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http://diamond.jp/articles/-/13550
【第187回】 2011年8月11日
菅首相が退陣を表明した。
特例公債法案、再生エネルギー法案の成立後、民主党代表選によって新代表が選ばれた後、自ら辞任するという。昨日の衆議院財務金融委員会で初めて具体的に明言した。
すなわちこれが「一定のめど」だという。とくに再生エネルギー法案の成立を自らの退陣の花道にすることでどうにか面目を保った形だ。
〈昨日、原発の安全チェックの仕組みが、具体的に大きく前進しました。総合的な安全評価(いわゆるストレステスト)の手法と実施計画が、原子力安全・保安院によって策定され、その報告を受けたのです〉
■結果的に「一定のめど」は 原発安全管理の“脱・経産省”だった
7月22日、菅首相は自らのブログにこう書いた。経産省によるものではない原発の安全管理体制の変更こそが、結果として、菅首相のいう脱原発の「一定のめど」だということになったようだ。少し長くなるが、先を引用してみる。
〈今回の件では、「ストレステストの必要性についての私の指示が遅かった」ことで、関係者に大変ご迷惑をおかけしました。しかし、ことの本質は、「原発を推し進めてきた経産省に属する保安院だけで、原発の稼働再開に関する安全基準を決め、自ら判断する、というやり方で良いのか」という点にあります。《段取りの問題》は反省しますが、《仕組みの問題》はより重要です。
近い将来、抜本的な安全基準や体制の見直しが必要ですが、それが出来上がるまで手をこまねいているわけにはいきません。当面は、保安院だけでなく、独立機関である原子力安全委員会にも関与してもらいながら、現実の安全チェックを進めてゆかねばなりません。
実際、昨日の実施計画決定までには、【安全委員会からの要請(今月6日)⇒保安院による計画案提出⇒安全委員会からの強化指示⇒保安院による修正⇒安全委員会が妥当と確認(昨日)】という経緯がありました。あまり報じられていませんが、「保安院だけで決めて良いのか」という問題の核心は、制度的変更を待たず、事実においてクリアされつつある状態です。
(略)
手間はかかりますが、これは必要な手続きです。国民の安全、安心のために〉(カンフルブログ/7月22日号)
http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/07/20110722-2.html
■「原子力保安院」を 環境省の外局に
その新しいチェック体制の構築を模索する中で、菅首相が指示を出したのが環境省の外局としての「原子力保安院」である。昨日10日、菅首相は直筆でブログにこう書いた。
〈6日と今日(9日)、66年目の広島・長崎を訪ねました。両日とも、被爆者の皆さんや、去年から政府が委嘱を始めた「非核特使」の皆さんから、お話を伺う時間を持ちました。(その本題については、機会を改めて記します。)この席で、何人もの方から東電福島原発事故を心配する発言があり、原発に依存する社会から脱していって欲しいという強い希望が語られたことは、大変に印象的でした。
私自身も、式典の挨拶では、先月13日の会見で明示した《脱・原発依存》の方針を改めて表明しましたが、ただ言葉を繰り返しているだけではありません。先月13日と今現在を比べると、言葉の裏打ちとなる実務は、着実に前進しています。今まさに、この方針を推し進めるための《行政の仕組の変革》が、目に見える形で始動したところです。
これまでの体制の抜本的な打破に向けて、車の両輪のように頑張ってくれているのは、海江田経産大臣と細野原発事故担当大臣です。まず海江田大臣は、 経産省の原発関連の「人心一新」を考え、現在の事務次官、原子力安全・保安院長、資源エネルギー庁長官を一斉に交代させることを先週発表しました。国民の皆さんの信頼を取り戻すべく、この姿勢でどんどん進めて頂きたいと思います。
一方、細野大臣は、先週末、原子力安全規制に関する新組織のあり方について「再編試案」をまとめました。所属は内閣府か環境省か、といった点の詰めは残っていますが、肝心なのは、これでついに原子力安全・保安院の原子力安全規制部門が、経産省から切り離されるという点です。私がずっと問題視してきた、“推進側と規制側の同居”構造は、これで解消されます。
いついかなる時も最優先されるべきは、《国民の安全》です。ところが今までの原子力・電力行政は、一部の既得権や企業の利益を時に優先させかねず、“原子力村”などとも言われてきました。中味(人事)と器(組織)の入れ替えで、もう後戻りはさせません〉(カンフルブログ・先を見すえて/8月10日)
http://kanfullblog.kantei.go.jp/saki_wo_misuete/
■最後の最後に見せた「原子力ムラ」権限奪取 の意思
原発事故後の菅首相の対応は まったくお粗末極まりないものだった。
放射能事故の隠蔽に加担するかのように、過小評価を繰り返し、東京電力や原子力保安院の偽情報に踊らされて、結果として情報隠蔽に加担し、多くの住民を被曝させてしまった。その悲惨な状態はまだ改善されていない。
だが、その中で唯一、せめてもの償いとして評価できるのが、安全規制部門の内閣府か環境省への移行という原発チェック体制の「再編試案」だろう。もちろん、それとて万全ではないが明らかな前進であることは確かだ。
もちろん、霞ヶ関内での内閣府や環境省の相対的な弱さから、多くを期待することはできない。だが、少なくとも、首相が「原子力ムラ」の存在を指摘し、そこから権限を奪い取る意思を見せたことは率直に評価するべきだと思う。
菅首相は自らの花道を探していたのだ。これで成仏できるだろう。枝野幸男官房長官の度重なるデマ会見や、下村健一補佐官の記者クラブ制度に対する機能不全は残念だが、かろうじて「一定の結果」を残した菅首相を見送ろうという気持ちを持つことも悪くないのかもしれない。
なにしろ、原発処理や復興の最大の障害がこの内閣であったのだから――。
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