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政治劣化の原因は
制度ではなく人にあり
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3月11日の東日本大震災後、わが国では政治が行われていないと私は思っている。
形だけの内閣であり、役割を自覚しない国会、これでは国が滅びることを待つしかないのか、と怒る国民が日に日に増えている。
大震災と大津波そして原発事故は、未曾有の人的物的被害をもたらしたが、さらなる悲劇は国家の統治機能を失わしめたことだ。
国会や政党が大震災に対応できないだけでなく、自己崩壊し、政治不信を通りこし、政治否定の大津波を起こしている。
その原因について、私はこのブログで何回か、現在の政治家たちの多くが、政治の本質や人間とは何かを知ろうとしないことにあると述べてきた。
しかし、それだけでは当面の問題の解決にならない。
政治家たちはこれから何を学ぶべきか、それを具体的に考える必要がある。
いろいろな方策があるが、私が気にかかるのは、多くの国会議員が自分の地位や権限の重大さを認識していないことだ。
ポストに就くと空威張りしたり、何をやってよいのかわからない議員も大勢いる。
勿論、専門的知識や政策に詳しい政治家もいるにはいるが、それを政治の中でどう生かすか、ということになるとパフォーマンスしか知らない。
昭和時代の政治家に共通していたのは、国会の基本的手続を知っていたことだ。
当選したばかりの政治家は、まずこれから勉強したし、それを知る仕事から活動を始めた。
同時に国会に関係する歴史や教訓を、先輩の活動の中から学んだものだ。
最近の若い国会議員たちは、そういった国会の基礎知識を学ぼうとしない。
関心がないのか、有名大学出身者ほど受験の対象でないため高校時代に学んでいないようだ。
それに民衆の代表が政治に関わるようになるため、それぞれの国でも厳しい闘争があったということを知らないのだ。
議会民主主義国家が成立するまでに、どこの国でも血と汗と涙が流されているのだ。
そういうことを心の底に置いて政治に当たってもらいたいものだ。
そこで「急がば廻れ」の格言にそって、わが国で議会政治がどういうプロセスで導入されたかについてまとめてみることにした。
年内には法律専門出版社の「信山社」から出版する予定だが、『議会政治の誕生と国会─崩壊と再生への道─』というものだ。
第一編の「議会政治の誕生」の執筆が終わったばかりだ。
幕末の混乱から明治維新を通じて、自由民権派と専制政府との争いの中から、明治22年に明治憲法が発布され帝国議会がスタートするまでの歴史である。
執筆中に感じたことだが、安政の大獄といわれる幕府の弾圧という政治闘争から、戊辰戦争・西南戦争等々、さらに各地での一揆、過激化した民権派の焼き討ち、専制政治の弾圧など、人々から流れた血と汗と涙の結晶が、明治憲法であり帝国議会であった。
こう思えてならない。
多くの若い政治家たちは、敗戦の占領体制でつくられた新憲法による国会しか頭にないようだ。
それは敗戦の原因が、明治憲法や帝国議会にあると思っている日本人が多いからだと思う。
戦後、学者やマスコミがそういう考えを誘導した。
制約された民衆の代表と制限された権限の帝国議会と形の上では世界一民主的な制度の国会を切断して、近代国家として成立した歴史を凍結させていることにある。
どんなに立派で理想的な制度を持っていても、それに関わる為政者が人類の普遍的原理と常識を持っていないとすると、その国は滅びていく。
現在の日本の場合、菅首相だけが問題ではない。
菅直人という人間を利用して、政権交代という美名で政権を私物化した人たち、というかその内ゲバ文化に問題があると思う。>>
(私のコメント)
本当に尊敬できる政治家がいないですね。ポスト菅で救国の内閣を造らなければいかん時でしょう。与野党の現衆議院議員の中で最もふさわしい人は誰でしょうか。頭が良くて、体力があって、品があって、外国とも対等に渡り合える、尊敬に値する人がいない。何よりも日本国がどのような危機に陥っているかをどこまで知っているのだろうと思ってしまう。時間がないと言うのに何をやっているのだろうですね。
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