 一方で我々の精神は我々自身が創出する科学と真正面から対峙してゆかねばならない。 数十年の歳月を要するとも、我らが子孫の繁栄のために努力を始めなければならないと思います。 (以上) 小沢一郎が、この様なことを言っている訳ではありませんが、方向性として私の思いを託せる唯一の政治家と思っています。 それは現在、自由主義論者を名乗っていても、本質は信頼しています。 私が願う政治などは、一朝一夕でなせるものではなく、一人の政治家でなせるものではありません。 これから見ると民主党のマニュフェスト、国民の生活第一の政治など、ほんのはしりに過ぎません。 最も、現在では、それを始めることにも意義があり、困難を伴うものであると思っています。 しかしながら、その方向性を示す政治の芽だけは小沢に残して欲しいものです。 小沢が民主党代表に就任した直後、日本の国家像を発表すると言っていました。 私は、それに本当に期待したものですが、結果は、あのマニュフェストに置き換えられました。 安全保障などの面もあり党内で合意が出来なかったのでしょう。 現在の民主党がマニュフェストを廻り右往左往していますのは、マニュフェストより先にあるべき、国家像をないがしろにした結果と思っています。 原点に戻れと、小沢自身も言っていますが、原点とは、民主党の国家像の確立であり、いまの状況で戻れる(合意が出来る)筈はありません。 昔なら、小沢はとっくに民主党を割って、新しい政党を立ち上げていたことでしょう。 しかしながら小沢にはやっていただかねばなりません。 他に、それが出来る政治家はいないからです。 小沢は私より2,3歳年上です。政治という困難な世界で今なを、大きな影響力を持っていることに敬意を惜しむものではありませんが、少なくとも50人60人の仲間を持ちながら、民主党の木っ端共と妥協してしまうことを見ておられないのです。 民主党にまともな人間が1/3でもいれば話は別ですが、現在では私が思う政治の方向へは、1本のくさびも打ち込まれてはいません。 自分勝手でもあり、酷な要求を小沢にしてますが、昔から親近観を持ってきた故に、小沢の弱気が許せないことも本音です。 私は小沢が新党を立ち上げ、小沢が思うような政治をしてくれるように国民が直接支持をすることが一番良いと思っています。 小沢にとっても、国民にとっても勝負の心が必要です。 逆に言えば、国民の熱烈な支持が確認できれば、小沢もやり方を変えるかも知れません。 昨年以来の小沢支持のデモが盛り上がらないことも関係しています。 100万人デモが成就していれば、もう、とっくに新党を立ち上げているはずです。 しかし、もう、時間切れのようですね。 |