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靖国神社=大アメリカ神社東京別院・薩長神社。 無明道 という記事を書きました。
でも後日ふと思ったこと。
一応明治新政府は「全国政権」でありますし、それを標榜して発進しました。
でも靖国は、まあ「官軍側」の英霊しか祭らない。
思えば、戦勝記念もあるが、太閤さんは、方広寺で朝鮮出兵の敵軍の慰霊も行った。
島津義弘・家久父子は、高野山に「両軍の慰霊碑」を建てた。
江戸幕府は、日光東照宮に太閤さんを祭った。また高台寺を保存して太閤さんゆかりの文物を壊さなかった。智積院は、太閤さんの遺児の菩提を祭った寺を改装して、新義真言宗の総本山のひとつになった。隠れキリシタンほど、太閤さんの遺影を祭った神社・お寺の摘発をしてない。多くの秀吉の絵が残っている。
で維新は?
まあ確かに西郷さんは祭った。
でもそれ以外の幕臣側の慰霊は?
まあ中国とか西洋ならわかる。中国でも敵軍の慰霊をした例は多分あるだろうが、日本よりもはるかに希少に思うけど。
明の大軍師・劉基が、朱元璋に進言して実行したくらいか・・
でも日本は、同質性も強く、即占領地の統治をしなければならないことや「怨霊信仰」もあって「敵軍も含めた慰霊」が「正常」だった。
それが抜けている。
朱子学的「名分論」強くなったことと、維新志士たちの報復感情が、強いからだろう。
だが、全国政権を樹立して、西洋列強と伍して生き延びるのに「国民の団結」は不可欠だろうから、必然的に「敵方の死者の慰霊」も重要に思うのだが・・。
このような「いびつ」なことが起きたのは、どうも「同じ天皇を抱く民ではない」という意識がなければ、日本ではありえないように思う。
ありえるとしたら、「南北朝」のような朝廷分立のように思う。
明らかに「同じ天を抱く人間ではない」という意識があったのではないのか?
「南朝側の皇室との取替え」とか「孝明天皇暗殺」も、どうもありえるような感じに思う。
靖国神社は、戊辰戦争で「賊軍」よばわりされた「東北地方」の人たちには、反感をもたれることが多いと聞きます。
東北地方の、まあ自分の子弟が「官軍・軍隊」にいた人は別にして、「エセ慰霊施設」と思われていたようだ。
論理にもならないし結論もでてこないが、靖国神社のもつ「異様さ」は、A級戦犯合祀以前の「発足当時」からあった。と思います。
いわば明治天皇以降の天皇は「戦後」になるまでは、「日本国民の神道最高司祭」でなく「日本国の「薩長側」の神道最高司祭」だったということでもあろうと思います。
「日本全国民の父母」と称しながら、実は「薩長にえこひいきする悪辣な天皇」だったのかも知れません。
偽りの「全国政権の天皇」が明治天皇以降・大敗戦と日本国憲法の施行まで続いていたということかも知れません。
明治以降実は日本は心理的・霊的な「深刻な分裂」があの大敗北まで続いていた。ということであろうと思います。
再見!
http://plaza.rakuten.co.jp/tanpakumeisi/diary/201108190005/
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