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超円高で輸出産業が崩壊し、当面、日本の国内投資(雇用)は減少し続けることになる
また社会保障の負担増は継続する
その結果、いずれ円安インフレになり、海外からの食糧やエネルギー輸入も困難になるだろう
その時までには、国内農業の規制を撤廃し、低コストで高品質な食糧供給体制を確保できるようにする必要があるが
実現できる可能性は低い
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110818/222150/?ST=print
日経ビジネス オンライントップ>企業・経営>山下一仁の農業政策研究所
農業を衰退させたもの(1)〜価格政策と農協 減反が国民に二重の負担を課す
2011年8月23日 火曜日
山下 一仁
日本の農政は、異常に高い関税率で国内市場を外国産農産物から守ってきた。コメの関税率778%がその代表だ。にもかかわらず、農業が衰退したということは、その原因が海外ではなく国内にあることを意味している。しかも、農業の中で最も衰退しているのは、最も保護されてきたコメである。野菜、果樹、酪農などでは、主業農家の販売シェアが8割を超えているのに、コメは4割にも満たない。農業衰退の原因は、農業を振興するはずの農政そのものにある。
世界で最初の先物取引は堂島正米市場だった。かつて日本のコメ市場は世界の資本主義の先端を行っていた。しかし、1918年米騒動後の米価低落を契機に、政府は市場への介入を始めた。その後、戦時経済下で食料が供給過剰から逼迫へ転換する中で、1932年に「食糧管理法」が成立した。農家が生産したものを政府が全量集荷し、これを消費者に配給する制度によって、コメ市場は統制経済に移行した。
もともと食糧管理法は、乏しい食料を国民に均等に分配するための消費者保護法だった。しかし、政府は高度成長期以降、農家から買い入れる米価を引き上げて農家の所得を補償する手段として使うようになった。池田内閣の所得倍増計画に便乗し、自民党の政治家は「所得が倍増なら米価も倍増だ」と強硬に主張した。
農業基本法は農家戸数の削減と規模拡大を目指した
さらに、米価の引き上げは1961年に成立した農業基本法が目指したものではなかった。農業基本法は、農家戸数を減少させ残った農家の規模を拡大することでコストを下げ、農家所得を引き上げることを目指していた。所得は、価格に生産量を乗じた売上額からコストを引いたものである。従って、所得を上げようとすれば、価格または生産量を上げるかコストを下げればよい。この当時、食生活の洋風化が進みコメ消費の減少が見込まれていた。売上額の増加が期待できない以上、所得を増やすためにはコストを下げるしかない。
1俵当たりのコメのコストは、1ヘクタール当たりの肥料、農薬、機械などのコストを1ヘクタール当たり何俵収穫できるかという収量(これを「単収」という)で除したものである。規模の大きい農家のコメ生産費(15ヘクタール以上の規模で1俵当たり6500円)は零細な農家(0.5ヘクタール未満の規模で1万5500円)の半分以下である。また、単収が倍になれば、コストは半分になる。つまり、規模を拡大すれば、1ヘクタール当たりのコスト削減と単収向上の2つが達成でき、所得は増える。
農協が構造改革に反対
しかし、組合員の圧倒的多数がコメ農家で、農家戸数を維持したい農協は、このような構造改革に反対した。食管制度の時代、農協はコメ農家の所得向上のため、生産者米価引き上げという一大政治運動を展開した。米価が上がれば農協の販売手数料収入も増加する。「戦後最大の圧力団体」と言われた農協の支援を選挙で受けざるを得ない自民党の圧力により、実際の農政は、農家所得の向上のため米価を上げた。
農協の思惑通り、1960年代以降の生産者米価引き上げによって、本来ならば退出するはずだったコストの高い零細農家が農業を継続した。小売業者からコメを買うよりも、自分で作った方がまだ安いからだ。零細農家が農地を提供しないので、専業農家に農地は集積せず、規模拡大は進まなかった。農業で生計を立てている農家らしい農家が、コストを引き下げて収益を上げようとする道を農政が阻んでしまったのである。
多数の兼業農家を維持すれば、農協は政治力を維持できる。加えて、農業から足抜きしようとしている兼業農家が多ければ、農協は大きな運用益を上げることができる。会社員としての収入や農地の切り売りで得た転用売却利益を農協に預金してくれからだ。毎年の農地転用売却益はピークの1990年頃には7兆円に達した。現在でも2兆円程度もある。
農協はこれを使って、農薬・肥料会社への融資や、協同組合の中で農協にしか認められていない准組合員(地域の住民なら誰でもなれる)への住宅ローン、自動車ローンの融資などを行った。農協は貯金残高83兆円(2008年度)で、国内第2のメガバンクとなっている。農協の全国組織、農林中金は、ウォール街では日本最大の機関投資家として有名だ。
また、農協の共済(保険)事業も、少数の主業農家ではなく、多数の兼業農家や准組合員相手に実施する方が高い収益を上げることができる。農協共済の総資産も43兆円に達し、国内トップの保険会社である日本生命の48兆円に迫る。農家も農協も、米価の引き上げを通じた、脱農・兼業化で豊かになった。農協は、もはや“農業”協同組合ではない。
主業農家が、農協を通さないで産直(産地直送)したり、化学肥料や農薬を極力使わない有機農業を行ったりすると、農協に手数料が落ちない。従って農協は、組合員であっても、このような農家を徹底的に排除しようとした。農協経営にとっては、主業農家よりも兼業農家の方が望ましいのである。
さらに、コメの兼業農家戸数の維持に成功した農協は、それによって得た政治力を住専問題などコメ以外にも活用した。食管制度がなくなった今も農協は、米価が下がると、市場からの買い入れを政府に要求し、米価引き上げを実現させようとする。農協にとって、政治力は最大の経営資産である。高米価による兼業農家の維持は、農協の経済力も政治力も高めることになったのである。農協が米価運動を主導したのは当然だろう。
減反政策がコメの競争力を奪った
米価の引き上げによって、消費は減り生産は増えたので、コメは過剰になった。政府は1970年、過剰生産をなくし、政府買い入れを抑制して財政負担を軽減するため減反を導入した。食管制度を1995年に廃止し、政府によるコメの買入制度をなくした。政府が決定する生産者米価もなくなった。今は、生産量を制限する減反政策によって米価を維持している。かつて減反に反対した農協は今や最も激しい減反支持団体となっている。
減反は生産者が共同して行うカルテルである。しかし、およそカルテルというものは、カルテル参加者に高い価格を実現させておいて、その価格で制限なく生産するカルテル破りのアウトサイダー生産者が必ず得をする。拘束力のあるカルテルが成立するためには、アウトサイダーが出ないよう、アメかムチが必要となる。
政府は現在、農家に対するアメとして、年間約2000億円の補助金を支払っている。この、累計は7兆円に達する。他産業なら独禁法違反となるカルテルに農家を参加させるため、税金を使っているわけだ。国民は高い米価という消費者負担と、減反補助金という納税者負担の二重の負担をしている。
今では、減反面積は100万ヘクタールと水田全体の4割に達している。減反政策を導入するまで増加していた水田は、減反開始後一転して減少し、100万ヘクタールの水田が消滅した。この結果、減反は、500万トン相当のコメを減産する一方、700万トン超の麦を輸入するという食料自給率向上とは反対の政策となっている。
戦前、農林省の減反政策案に反対したのは食料自給を唱える陸軍省だった。真の食料自給は減反と相容れない。農業界が唱える多面的機能の主張も、そのほとんどは水田の機能なのに、政府は減反によって水田を水田でなくす政策を進め続けている。
減反はコスト削減にも悪影響をもたらした。主業農家にも兼業農家にも、保有する農地面積に応じて一律に減反面積を配分したのだ。生産コストを低下させるためには、高コストの「零細兼業農家」にこそ減反面積を多く配分すべきところだ。さらに現場では、一律の配分割合以上に「主業農家」に過重な減反面積を配分した。コメ以外の作物を作る技術も時間もない兼業農家に配慮しての措置だ。コメの生産を減らす減反政策自体、大規模米作のスケール・メリットを損なうのに、減反政策の運用はスケール・メリットをさらに損なうことになった。
総消費量が一定の下で単収が増えれば、コメ生産に必要な水田面積は縮小する。そうなると、減反面積を拡大せざるを得なくなり、農家への減反補助金が増えてしまう。このため、単収向上のための品種改良は、行われなくなった。今では日本米の平均単収は、空から飛行機で種まきしているカリフォルニアのコメ単収より3割も少ない。減反政策がコメの競争力を奪ったのである。
減反は既に限界に近いところに来ている。消費が減少しても、減反を十分に拡大することはできない。当然、米価は低下する。このため、コメを作ると赤字になるコストの高い零細農家は農地を手放している。しかし、受け手の主業農家も、米価の低下によって地代負担能力が低下しているため、農地を引き取れない。両者の間に落ちた農地が耕作放棄地である。畑地も含めると、耕作放棄地は埼玉県の面積に匹敵する40万ヘクタールにも及ぶ
このコラムについて
山下一仁の農業政策研究所
農業は儲からない。
日本の国土は狭く、農業には適さない。
だから日本の農業に競争力はない。
農業貿易が自由化されれば、日本の農産物はひとたまりものない。
などなど。
日本の農業には“弱い者”のイメージがつきまとう。
しかし、これらは本当だろうか?
強くなるための手段を講じてこなかっただけではないのか?
本コラムでは、日本の農業に関するこんな疑問に答えていく。
そして、日本の農業が成長、拡大するための方策を考える。
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著者プロフィール
山下 一仁(やました・かずひと)
経済産業研究所 上席研究員。キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹。
専門は食料・農業政策、中山間地域問題、WTO農業交渉、貿易と環境、貿易と食品の安全性。
1977年に東京大学法学部卒業、農林省入省。
1982にミシガン大学行政学修士、1982年にミシガン大学応用経済学修士、2005年に東京大学博士(農学)
農林省において以下を歴任。ガット室長、地域振興課長、食糧庁総務課長、農林水産省農村振興局整備部長、農林水産省農村振興局次長。
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