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昨日(8/23)の午前と午後、前原誠司と小沢一郎が2人が相次いで稲森和夫を訪ねている。前原誠司が代表選に立候補表明する日の出来事であり、マスコミは、俄然この政治パフォーマンスに注目して報道している。2人とも、訪問予定をマスコミに伝えていて、京セラの社屋から出て来る場面を撮らせていた。稲森和夫が仲介役として動いているというメッセージの発信と演出だ。また、昨夜は仙谷由人と小沢一郎が直接会談、仙谷由人が小沢一郎に支援を要請する一幕があった。どうやら、小沢一郎は勝ち馬に乗る構えの様子で、対立候補は出さず、前原誠司の「挙党一致」に協力する選択に傾いているようだ。細野豪志も前原支持を表明した。これで代表選は無風になった。小沢一郎の支持を得られないと了解しつつ、海江田万里と鹿野道彦が降りないのは、前原体制の「挙党一致」の中に潜り込む思惑からだろう。代表選の開票直後に、勝者を中心に候補者たちが手を重ねて撮る絵の中に入り、「挙党体制」の大物として重要ポストを得る狙いだ。立候補表明後の記者会見で、前原誠司は「小沢史観からの脱却」を唱え、小沢一郎の議員資格停止処分についても、「執行部の決定を尊重すべき」の立場を崩していない。マスコミは、前原誠司の「挙党一致」の言葉に「脱・反小沢」の意味を被せて報道しているが、これは巧妙な情報操作であり、前原陣営の策謀に従った狡猾な宣伝工作である。
私は、前原誠司の「挙党一致」について、マスコミ報道とは異なる解釈をする。前原誠司の真意は脱トロイカであり、3人の影響力を党内から一掃し殲滅することだ。小沢派の中で使えそうな若手や小沢ガールは引き抜き、小沢派を解体して、小沢派を反主流派として存続できないようにすることである。これは、従来から仙谷由人ら主流派が画策してきた動きで、現在もその基本戦略は変わっていないと思われる。果たして、昨夜(8/23)の会談で、仙谷由人はどのような取引条件を小沢一郎の前に持ち出したのだろうか。会談は仙谷由人の方から呼びかけたもので、勝ち馬に乗るよう打診している。常識的には、ここで何か条件が提示されたと考えるべきだが、真相は誰にもわからない。虚々実々の駆け引きがある。小沢一郎の方からすれば、ここで対抗馬を立てず、前原誠司の「挙党一致」に合流すれば、党内主流派の立場を得ることになり、秋に控えた裁判を有利な状況にすることができる。仙谷由人とすれば、ここで小沢一郎に強力な対抗馬を立てられ、選挙が接戦に追い込まれれば、仮に前原誠司が薄氷で勝利しても、小沢一郎の影響力が決定的に増し、主流派の安定した権力維持が危うくなる。そもそも現在の主流派は、昨年の参院選から今年の地方選まで、連戦連敗を続けて党勢を失ってきた責任もあり、そういう問題までこの機に噴出しかねず、小沢派との真剣勝負は避けたいのだ。
しかし、この小沢一郎の動きは、政策的に見れば、明らかに裏切り行為であり、国民を失望させるものである。小沢一郎は今度の代表選の候補者支援について、「枝葉はともかく、マニフェストの基本理念を継承する」者という基準を述べている。この表現は、従来の主張と比較したとき、ニュアンスとして遵守の意味が緩和されている。この立場は、マニフェストを骨抜きにして実質的に破棄した主流派も同じで、彼らは口ではマニフェストの基本理念は変わってないと詭弁を言ってきた。その仲間に小沢一郎も入るということなら、変節である。私はこれまで、小沢派と主流派との政治抗争は単なる権力闘争ではなく、基底に政策軸の対立があるのだと論じ続けてきた。財政再建をめぐって、消費税増税か特別会計見直しかという対立がある。TPPについても、推進か反対かという決定的な対立がある。外交と安全保障についても、日米同盟か東アジア共同体かという大きな軸足の相違がある。普天間基地の問題に関しても、辺野古移転か国内国外移転かという対立がある。他にも、貧困と格差の問題においても、1年前の代表選では、小沢一郎は企業の内部留保を賃金に回せと言い、非正規労働の比率を減らすべしと提言していた。こうした政策軸の対立について言えば、09年マニフェストは小沢派の政策であり、主流派はそれを否定して自民党の政策と同一化している。この政策対立の構図の整理については、誰も否定する者はいないだろう。
だが、こうした政策対立の見方を今後は変えなくてはいけなくなる。もし、小沢一郎が裁判での保身を目的に主流派にスリ寄り、マニフェストの路線を変更するのであれば、小沢派と主流派の関係は単なる派閥争いでしかない。小沢派の一部には、こうした政策の変節と旋回に抵抗する者も出るだろうし、特に昨年以降、受難の身の小沢一郎に同情し、マニフェストを死守する姿勢に共鳴し、デモ行動して支持してきたネットの小沢信者たちに、この政変は大きな混乱を与えるに違いない。歴史で喩えて言えば、1939年の独ソ不可侵条約の衝撃である。この条約の締結が、全世界の反ファシズム陣営を蒼然とさせ、知識人が社会主義の信仰から離れた様は、オーウェルの『動物農場』の中でも描かれていて、日本の知識青年層にも深刻な幻滅と後遺症を与え残した。日本の場合、余波は体制側に大きく出て、当時の平沼内閣の総辞職という事態を招いている。そう。私は、この小沢一郎と前原誠司の野合について、霞ヶ関の官僚がどう慌てているかを思うのである。意外な展開と政変に、少なからず緊張が走っているのではないか。彼らは、野田後継で決まりだと端から思い込み、ポスト菅に小沢一郎の影が侵入する図など全く想定していなかったはずだし、ポスト菅が大連立と消費税増税に向かう政局を半ば前提し、それが流れだと楽観視していただろう。野田後継が潰れ、大連立の目算が消え、仙谷由人が小沢一郎の懐柔に動く状況は、官僚の心胆を寒からしめているに違いない。
面白いことに、調べてみると、独ソ不可侵条約が締結されたのは、1939年の8月23日である。72年前の昨日だ。偶然の一致だが、何か不吉な予兆を感じる気分にもなる。スターリンがナチスと組む取引をしたのは、大粛清の影響で国内に対独戦の準備が整わず、時間稼ぎが必要な弱点があったからだが、その点、裁判という弱みを抱えた小沢一郎の事情とよく似ているではないか。小沢一郎が党代表に就き、「国民の生活が第一」の旗を掲げた2006年秋以降、党内で最も強硬かつ頑迷に小沢一郎に反抗し、対極の地平に蟠踞して反小沢闘争を続け、小沢一郎の失墜と掃討に奔走してきたのは、まさしく前原誠司である。親米タカ派で新自由主義の前原誠司こそ、民主党における反小沢のシンボルであり、「国民の生活が第一」を転覆させるアンチテーゼの存在だった。独ソ不可侵条約のアナロジーは、スケールはミニチュアであるけれど、この政治の説明として示唆的であると私は思う。果たして、この野合は、72年前の独ソの関係と同じ運命を辿るのだろうか。不意を打たれたのはソ連の側で、条約は2年後の1941年6月に終焉を迎える。ヒトラーを軽信して胡座をかいていたスターリンは、独軍の電撃攻撃に為す術なく退却を余儀なくされ、ヨーロッパ・ロシア平原の広大な領土を奪われ、レニングラードを包囲攻撃されて陥落寸前まで追い込まれた。悪乗りを続ければ、仙谷由人がリッペンドロップで、平野貞夫がモロトフの配役だろうか。小沢一郎が「国民の生活が第一」の大義を捨てない限り、両者は殺し合う関係を揚棄できない。
おそらく、前原誠司は、小沢一郎の支援を得て代表となった新体制で、原口一博や松野頼久など、主だった反主流派の面々を閣内に入れ、脱トロイカの「挙党一致」をアピールすることだろう。森ゆうこや川内博史にも手を伸ばして、副大臣の処遇で政権内に取り込むかもしれない。そうすれば、前原体制を揺さぶる反主流派は党内に消える。その可能性は高いと思う。振り返ってみて、細川律夫だとか、江田五月だとか、あの菅派の面々というのは、もともと旧社会党左派などに属し、本来は「国民の生活が第一」の政策を率先して担がなければならない者たちである。菅直人自身がそうだ。小沢一郎が2006年に打ち出した「国民の生活が第一」と、民主党を政権与党にした09年マニフェストは、彼らこそが中心になって推進するべき政策だった。逆に言えば、前原誠司や野田佳彦や玄葉光一郎などは、そうした政策とは無縁であり、厳密には自民党に籍を置くべき政治家たちなのだ。ところが、菅派の面々は自らの思想信条を簡単に裏切り、投票してきた有権者を欺き、昨年以降、右旋回のマニフェスト潰しばかりやっていた。前原誠司の言う「挙党一致」とは、マニフェスト破棄、TPP推進、消費税増税、辺野古建設、改憲の挙党一致態勢という意味で、その政策で党内を斉一するという意味である。反対する者は公認しないという「挙党一致」であり、自分が代表になったら、党内に反主流派は作らせないという宣告である。マスコミ報道が言うような融和的で協調的な意味ではない。党内を一つの束にし、その上で政策が同じ自民党と期限を区切った大連立を組むという意味だ。
2005年に代表になったときも、前原誠司は同じことを言っていた。党を一つに纏めると。その方針に異議を唱える官公労系は切ると。
http://critic5.exblog.jp/16167323/
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