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前原誠司が「小沢史観からの脱却」と言った。『小沢史観からの脱却』とは何を意味するのか?素直に聞けば、小沢の歴史観の否定である。しかし、そんなことが今問題にすることなのか?第一『小沢史観』なるものがどんなものか、わたしにはまったく分からない。もしそこからの脱却が必要というのなら、『小沢史観』なるものに関しての党内的な広くて深い議論が必要になろう。
寡聞にしてわたしは、『小沢史観』なる言葉を聞いたことがない。前原は投票日までに『小沢史観』の正体を明らかにしなければならない。そして『前原史観』を対立軸として打ち上げなければなるまい。そんなものがあるとしても、どうせ『松下政経塾によってたたき込まれた極右的歴史観』に過ぎないだろうが……。
民主党内は小沢の歴史観なるものを巡って対立していたのか?前原発言の意味は、その発言のなされた文脈のなかで捉えなければならないのかもしれない。
前原前外相、代表選出馬を正式表明 (asahi.com 2011年8月23日 )
総会終了後、記者団に、小沢氏対反小沢氏という対決構図を「乗り越えなければならない。小沢史観から脱却しなければならない」と強調。ただ、小沢氏の党員資格停止については「現執行部が決定したことを尊重する考えで党が結束すべきだ」と述べ、改めて解除に反対した。****
やはり意味不明である。対立を乗り越えることと、『小沢史観』とが何か関係があるのか? もしかすると、前原はもの凄く本質的な問題を提起しているのかもしれない。『史観』とはその人間の人格をかなりな程度規定する要素である。前原は、どこに『小沢史観』なるものを見いだしているのか?「第七艦隊で十分」発言か?「国民の生活が第一」というマニフェストの根本思想か?
それらを小沢の歴史観の現れと見ているのか?そしてそれから脱却しなければならない、と言っているのか?マニフェストを捨て無ければならない、と言っているのか?もしかして前原は、『小沢史観』と『政経塾史観』との対決を宣言したのか?小沢一郎との全人格をかけての戦いを宣言したのか?しかし、どうも前原にそこまでの意図があっての発言とは思えない。
例によって口先男が、かっこつけて『小沢史観』などと気取った表現をしただけのように思われる。最大限好意的に解釈すれば、『小沢史観』という言葉を、前原は、『小沢一郎を巡る対立の歴史』という意味で使ったと解釈できないこともない。しかし、これは明らかに言葉の誤用である。
『小沢史観』とは、『小沢の歴史観』あるいは『小沢の、歴史に対する態度』ということしか意味しない。百歩譲って、『小沢史観からの脱却』という言葉を『対立からの脱却』という意味で使ったと解釈しても、それはまた前原の次の言葉とは明らかに矛盾する。
>「現執行部が決定したことを尊重する考えで党が結束すべきだ」と述べ、改めて解除に反対した。
たとえどんなに言葉を飾っても、この男の本音はここにある。何が何でも小沢は排除する!!!前原誠司にとっては、小沢一郎を民主党から追い出したとき、初めて『対立』はなくなるのである。
http://yamame30.blog103.fc2.com/blog-entry-157.html
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