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近聞遠見:「ピョンと偉くなっちゃう」=岩見隆夫
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毎日新聞 2011年8月13日 東京朝刊
猛暑続きのなか、永田町が荒れている。
<またぞろ「小沢政局」か>
のタイトルで当コラムを書いたのは昨年暮れだった。9月の民主党代表選で、菅直人首相に敗れ、ナリをひそめていた小沢一郎元代表が、
「今は動けないが、非常時になれば最後は動く」
と述べたのがきっかけである。尖閣諸島事件の失態や柳田稔法相の舌禍などが続いて菅政権には早くもカゲりが見えたころだ。
小沢は政界の非常時を想定していたらしい。3・11東日本大震災はもちろん想定に含まれていないが、大震災の突発で非常時のレベルが数段上がり、案の定、小沢は動き始めた−−。
菅首相の退陣が確定したのが10日、その夜、与野党議員たちは会合に顔を出すと、
「143人だぞ」
と口々に同じ数字をあげた。この日、小沢が狙いを定めたように参院議員会館で講演会を開き、それに出席した衆参両院議員の数だ。
ポスト菅争いの本番を前に、党内最大勢力の結束を誇示したもの、とだれもが受け取り、緊張した。出席した1人は、
「だれかを担ぐというのではない。ただ、いまの政界はヘソがないでしょ。不安ですよ。だれだって犬死には嫌だから。(集会に)顔を出したくなるんだ」
と群れようとする議員心理を語った。
小沢攻勢の第1波は6月2日である。野党提出の菅内閣不信任案が採決された日で、当初小沢グループを中心とした約100人が賛成に回ると予想され、可決しかけた。しかし、菅が条件つきの退陣予告をしたことで小沢はホコを収め、修羅場はとりあえず回避されたのだ。
のちに菅首相は、
「あれは小沢さんの復権が狙いだった。造反が30人ぐらいなら(退陣発言もなく、党は)分裂したかもしれないが、もっと増えそうなので、あの発言になった。まあ成功だったのでは」
と述べたという。小沢の復権阻止に成功した、という意味である。
菅を最後まで支えた国民新党の亀井静香代表は、
「小沢を座敷牢(ろう)から出せ」
と党員資格停止処分の解除を再三求め、鳩・菅・小トロイカ再結集構想まで用意したが、菅は乗らなかった。首相としての菅は激しい批判にさらされたが、<脱小沢>路線は貫いたと言える。復権すれば、また親小沢と反小沢の泥沼政争がぶり返し、民主党が崩壊するだけでなく、政治全体が衰弱するという危機感からだ。
さて、今回の第2波である。トロイカ体制は崩れて、菅は去り、鳩山由紀夫前首相は小沢側につき、<小鳩体制>などと言われる。小沢が推す候補が代表選の台風の目になりそうな構図だ。
だが、近く刑事裁判の被告席に座る小沢が、新首相決定の主導権を握るとすれば、異常なことである。しかも、小沢は先日、
「いまの民主党の欠陥は、俗に言う<雑巾がけ>、基礎的な鍛錬、基礎的な勉強をしないでピョンと偉くなっちまったヤツばっかなんだよ。だから危機が起きるとどうしていいかわからなくなるんだ」
と述べている(5月31日、元秘書、石川知裕衆院議員との対談で)。その通りかもしれないが、いまの民主党は新リーダー不在、小沢はリーダーの育成を怠ったことを告白しているようなものだ。
次の新代表は<つなぎ>でしかなく、小沢は早々に無罪を確定させて、復権(首相就任)を果たそうとしている、という説もある。しかし、それは世間の多数派が受け入れない。(敬称略)=毎週土曜日掲載
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