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ニセ医者に「いいかげんにせえよ!」 辻元首相補佐官が会見
2011年08月23日19時07分 BLOGOS編集部
http://news.livedoor.com/article/detail/5804412/?p=2
災害ボランティア担当の首相補佐官を務めている辻元清美氏(51)が23日、自由報道協会が主催する会見に登場。被災地で医師を騙って治療行為をしていた男性に対して「いいかげんにせえよ!」と怒りを露わにするなど、トレードマークの関西弁を交えつつ熱弁を振るった。震災から5か月を経て、被災地でのボランティア活動状況や、ボランティアに関わる政府の取り組みなどについて、主にフリーランスの記者団からの質問に答えた。【取材・文:安藤健二(BLOGOS編集部)】
会見の模様(自由報道協会麹町報道会見場にて収録)
・辻元補佐官による、内閣官房の取り組みについての説明:0分48秒〜
・上杉隆氏(自由報道協会)、Twitterからの質問:21分05秒〜
・会場の記者・ジャーナリストからの質問:27分28秒〜
すっかり落ち着いた雰囲気に
「こんにちは〜、今日はよろしくお願いします」。グレーのスーツに身を包み、気さくな様子で会見場に現れた辻元氏。野党時代の攻撃的なスタイルは封印して、すっかり落ち着いた様子だった。
辻元氏と言えば、つい最近まで社民党の議員。トレードマークの関西弁を交えつつ「ソーリ、ソーリ!」と当時の小泉純一郎首相を追及。鈴木宗男氏の証人喚問では「あなたは、疑惑の総合商社ですよ」と舌鋒鋭く吊るし上げた姿が印象的だった。だが、2003年には秘書給与事件で逮捕。衆院議員を辞職し、懲役2年・執行猶予5年の有罪判決を受けた後に復職した。
2009年の鳩山政権では、国土交通相だった前原誠司氏の要請で、国土交通副大臣に就任。社民党の連立離脱で辞任したが、その後は社民党を離党。無所属の立場で民主党系の会派に入会。東日本大震災を受けて、3月13日に首相補佐官に就任している。まず、約二十分間にわたって、辻元氏がこれまでの首相補佐官としての実績を報告した。
まるで吹っ切れたような笑顔で会見に応じていたが、ニセ医者の話や記者クラブに関する質問などでは関西弁丸出しでは、感情をムキ出しに。かつての姿を彷彿とさせる場面もあった。
「もう町づくりの段階に」辻元氏のあいさつ
「皆さん、こんにちは。災害ボランティア担当の内閣総理大臣補佐官をしております辻元です。どうぞよろしくお願いします。
今日はお時間を取っていただいて有難うございます。今日は東日本大震災の発災以降、ボランティア活動がどのように展開されたかということを皆様にご報告して、質問を受けたいと思ってます。
概要を申しますと、皆様もご記憶かと思いますが、当初はガソリンもなかったり、食料を届けるのが精一杯とか、道が通れないとか様々な事情がありまして、沿岸部で被害を受けた範囲が非常に広範囲でした。(ボランティアの)拠点になる建物が全部流されてしまった市町村もありました。ボランティア活動やNPO、NGOはどこに入っていけばいいのか。地元で拠点になる施設がないのでまずはプレハブでボランティアセンターのような物をまず立ち上げないといけない。そういうところから始まりました。
阪神淡路大震災と違うところがあって、あっちは分かりやすかったんですね。“神戸に行こう!”ということで、神戸の近くから大阪とか大きな街もありましたし、アクセスしやすかったんです。しかし、今回は被災地が非常に広範囲に渡ってるので、“仙台に行こう!”というのはピンと来ても“岩手県大槌町に行こう”と言われても、どこに行けばいいのか、行っても基地がなかなか造れないとか様々な事情がありました。
しかし、結論から言いますと、阪神淡路大震災のときはバーンと数は増えたんですけど、3カ月たったらドンと減ってしまいました。しかし、今回は5カ月以上たってますけど、まだまだニーズはあるし、“行ってみよう”という活動がずっと続いています。
最初は基地を作ったり、GW前に体制を作ろうということで緊急援助をして進めてきて、実際にたくさんの方が来られました。5〜7月の3カ月くらいは、ドロ出しとか避難所にいる方のための炊き出しを多くの人が関わってきました。7月以降は仮設住宅に人が入っていくということで、“仮説住宅での見守り支援や、心のケア、引越しのお手伝い、様々なイベントなどをして、引きこもりや孤立死を防止していこう”という活動に徐々に移行しております。
今後は復興計画をそれぞれの市町村が立てて、町づくりに入っていきます。被災地の地元のNPOが頑張りだしてますので、町づくり系のNPOは市民参加の復興計画、多くの人達の声を吸い上げて商店街を作ったり、コミュニティをどう作っていくかというような団体も出てきている。
もう一つは、(被災者が)仕事をなくしているので、今後はコミュニティビジネスやソーシャルビジネスといった仕事を自分達の手で作っていこう、と。そういう動きも出てきています。
最初は“あー、どうしよう!どこに行ったらいいのやろう?拠点つくらなあかんなぁ”というところから始まって、やっと拠点が出来て、全国からドロ出しとか炊き出しとか“みんなで力を合わせてやろう”ということ。そして(被災者が)仮設に入ったら仮説の支援。さらに仕事作り、復興まで、NPOや個人のさまざまな能力を持った人達が末永くやっていこうと。それがここ5カ月の間の時間だったと思っています。
福島県でのボランティアが少ない理由は?
各県のボランティアセンターで登録した人数のグラフ(会見で配られた資料より)
このほかボランティア車両の高速道路無料化や、被災地でボランティア活動するNPO団体を支援するなどの取り組みをアピールした辻元氏。あいさつが終わると、記者団との質疑応答に移った。トップバッターは、司会の上杉隆氏。福島第一原発を絡めた質問が飛んだ。
―ボランティア活動する人員は減ってないということでしたが、配布された資料を見ても宮城、岩手と比べて福島で活動している人は明らかに少ないです。当然、これは放射能の影響があると思うんですが、福島のボランティアは今後一番長く対応しなきゃいけないと思うんですが、政府官邸はどのように考えているのでしょうか?
「資料にある黒い線が福島ですよね。これにはいくつか原因がありまして、福島県のNPO団体と相談したいというのもあるんですが、17ページ以降に災害ボランティアセンターの募集状況があるんです。
岩手県だと“まだ来てちょうだい”とガレキの片付けなどたくさんあるから、と。でも、福島の方は21ページの、いわき市、相馬市、南相馬市。沿岸部で被害を受けた地域のボランティアセンターが、ほぼドロ出しなどの活動が終わったので、ボランティアセンターを閉めて、仮設住宅の支援に特化していこうというような動きがあるんですね。
ですから、これに“ボランティアはほぼ終了しました”とかいうご案内を出してるために数が減ってきているのかなと。福島の内陸部に避難している方の支援は必要なんですが、ドロ出し等のマンパワーというよりも地元のNPOが中心になって専門的にやっていくというのが一点。
それと、これから(放射性物質の)除染となったときに、果たしてボランティアが手伝うのかどうかという問題があります。これは行政が責任を持ってやっていくわけですが、今もすでに自発的に手伝いにいってしまっている人もいます。その辺の整理をしないといけない」
ニセ医者事件「腹立ってます」
続いて筆者も質問してみた。医師を騙って診療行為をしていた男性のことと、フジテレビの27時間テレビの設営にボランティアスタッフが借り出されたことを聞いてみた。
―宮城県石巻市では、医師を騙って医療ボランティアをしていた男が医師法違反の疑いで逮捕されています。ボランティアの身元確認などの対策も必要になるのでは?(参考記事)
「ほとんどの人は自分にもできることで少しでも手助けしたい、という思いで行ってるわけです。ですから、そういう事例が出てくると、ボランティア全体の信用とか、せっかく活動してきたことがマイナスになったり、地元の人が“仮設住宅でこういう催し物をします”と言っても、そういうことが起きると、“信用してええんやろか?”と身構えてしまうので、非常に残念なんです。
ですから、腹立ってます、私は。いいかげんにせえよ!と思っています。
やはり外からNPOやNGOの団体が入っていっても、三陸海岸の地域って都市部ではないんですよね。外から来て“何でも私手伝いますよ!”と言っても、信用していいのかってなるじゃないですか。地元の人が運営する拠点があって、そこと一緒にやってるとか、そこが派遣してきたとなると安心感がありますよね。
そういう意味で、ボランティアセンターの話に戻りますけど、地元の拠点を作るのはとても重要じゃないかな?と思っています」
―今、地元の拠点との連携という話でしたが、フジテレビの「27時間テレビ」が生中継した宮城県南三陸町のライブ会場の設営に一般ボランティアが動員されていたことが話題になっています(関連記事)。地元ボランティアセンターの要請だったようですが、参加者からは不満が出ていたようです。こうした問題はどう思いますか?
「まあ、現場で判断を的確にしてもらうということだと思います。もう一つ、心がけてきたことは、ボランティアのニーズは現場で判断するということです。よくあるのは、東京とかで“あれがいい、これが悪い”といった基準は決められないと思うんです。ネットではいろんな意見がバーっと流れていますけども、地元の人にとってどうかというのも判断基準の一つだと思っています。
例えば、企業が自分の食料の炊き出しをすると、それにボランティアが手伝ったらどうなのか?と。でも地元の人は喜んでいると、そういうこともあったかと思いますけど。地元の被災者にとってはいいことなのか悪いことなのかというのが判断基準になるんじゃないのかな?と私は思います」
「ものすごいストレスたまったんですよ」
―国民が民主党に期待してたことと現在のギャップがすごく大きいと思うんですが、官僚の方と報道について率直にどう思っていますか?もっと官僚の人がこういう風に動いてくれればと思うことはないでしょうか?
「一つは、私の担当のボランティア・NPOというのは。菅政権はいろいろ言われるんですけど、菅政権の特徴の一つだと思って私は引き受けたんです。菅さんの姿勢……市民運動出身であったりして、そういうことに理解があったので。
ですから、菅政権の一つの特徴として震災ボランティア連携室を立ち上げたり、ボランティア担当の首相補佐官を置いたということは、私は意味のあることだと思っています。
で、官僚との関係で申し上げますと、最初、補佐官を置いて、室を作って、いろんな会議に出て行くわけですよ。被災者生活再建支援チームという仙谷官房副長官や松本龍・防災相らが参加している連絡会議を毎日やってるのに出ていたんですけど、最初、ボランティアやNPOってゆうたら“はぁ?”みたいな感じで、最初、私、ものすごいストレスたまったんですよ。霞ヶ関で働く人達にどう理解してもらうか。個人の一人一人の力の結集がいかに大事かということをどう訴えればいいのかって。
ただ、今日もその会議があったんですけど、今は全然変わりました。NPO、ボランティアものすごい大事やと。官僚の皆さんの対応も、やっぱり自分達が紙の上で書く復興計画が全てなんじゃなくて、市民参加であったり一人一人の力をどう引き出すかという風に発想が変わってきました」
「記者が一人も来なかったときも」
「まぁ、政権交代のことですけれど、私は自社さ政権で与党を体験している人間なんですけどね。自分達でやるとなったらうまく行かないことが多いですよね。そういうことは私も体験してきたわけですよ。“自民党の文句さえ言っとったらええ”っちゅうのとは違うて(苦笑)。自分達でやってみ?と言われたときにどこまで出来んねん、という限界点や問題点を思い知ったわけです。
今、自民党で長年、与党をやってた人達も野党を体験したわけですよねー。ですからこれは、やっぱり意味があったと思うんでね。この2年間、いろんな混乱や失望がたくさんあったとは思いますが、これを糧にして次には何を作れるのか?っていうのが私達の責任が問われてます。そういうときに震災が起きたわけで、日本再生と政治の再生も合わさってきたわけです。
日本を再生するためには政治も再生しないといけない。情報公開が基本のキだと思うので、記者クラブだけではなくてもっと開かれた場を作っていくのは、再生に当たっての大きなファクターだと思います。
記者クラブの中にとじこもってると政局報道しかしないって、よく言うけど、私も今回、思い知りましたよ!ボランティアの話は今日いっぱい質問してくれるけども、どこの記者クラブとは言わないが、私が今所属してるところの記者クラブだと“記者ブリーフ(記者への説明会)します”って言っても、一人も集まらなかったもあるんですよ。
だからといって、政局報道を全面否定するわけじゃなくて、政局も必要だと思うんだけども、政治を報道する側の姿勢も変わらなくちゃいけないんじゃないかな?って思うんですよね。もちろん、私らも変わらないと。“このままではあかん”と思っています」
経済復興もいいけど心の絆も
「復興、復興って言うんですけど、経済や町の復興のことは言っても、地域の絆の復興についてはあまり焦点が当たらないんですよね。でも、なんぼきれいなエコタウンが出来たとしても、人の気持ちとか絆が復興されない限り、本当の復興じゃない。そこをボランティアとかNPOが担っていくという重要な役割を果たすということを政府内でもガミガミ言っております」
プロフィール
辻元清美(つじもと きよみ)
1960年奈良県生まれ、大阪育ち。1996年、衆議院選挙に社民党から立候補。比例代表近畿ブロックにて初当選。
2010年、社民党を離党。国土交通委員会与党筆頭理事に就任。震災発生の3日後、災害ボランティア担当の内閣総理大臣補佐官に就任。現在は無所属議員として民主党・無所属クラブで活動中。「新しい公共」調査会副会長、NPO議員連盟幹事長、「一人ひとりを包摂する社会」特命チーム座長代理、日中友好協会顧問など。
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