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毎年8月は戦争に思いを致す月なのだが、東日本大震災と東電原発事故のあった今年は、原爆と原発をリンクさせることから逃げてはならないと考えている。だが、8月6日の松井一実・広島市長の「平和宣言」はそれから逃げるものだった。
この平和宣言の中に、
今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させるものであり、とても心を痛めています。
というくだりがあるが、66年前の広島と今年の東北は違う。地震は天災だが、戦争は人災だ。さらにいうと、津波は天災だが東電原発事故は人災だ(ちなみに、東電原発事故は、単に津波による全電源喪失だけではなく地震動によって原子炉の配管などが破壊されたという説が有力だ)。その東電原発事故に関して、
「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。
と片づけられると、これはもう力が抜けてしまう。今年ほど広島の「原爆記念日」で脱力感を抱いた年はなかった。
菅直人首相はかろうじて「脱原発」を「個人の考え」としてではなく政府の立場として表明したが、既に経産省の人事争いで海江田万里−経産省官僚のラインに敗れ、原発輸出の継続を閣議決定したとあっては、その言葉に説得力があろうはずもなかった。
当日の朝日新聞も、BLOGOS編集部などは毎日新聞ともども「特集満載」だったと書くのだが、原爆特集は紙面の中ほどに追いやられていて、何か力を感じなかった。毎日新聞はどうだったのかなともちらっと思ったが、確認しようという気にもならなかった。毎日新聞の原発報道にもっとも力が入っていたのは震災直後で、これは主に社会部の記者たちの活躍によるものだったのだろう。原発推進派だった岸井成格を転向させるほどの力があったが、同紙の政治部長は頑迷固陋な保守派であって、「脱原発」の言論が活性を失ってきた現在、同紙も政治部や経済部の悪弊が目立つようになって、最近ではあまりパッとしない印象を持っている。
首都圏では東京新聞(名古屋の中日新聞が親会社)がもっとも「脱原発」に力を入れている新聞だが、同紙も定評のある社会部の記者たちの奮闘には敬意を表するけれども、論説面では高橋洋一に近い論説副主幹の長谷川幸洋がリードする形となっていて、手放しでは賛意は表せない。その長谷川幸洋はこんなことを書いている。
首相官邸サイドは先週から、改革派官僚として知られた古賀茂明官房付審議官に数回にわたって電話し、事務次官更迭を前提にした経産省人事について相談していた。そこでは次官の後任だけでなく、海江田経産相が辞任した後の後任経産相についても話が出たもようだ。
このタイミングで古賀に相談したのは、当然、古賀自身の起用についも視野に入っていたとみていいだろう。少なくとも、官邸サイドが「改革派の起用は論外」とは考えていなかった証拠である。
経産省のスパイとなる官僚は官邸にいくらでもいるから、官邸サイドが古賀に接触したのは経産省も知っていたはずだ。そんな動きを察知して、経産省が先回りして松永ら3人のクビを自ら差し出し、引き換えに後任人事を牛耳ろうとしたのではないか。
2日に海江田が官邸を訪ねて菅に後任を含めた人事案リストを提示した段階では、問題が決着していなかった。朝日が4日朝にスクープしてから、経産省は一挙に勝負に出て同日午後、なんとか安達昇格の発表にこぎつけた。そんなところではないか。
この長谷川の推測が当たっているかどうかは私は知らない。ただ、あらゆる情報は海江田と経産官僚は一枚岩、というより海江田が経産官僚の言いなりになっていることを指している。例の海江田の記者会見にしても「人事権者はあなたなんですよ」と念を押された操り人形の言葉とでも解さなければ意味が通じないものだった。
とはいえ、「改革派官僚」の古賀茂明を手放しで礼賛する、一部の「脱原発派」の論調にも私は与しない。ベストセラーになっているという古賀の著書を本屋で手に取ってページをめくってみたが、買って読む価値はないと判断した。私は当ブログでも別ブログでも古賀茂明を取り上げたことは一度もなかったはずだ。
だが、古賀茂明は評価しないけれども、今回の東電原発事故を引き起こしたばかりか、数々の問題が明らかになった原発を維持することなどとんでもない、そのことだけは確かだろう。あの東電福島第一原発の近くに再び人が住めるようになるのはいつのことだろうか。おそらく今世紀中には不可能なのではないかと思う。世論調査でも、「脱原発・反原発」の世論は、およそ7割から8割を占める。
それでも動けないのが権力機構というものなのだろう。「ポスト菅」として名前の挙がっている政治家たちが、ことごとく菅直人程度の「脱原発」の姿勢さえ示せないことは、当ブログでも少し前から論難しているが、最近よく頭に浮かぶアナロジーは、先の戦争に敗れた日本政府が占領軍に憲法改正案の作成を要求された時、松本烝治らが国体護持を基本として明治憲法から大きく踏み出すものではなかった憲法草案を提出して、GHQにあっさり否定されてしまったことだ。今の民主党を見ていると、当時の日本政府と同じではないかと思えてしまう。
憲法に関しては、マッカーサー草案を下地とした日本国憲法が制定された。右翼はこれを「押し付け憲法」として否定するが、GHQが叩き台とした憲法研究会の憲法草案は、古くは植木枝盛らの思想なども反映されており、日本にももともと下地があったものだ。そもそも当時「国体」と称されていたものには、明治以来80年弱の歴史しかなかった。
とはいえ、GHQの強制力なくして平和憲法が生まれなかったのは事実だ。外国からの強制力のない現在、いかに「脱原発」を実現していくかはわれわれ日本国民に問われているのだ、そうずっと思っている。
東電原発事故後、特に5月か6月頃から、書店に大量の「原発本」が並ぶようになった。その大部分が「脱原発・反原発」の立場に立つものだ。つまり、「脱原発」はもはやコマーシャルベースに乗っている。東電原発事故の直後にテレビ番組で過激な原発擁護発言を行った勝間和代の人気が、その後勝間が「脱原発」への転向を表明したにもかかわらず凋落気味であることなど、「原発推進」の方が「金にならない」のが現状だ。
しかし、東電原発事故後に新たに出版された「脱原発」本の多くは、私の心をとらえない。私が読んで「これはいい」と思ったのは、高木仁三郎著『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書, 2000年)や鎌田慧著『原発列島を行く』(集英社新書, 2001年)など、東電原発事故以前に出版された本がもっぱらだ。内橋克人『日本の原発、どこで間違えたのか』(朝日新聞出版, 2011年)も、中身は非常に良い。ただ、事故後あわてて編集されたらしく、初出が明記されていないなどの難点がある。この本では、80年代に取材を始めた時には原発に対して中立だったと思われる内橋氏が、取材を重ねるうちに原発に疑問を持つようになったことがよく伝わってくる。
ところで、現在の国政および地方行政の関係者では、自民党も民主党(菅直人も小沢一郎も含む)も「原発」にがんじがらめになっているところに、一件奔放に「脱原発」を論じているかに見えて人気を集めている橋下徹のことがどうしても頭に引っかかる。橋下は、巧みに民意の多数を占めながら国や地方の政治家がなかなか踏み込めない「脱原発」にポジショニングすることで自らの人気の浮揚を狙っている。
たまたま昨日から佐野眞一著『巨怪伝 - 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文春文庫, 2000年=単行本初出は1994年)を読み始めている。まだ上巻の半分ちょっと、第5章までしか読んでおらず、原発どころか終戦にさえ至っていないが、正力松太郎とは橋下徹に似た人間だったんだなという思いを持ち始めている。
「原子力の父」と言われた正力松太郎は、最近では「ポダム」とのコードネームを持つCIAのエージェント、という印象が一人歩きしているきらいがあるが、正力がアメリカに忠誠を誓う「ポチ」だったわけでは全くない。警察官僚時代の関東大震災の時には「朝鮮人の煽動」のデマを自ら撒き散らして朝鮮人虐殺を招く張本人となったり、王希天虐殺事件の真相を知りながら沈黙を貫いたりなどの悪行で知られるが、1924年に事業が傾いた読売新聞を買収するや、戦時中には読者の目を引く戦場の写真を大きく掲載するなどの扇情的な紙面作りによって部数を大きく伸ばした。
以上の点が、タレント弁護士時代には光市母子殺害事件の弁護団懲戒請求を煽るなどの悪行で知られながら、当初劣勢を予想された大阪府知事選を圧勝で制するや、次々と人気とりの政策を打ち出しては大阪府民の拍手喝采を得て、現在は気に食わない平松邦夫・大阪市長を追い落とそうと躍起の橋下徹と重なり合う。
1923年の関東大震災では、東京の新聞が大打撃を食い、大阪に本社を持つ朝日(東京朝日新聞)や毎日(東京日日新聞)が勢力を拡大したが、朝日も毎日も大阪本社でお家騒動があり、朝日の騒動によって社を追われたリベラル派の記者が読売に流れ、正力による買収以前の読売は、東京でもっともリベラルな新聞だった。それを正力は、センセーショナリズムを売り物にする紙面が特徴の新聞に変えてしまい、戦争も利用して部数を拡大した。といっても読売の特徴は国家主義ではなく、あくまでセンセーショナリズムだった。もちろん私は「朝日・毎日=善玉、読売=悪玉」などという立場に立つものでは全くない。東京日日新聞の幹部は、正力暗殺を企て、正力は暴漢に襲われて大怪我をしたこともあった。その事件には、正力を快く思わない警察の一部が関与していたというのだから驚きだ。
正力が育てた読売は、その後正力自身の原発推進によって、現在でも原発推進勢力の中枢を占める。橋下徹が育てたものは、いったい日本にいかなる災厄をもたらすのか。現時点では想像もつかない。
尻切れトンボになったが、時間切れでもあり今回はここまで。この続きを書くかどうかは気分次第だ。きまぐれな個人ブログのこととて、ご了承いただきたい。
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