http://www.asyura2.com/11/senkyo117/msg/696.html
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*p1*[机上の妄想] モンゴル核廃棄物系暗部とつるむ擬装安全型「原発一穴国」ニッポン、その技術神話を批判する「緑の党」の役割(技術神話の限界についての論考)
<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧下さい。http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20110808
[f:id:toxandoria:20110808235307j:image:right]
【プロローグ動画】 Lara Fabian - Pas sans toi (I won't live without you)
[http://www.youtube.com/watch?v=YfjMjBTDqLM:movie]
【参考画像】ブリューゲル『イカロスの墜落』
[f:id:toxandoria:20110808213137j:image:w640]・・・Pieter d. A. Brueghel(the Elder/ca1528-1569):Landscape with the Fall of Icarus、c. 1558 Oil on canvas, mounted on wood, 73.5 x 112 cm; Musees royaux des Beaux-Arts de Belgique, Brussels
1 ブリューゲル『イカロスの墜落』が問いかけること(本来のジャーナリズムの役割)
ピーテル・ブリューゲル(the Elder、父)の絵画『イカロスの墜落』について、実に興味深い研究成果が明らかとなっている。ただ、このアカデミック研究の”落ち”は些か“尾篭な墜落”だ。
ここで紹介する“尾篭な墜落”は、日本原発の安全神話とは異なり決してヤラセではない客観的な学術研究の「誠実な成果」である。だから勇気を出し直視しなければならない。それこそが昔懐かしい「クソ・リアリズム」の眼であるから。
主にアントワープとブリュッセルで活躍したピーテル・ブリューゲル(父)が当時としては格段の知識人であり、彼の絵には社会的な矛盾や時の暴政の真相 (スペイン帝国によるフランドルへの過酷極まりない圧政など)を暴き、それをリアルに伝えようとした強い意志の存在が潜むことが知られている。しかし、今回、改めてこの『イカロスの墜落』を観て再認識させられたことがある。
[f:id:toxandoria:20110703151829j:image:right]一般に、ピーテル・ブリューゲル(父)の初期の作品、例えば『狂女フリート』(参照⇒http://bit.ly/rdVC79)などは明らか にヒエロニムス・ボッスの影響を受けており、幻想的かつ悪魔的で「奇怪な世界の風景」を描いている。そして、その絵の地平で赤々と燃え盛る血のような空の色はフェリペ2世による「スペイン帝国の圧政がもたらす残酷な戦争」を象徴していると考えられる。
15世紀後半からフランドル地方の支配者はブルゴーニュ公家からハプスブルグ家へ代わるが、特に、16世紀前半に父カール5世から当フランドル地方の統治を引き継いだスペイン王フェリペ2世の中央集権的で強権的な支配と新教徒への弾圧は過酷で阿鼻叫喚を極めた。一方、そもそも13世紀頃から自治都市の伝統が根付いてきたフランドル地方は、欧州における二大交易圏(フランドル、北イタリア)の一つとして、近代資本主義的な経済発展の土壌を準備しつつあった。
中でも、16世紀前半のアントウエルペン(現代ベルギーのアントワープ )にはヨーロッパ中から貿易商人たちが集まっており、南ドイツのフッガー家、ウエルザー家らの大商人や金融業者たち、あるいはメディチ家など北イタリア諸都市の金融業者らの支店や代理店が立地し、ヨーロッパはもとよりアフリカや中東方面からやってきたムーアやアラビアの商人たちも加わり大変な賑わいぶりを見せていた。
ピーテル・ブリューゲル(父)が生きた時代は、このように「圧政・抵抗・戦争・内乱」と「グローバリズム経済の急速な進展」という二つの異なる顔を見せる激しく、非常に多様なダイナミズムに満ち溢れた、まことに激しい時代であった。
『イカロスの墜落』の上半分の左奥には繁栄する自治都市(おそらくアントウエルペン)が見えており、右手の中央には活発な交易経済(グローバル化した市場・貿易経済活動)を象徴する大帆船が描かれている。他方、画面は右下がりの対角線によって上下にハッキリと分かれており、画面の左半分(下)を占めるのは牧歌的な田園風景だ。
そして、画面の右下の海面では、<糸と蝋で鳥の羽根を繋ぎ固めて作った翼>で太陽へ向かい、無謀にも太陽へ接近し過ぎたため、その蝋で出来た羽が溶けて墜落したイカロス(ギリシア神話で科学技術知の祖とされるダエダルスの子)が溺れかかっている。それにしても、この傲慢で愚かなイカロスのエピソードは、なんと現代日本の<原発絶対安全神話の失敗>に酷似するではないか!
画面の左半分(下)には、そもそも殆どグローバリズム経済とは無縁と思われる農夫の日常生活、つまり農夫の仕事の風景が描かれている。彼は、この絵の主役(普通の人々、庶民の象徴)であるらしく、そのため一番大きく描かれた人物像ではあるが、彼は、日常の仕事である農作業に夢中であるためか、イカロスが海中に落ちた水音など(傲慢・擬装化したグローバル市場・貿易経済の暴走がもたらす悲劇・悲惨・過酷事故の叫び声)は全く聞こえず、まるで我関せずのように見える。
また、中央に小さく描かれた羊飼いも墜落して海に堕ちたイカロスと反対側の空をポッカーンとした表情で見上げているが、彼は何をノンビリ見ているのだろうか?このピーテル・ブリューゲル(父)『イカロスの墜落』でもう一つの大きな謎は、肝心のダエダルス(科学技術知の祖とされ、自分の息子イカロスに蝋で作った人工の羽を付け、それで飛翔することを勧めた“科学技術安全神話”の責任者である父親)が画中の何処にも描かれていないことだ。真犯人は隠れているのだろうか?
しかも、この絵の全体には不思議な静寂と共に一種独特の清澄な空気に包まれた不思議な美しさが、言い換えれば、<何か分らぬが殊更めいた必要以上にクリーンな空気>さえもが漂っているように感じられる。また、解像度の関係からネット画像ではハッキリ見えないが、実際の絵では「大きな農夫」が進む道の先の木陰(両側から木で挟まれた奥の部分)には、上向きに横たわる人間(死体?)の頭部のようなものが描いてある。
[f:id:toxandoria:20110808213138p:image]そのため、このピーテル・ブリューゲル(父)『イカロスの墜落』のモチーフについては中世的な<メメント・モリ/Memento mori、死を想え>の教訓、つまり<常に死と地獄を忘れず意識して日々に善行を積みつつ生きよ!>という、如何にも<脅迫宗教に仕える御用神学者が語りそうな倫理的教訓>だという訳で、いわば<オーソドックスで上品な伝統アカデミズム的解釈>が今まではほぼ定着してきた(画像はウイキメディアより)。
ところが、驚くべきことに、近年の赤外線写真を使った科学的調査と綿密な学術的検証の結果、その人間の頭部のように見えたモノが実は死体の頭部などではなく、なんと<今まさに汚い野糞を垂れている男(悪徳まみれで強欲な実効権力者)の尻>であることが分かったのだ(出典:ベルギー王立美術館発行の図録解説、p10記載)。
どうやら、この絵の修復時に、その草藪の中でムカつくような野糞を排泄する毛むくじゃらの汚い尻が人間の頭部に描き変えられていたようなのだ。つまり、その大変な苦労を伴う緻密な描き変え作業は、このピーテル・ブリューゲル(父)の絵を修復した者の余計な配慮であった訳なのだが、お陰で、近年の美術史研究者の間では、この絵の不可解な謎が却って益々深まるばかりとなっている。
美術史上の専門的解釈はともかくとして、より自由な視点で、もう一度、このピーテル・ブリューゲル(父)の絵を眺めてみる・・・と、どうやら<殊更に美しく立派で無謬性を主張する価値観、過剰なまで完璧さを強調する倫理的な空気、もっともらしい科学知的な大義名分の標榜』(実は、まことに逆説的だが、表面的な鑑賞眼で見たとき、この画面は、これら擬装的な無謬性がもたらす一種の美の極致を見事な絵画として完成させている!)などには十分気をつけるべし、決して騙されぬよう注意せよ!>という非常に深く重い教訓が、そこに隠れていると思われるのだ。
つまり、我われは、無責任な立場で超法規的特権を弄ぶ原子村の御用学者や電力マネーにたかってきた政治家と政府高官、あるいは電力独占の立場で超高給を食む電力会社の重役さんらが、原発は最先端の科学知と技術知の成果である絶対安全でクリ―ンな電力供給源だと、我われを脅したり、すかしたりして、その無謬性と完璧さを声高に叫んだとしても、原発は<周辺環境から全地球環境に対し、まったく糞も垂れず、小便もせず、屁も放(ひ)らずなので安全>である訳がない、つまり<原発の実像はトイレのないマンション>ではないか、と初めから強く疑うべきだったのだ。
ところが、それどころか、ポスト3.11の今に生きることとなった我われが、安全でクリーンなはずの原発が、<糞も垂れず、小便もせず、屁も放(ひ)らず>どころか、全世界に向けて恐怖の放射性物質(原子炉が垂れる野糞、これに放射性廃棄物も加わる)を凡ゆるルート(大気中へ、海中へ、土の中へ、河川へ、地下水系へ、動植物の体内環境から食物連鎖系へ、そして我われ日本国民の体内環境系へ・・・)で撒き散らしつつある惨劇の目撃者となってしまったことは、もはや繰り返すまでもないことだ。
ポスト3.11の日本の現状を翻れば、このピーテル・ブリューゲル(父)『イカロスの墜落』には未だ救いがある。それは、仮にその<草藪の中で野糞を垂れるムカつくほど汚い毛むくじゃらの男の尻>が実効権力者らの悪徳の象徴(図像)であるとしても、そこで<排泄された汚い野糞>は微生物により分解処理され自然界の物質循環系の中へ取り込まれるか、あるいはそれを拾った別の農夫が肥料として再利用し得る余地があるからだ。
一方、<原発が放出し垂れ流す屁、尿、野糞=放射線、放射能物質、放射性廃棄物>が、プルサーマル(核燃料サイクル)以外には再利用方法がないことは周知のとおりだ。無論、プルサーマルで得られるプルトニウム(MOX燃料)にしても高速増殖炉が実用化できなければ無意味で危険な厄介もの以外の何物でもない訳だ(関連参照⇒後述の『技術神話a』)。
更に、詳細は後述するが、仮に高速増殖炉が2050年に実用化できたとしても(このこと自体が極めて怪しくなりドンドン先送りされつつある!)、所期の目安通りのプルトニウムが生まれるまでには、更にそれから90年もかかるという計算結果が電力会社自身から出されている。実に、「もんじゅ」の実験を経て高速増殖炉が完成したとしても、最短時間で140年以上も未来の話で、しかも、そのことが更にドンドン先送りされつつあるというのだ。
果たして、これが現実的なエネルギー計画と言えるのだろうか?そして、現時点の見通しでは「もんじゅ」(原型炉)だけに掛る総費用累計額が約8兆円程度(計画年度2050年迄・・・先送りになれば追加が必要)とされており、これが更に先送りになれば、予算別途計上が必要な「実証炉」⇒「営業炉」が完成する140〜200年以上も後の時代までに幾ら掛るかは神のみぞ知ると言うことになりそうだ。
果たして、この非常にリスキーとされる「もんじゅ」プロジェクト(万が一にも事故れば、関西・北陸辺りが高リスク放射能汚染地となる恐れがある?)が先端的な科学技術知の成果だといえるのか、甚だ疑問である。先進諸国では疾うに見放された過去の遺物的で無意味なプロジェクトではないのか?因みに、過去40年間を概観すれば、「六ヶ所」(完成まで30兆円?)と「もんじゅ」以外の原発に投入された資金累計額は少なくとも既に50兆円を超えている。何やら、これらの数字の累計額は米国のイラク・アフガン戦争に投入された戦争経費の累計額約100兆円を連想させてゾッとするものがある。
ともかくも、このように複数の絵画要素的なキャラクター・イメージを巧みに組み合わせるという仕掛けを画面の中へ効果的に嵌め込んで実効権力者あるいは政治・経済・宗教的権威などに対する批判のメッセージを発信すると共に、その実効権力者らに対する十分の警戒と用心の必要性を絵画鑑賞者へ深く印象づけるような描画手法はピーテル・ブリューゲル(父)に限らず、同時代のネーデルラント絵画で広く共有されていたことのようだ。
ピーテル・ブリューゲル(父)が、そこで我われに伝えようとしたことを現代日本風に表現するならば、地球環境を絶対に汚さない、完全無欠で非常にクリーンな日本の原子力発電は、巨万の国家予算(国家の主権者たる国民の税金)を湯水の如く浪費しつつ巧妙に麗しく擬装的に飾り立て、かつ現代日本における最先端の科学技術知を総結集して虚飾的に絶対安全が演出されたヤラセ(ウソ)であった、ということになるだろう。
これは、何という驚くべき尊大さなのだ。それは、善良な一般国民層を誑かす目的で数多の御用学者らを総動員し、徹底的に擬装・粉飾された<国家詐欺/ヤラセ型大義名分の捏造>ではなかったのか。日本の原発は、我われが最も注意深く目を凝らしつつ警戒・監視し、常に厳しく批判すべき暴政の賜物、つまり<反国民主権的な史上最悪の擬装プロジェクト>であったということになるのではないか。
しかも、最早、この大いなる<原発の嘘>については、まことに残酷なことではあるが、3.11フクシマ原発過酷事故と周辺市町村住民らの悲劇的犠牲のうえで徹底的にその正体が暴かれてしまっており、<日本の原発は絶対に地球環境を汚さず安全でクリーンだ>などという、いま思えば真に不埒な言説が全くのデマゴーグであることが世界中の人々の目前で見事に実証されてしまったのである。
ところで、これは面白いことだが、経済活動の成果(豊かな実りと果実)を庶民のためではなく自らの子々孫々と仲間内の持続的繁栄のための種蒔き(あるいは自らと仲間内の未来の肥やし)にしようとする強欲なホンネ(実効権力者の隠れた思惑)をカムフラージュするためかも知れぬが、その時々の権力者たちには、このような「表面的には実効権力者たる自らに好都合な倫理的空気に満ちており、そして見た目にとても美しい絵画」を好むという傾向があるようだ。
このため、ブリューゲルの時代(16世紀)の実効権力者たちの多くは、ブリューゲル(父)らが巧妙に仕掛けた権力批判の意図には殆ど気がつかず、これら同時代の巨匠たち、例えばブリューゲル一族(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB)、ヒエロニムス・ボッスらの絵画のパトロンにさえなっていたという事実を見逃すべきではないだろう。
そして、今や殆ど実効権力サイドの御用広報係となった現代日本のマス・メディアは、このようなピーテル・ブリューゲル(父)らの逆説的仕掛けの中に、彼らが再び本物のジャーナリズムとして蘇生するための重要なヒントが隠されていることを思い知るべきだ。言い換えれば、それこそが、イメージ(ジャーナリズムの場合は主に言説)の巧妙かつトリッキーな配置で実効権力側の偽善と悪意を徹底的に暴くことが可能だとする、ブリューゲル(父)らのジャーナリズム精神の原型ともいえるほど強烈な独創的芸術家としての誇りなのであった。
1 ブリューゲル『イカロスの墜落』がポスト<3.11フクシマ過酷原発事故>に生きる我われに問いかけること
・・・以下は、[2011-07-07toxandoriaの日記/未だに脱原発を異端視する気配の日本が真執に学ぶべき独・仏の原発事情(傲慢な『原発一穴資本主義』終焉への予感)http://bit.ly/rdVC79]へのコメント&レス(一部)の転載。・・・
・・・・・ここから転載の始まり・・・・・
もえおじ 2011/07/24 11:42
・・・前部、省略・・・
【ドイツが脱原発を選択できた理由について】
ドイツが脱原発を選択できた理由についてですが、個人的には以下の2点が背景にあったことが大きかったと思います。
(1) チェルノブイリ原発事故被害を真摯に受け止めた。(いずれ北欧諸国も脱原発に動くのではないか)。
(2) 化石燃料と有限で稀少なウラン資源の埋蔵量から、ウラン型原発は「つなぎのエネルギー技術にすぎない」とする認識(ウラン埋蔵量は約60年分に過ぎず、それをプルサーマルにすることで300年まで延ばすことができ、超危険で実現不可能な高速増殖炉にすれば、理屈上は更に2000年まで延ばせるという計算であること、しかし、高速増殖炉は現実的な実現性に大きな疑問符が付くこと)が、みどりの党などの努力によってドイツで定着した。
【日本原子村のカルト性と原発の技術神話について】
「日本原子村はカルトである」という点ですが、これは2つの要素が混ざりあったものです。 一つは勿論、利権と癒着の構造で、もう一つは「技術神話」と呼ぶべきものです。
技術神話が面白いのは、フランスも同じ立場に立って原子力政策を推進していることです(但し、双方リスクコミュニケーションの社会的仕組みが機能する点http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20110707が日本とは決定的に異なる。←toxandoria追記)。
一つ目「日本原子村はカルトである(利権と癒着の構造)」については toxandria 様が十分に書いておられるので(参照⇒http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20110617 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20110707)、二つ目の「技術神話」について説明させて頂きます。
実は、かなり多くの原子力工学専門家が「安全な原発は、いずれ可能になると考えています(技術神話の根本にある特有の信念、後述の技術神話aと技術神話bの母胎)。勿論、お抱え御用学者でない専門家達で反対の意見を持つ人達も沢山います。日本の原発推進政策では、あまり活発に議論されていないのですが、次の2点に決定的問題があります。
a 日本は<国策として核燃料サイクル>を推進している(技術神話a)
⇒ ウランの埋蔵量は約60年とされているが、プルサーマルにすることで、60年のウランを300年近く利用することが出来ます。さらに、高速増殖炉にすれば、理屈上 2000年以上利用することが出来ます。そのため日本は核燃料サイクル(ウランを燃やした後に出来るプルトニウムを再利用する技術)にこだわっている。
b (東大工学部や東工大工学部などの)専門家の多くが、第3世代・第4世代の原発においては、強化された安全設計によって、今でも十分に安全な原発を更に高度な安全レベルへ進化させることが可能だと考えている(技術神話b)
⇒ 例えば、最近の「第3世代」の設計は、受動冷却システムなどの安全装置を備えています。 「第4世代型」高速増殖炉の計画もあります。ところが、<原発の安全性に関する議論は、完全に一部の専門家が牛耳っており、一般国民が公に議論に加わる仕組みになっていない>のです。
<参考>直近の情報(下記◆)によれば、フクシマ第一原発事故では、漸く(図らずも?or迂闊にも?)、<地震そのものによって、技術・構造的に完全無欠(技術神話2)のはずの原発(冷却配管系)が壊れた>ことが、東電自身によって“自白的”に述べられている。
◆<4号機タービン建屋の冷却水系のタンクで水位の低下を示す警報が鳴った>のは、やはり<原発が地震そのもので壊れた>ことの証拠!⇒福島第1原発:大津波警報中、冷却水系の水位低下の警報点検で犠牲 東電2社員死亡 - 毎日http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110802k0000m040144000c.htmlposted at 2011.8.04:12:56
核燃料サイクル(技術神話a) に関しても、「現状では、困難な技術的問題が多く存在するが、将来は克服できる」という考え方に基づいています。
これに対抗・批判するには、「素人の感覚」ではなくて、きちんとした専門知識と健全な見識が必要なのです。学術的技術的論争のない、「専門家」対「素人」では素人に分が悪く、<お抱え学者でない脱原発派の専門家達と連帯>するべきです。そして、構造的には、<核燃料サイクル(技術神話a)を放棄しない限り>脱原発はありえません。
toxandoria 2011/07/24 13:00
もえおじ さま コメントありがとうございます。
ドイツ、オーストリア、フランスを始め欧州各国に極右勢力の侵潤が拡大しつつあるのは由々しきことと思っています。今回のノルウエーの残虐テロ事件もその流れのようですが・・・。
ドイツの「ゲルマン民族の純血神話」の政治的解決の下地には、考古学・歴史学・民俗学・分子生物学などの研究の深化が貢献したこともあると何処かで聞いたことがあります。
特に、ドイツとフランスの戦後和解では、考古学・歴史学上の検証から、紛れもなく共通のゲルマン民族から両国民が分岐した(西ローマ帝国時代〜メロビング朝の辺り)という、ドイツ・フランス両国民の深い血の繋がりが認識されたことが功を奏したという見方もあるようです。
原発の「技術神話a、b」については、具体的かつ詳細なご説明の点がよく理解できます。
結局、日本にはフランス型のA「双方リスク・コミュニケーションhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20110707」も、B「欧州(独・仏)型の緑の党」も存在しないことが致命傷(原子村系専門家vs一般国民層の間の断絶)となっているような気がします。
両者A、Bにおいては、欧州では幅広く専門知識を持つ人々、特定分野の専門家、そしてジャーナリズムなどが、その中核を担っているので、もえおじさま御指摘の<専門家集団と一般市民層>の断絶が回避できているのだと思います。
そして、日本の「ヤラセ原発問題」(まことに悲劇的な事態であるが、3.11大地震が引金となった福島第一原発・過酷事故を契機に日本型ヤラセ原発の本性が次々と露見している)を根本から解決するには、ピーテル・ブリューゲル(父)『イカロスの墜落』が示唆する寓意的モチーフを深く理解すべきだということが分ります(←当記事のためtoxandoria が追記したパラグラフ)
・・・・・ここで転載おわり・・・・・
これは、「1 ブリューゲル『イカロスの墜落』が問いかけること(真のジャーナリズムの意義)」で書いたことと重複するが、先ず「原発のカルト性=原発絶対安全神話と、原発はクリーンで環境に優しいというという信念」の根本は、あのダエダルス(科学技術知の祖)の息子イカロスの傲慢という問題に重なると考えられる。
ダエダルスは、閉じ込められていた塔から脱出するため、息子イカロスに対し自分が技術知を駆使して作った翼(鳥の羽が材料で、糸と蝋で繋ぎ固めてあった)を身につけさせ空を一緒に飛ぶように誘った。イカロスは、空を飛ぶうちにダエダルスの忠告を忘れ、無視し、自らの飛ぶ技術と羽の機能を過信して遥か空高くへ舞い上がってしまったため、太陽に近づき過ぎ、遂には蝋が溶け、イカロスは海へ墜落してしまった。
言わば、息子イカロスが嵌ったのは、<原子力安全神話>同様の<科学技術の祖たる父ダエダルスが作った翼が絶対安全だというカルト的信念>に嵌り、暴走したと見なすことができる。イカロスには技術知は殆どなかった訳だが、ダエダルスの技術知を盲信し、さらに、それが自らの力だと過信してしまったことが悲劇の引金になったと考えることができる。
これを原発安全神話にあてはめると、こういうことになるだろう。元々、自然の一部である我われ人間は、食物を食べなければ生きられない。その結果、とても臭い糞も垂れれば、屁や尿もベント(放出)するし、体調が悪ければ“げろ”も噴出したりする。が、これは人間が自然の一部である証拠だ。決して、我われは、原子村の神官たる御用学者ら(彼らは、自分が鉄腕アトムになったと思い込んでおり、自らが自然の一部の人間であることを忘れた人々らしい)が信ずる如き、神憑り的にまでクリーンな存在ではあり得ない。
そればかりではない。原子村の神官たる御用学者らが科学技術の先端知が生み出したとする原発、すなわち彼らが神憑り的にまでクリーンな電力源と信じている原発の実像は、もうこれは疾うに広く知れ渡ったことではあるが、「トイレがないマンション」あるいは「ケツの穴も尿路もないゾンビ」と揶揄されるほど、まがまがしいモノであったのだ。
特にポスト3.11では、一番廉価な電力供給源と喧伝されてきた原発が実は一番高いものであること、それには自在の出力コントロールが不可能という決定的弱点があること、一基当たり平均で40キロメートル超となり多くの接合部を持つ配管(微細管まで含む)を装備した原発は大地震か直下型地震の直撃(震度5程度以上?)に弱く、福島第一原発も大津波による電源喪失という公式見解とは異なり、地震による<配管破壊⇒冷却機能喪失⇒メルトダウン&メルトスル―>の可能性が高いこと、など原発の経済性と安全神話を覆す事実が次々と露見しつつある。
これにヤラセ演出という政府・管掌官庁・原子村関係者らの犯罪行為までが纏わりつき始めた。そして、原発の最大の欠点であり、実は、原子村の御用学者と電力各社、そして原発推進派にとり<最大の解決不能問題(アポリア)>となるのが<放射性廃棄物の行き場が、この地球上には存在しない>ということだ。否、ハナシは真逆である!
実は、当初から<放射性廃棄物の行き場が、この地球上には存在しない>というアキレス腱を抱えていたからこそ、それを徹頭徹尾で誤魔化すため、電力会社や原子村を含む原発推進派の実効権力関係者らは、ヤラセ行為(ウソで固めた原発安全神話)を凡ゆる場面で連綿と続け、結果的に、日本国民の全てを心底から騙し通してきたのである(関連参照、下記▲)。
▲斉藤和義 ずっとウソだった
[http://www.youtube.com/watch?v=AylBxsiUSws:movie]
2 「原発一穴型・擬装経済発展」のエンジンはヤラセ国策「核燃料サイクル」
既に[1]で述べた通り、我が国は<国策として核燃料サイクル>を推進している(技術神話a)が、この「核燃料サイクル」とは原発で発電した後の使用済み核燃料を化学的に再処理し、そこに含まれているウランとプルトニウムを回収して再び核燃料(プルサーマル/MOX燃料)として再利用することをいう。
「核燃料サイクル」を推進する大きな理由は、これも既述の通りだが、約60年とされるウラン埋蔵量のネックを乗り越えるということだ。つまり、プルサーマルにすれば60年分のウラン埋蔵量を300年近くまで延長することが可能と考えられている。更に、原子炉を高速速増殖炉にすれば理屈上では 2000年以上も延長利用ができるとされている。なお、高速速増殖炉は欧米先進諸国では中止しており、ロシア・中国・インドが実験炉・原型炉に取り組んでいる(⇒http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1159108091)。
<注記>「日本の高速増殖炉」失敗の現状・・・小出裕章『日本の高速増殖炉』http://bit.ly/r5eoFWより転載(部分)
●高速増殖炉はプルトニウムを製造するための原子炉であり、きわめて軍事的色彩の濃いもの。従って、高速増殖炉に関する技術は外国から導入することができず、世界の核開発先進国はそれぞれ独自に高速増殖炉の開発に取り組んだ。
●日本も独自に開発することを余儀なくされ、動力炉核燃料開発事業団(改組で現在は核燃料サイクル開発機構)が「もんじゅ」と名付けた原子炉を建造した。
●しかし、1兆円もの建設費をかけてようやく試運転にこぎ着けた「もんじゅ」は1995年の試運転早々、まだ出力が40%になったばかりの段階で事故を起こし、行き詰まった。
●日本の原子力開発の基本方針は、原子力委員会が決める「原子力開発利用長期計画」(以下、「長計」と記載)で定められる。その「長計」で高速増殖炉が初めて取り上げられたのは、1967年の第3回「長計」。
●そこでは、高速増殖炉が「昭和50年代後半」(1980年代前半)に実用化することが目標とされてた。ところが5年後の1972年の第4回「長計」では、その目標が「昭和60年代」となり、1978年の第5回「長計」では「昭和70年代」、1982年の第6回「長計」では「2010年頃」というように、どんどんと先延ばしになった。
[f:id:toxandoria:20110808213139g:image:right]●そして、1987年の第7回「長計」では「2020年代から2030年頃」に「技術体系の確立を目指す」となって、実用化という目標すらがなくなってしまった。さらに1994年の第8回「長計」では、その目標が「2030年頃まで」と後退した上、ついに2000年の第9回の「長計」では、目標とする年度自身を示すことができなくなってしまった。
●昨年改定された長期計画は原子力政策大綱などと言う大仰な名前に変わり、再度高速増殖炉の開発の時期が書き込まれた。それでも商業用規模の1号機をようやく2050年に立ち上げようと言うものだ。
●その経過をグラフに示す。左下から右上に引いた点線は、5年経つと目標は10年先に延びることを示している。このように、科学的な知見が増えれば増えるだけ、目標が急激に遠ざかっていくような技術は到底実用化しない。それをあたかも希望があるかのようにいいながら、巨額の資金を投入することはおよそ常軌を逸しているし、このようなものが国の原子力開発の基本方針であったことを反省しなければならない。
●おまけに電力会社による試算でも、高速増殖炉が理想通りに実用化できたとして、はじめの原子炉を作ってから次の原子炉を立ち上げるのに必要なプルトニウムを生み出すまでには90年かかるという。今日のようにエネルギー消費を急速に拡大している社会にとっては、高速増殖炉はもともと無意味な代物だったことになる。
●結局、核分裂反応を利用する「原子力」は、ウランは資源がなく(埋蔵量は60年分のみ)、やむなく使おうとしたプルトニウムは壁に突き当たり、仮にその壁を突破できたところでエネルギー資源にはならないことが分かったということになる。
・・・・・・・・・
最終処分における高レベル放射性廃棄物の放射線量を小さくすることが可能とも主張されるが、そこで出される低レベル放射性廃棄物の量まで積算すると却って放射性廃棄物総量の堆積が増加する(高レベル放射性を帯びた福島等災害地周辺のガレキや下水処理場の汚泥を全国へ分置するのと同意)と反論されている。また、再処理工場のプロセスでは原発と桁違いの「放射線被曝と過酷事故(地球規模の!)」の発生リスクが懸念されている。
また、この核燃料サイクルを中止すると「高速増殖炉もんじゅ」と「次世代原子炉」([1]で既述の技術神話b)などに原子力計画の流れが繋がらなくなり、電力会社だけでなく関連する様々な利権(原子村全体の巨大利権/Ex.既に約8兆円を投入した六ヶ所再処理プロセスの本格稼働だけでも。更にmin.19兆円の巨額投資が必要と見込まれる
http://kakujoho.net/rokkasho/19chou040317.pdf)が失われる。
このため、電力会社のみならず、民主党の大きな支持基盤の一つである電力総連も「核燃料サイクル」の中止には強く反対している。そればかりではなく、既に現在の時点で、我が国の「核燃料サイクル」は既に実現不可能であることが実証され、事実上、日本の原子力政策自体の勝負がついている(失敗に帰している!)という分析もある(参照、下記◆)
◆使用済み核燃料で原発が止まる=河野太郎、核燃料サイクルは詰んでいる?原発使用済み核燃料の貯蔵が間に合わない。再処理工場は建設できない。もんじゅは稼動しないどころか・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/xoxdunubxox/20311212.html
仮に六ヶ所村の再処理工場が稼働したとしても、「高速増殖炉もんじゅ」が、2050年を越えても実用化の目途が立たなくなったという厳しい現実(参照⇒直近のグラフ)に加え、その高速増殖炉が実用化された時点から更に90年を経ないと必要とされるプルトニウムが生み出されないとするなら(参照⇒同上のグラフに付けられている小出裕章氏の説明)、そもそも初めに期待されていた「約60年分に限られたウラン埋蔵量を2000年まで引き延ばすという理論」(技術神話a)が早々には成り立たないことになる。つまり、ハッキリ言えば「技術神話a」も真っ赤な嘘だったという訳だ。
しかも、このような形で「第3世代・第4世代の原発(技術神話b)」の行く先にも、近々における安全な実現の可能性について暗雲が垂れこめていることからすれば、既設の原発を動かすだけでも、燃料プロセスの収支計算からすれば、最終処理が不可能な高レベル放射性廃棄物の蓄積量が増えるばかりとなるのは当然である(参照⇒既述の『河野太郎、核燃料サイクルは詰んでいるhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1159108091』)。
従って、民主党政権が当初に目論んだ「大規模新設計画の実現で電力の50%を原発で賄うとする日本型の原発ルネサンス構想」は、まさに狂気の沙汰であった。高度で専門的な科学技術知の欠落、あるいはヤラセ型政治の陰謀的作為(電力業界・一部財界・労連・電力総連らの野合交尾的な民主党支持が大きく影響した!)の恐ろしさが身に浸みて分る思いがするのはtoxandoriaだけであろうか?
つまり、電力業界・原子村・原発銀座自治体らと交尾(つる)みつつ自民党の原発推進勢力から民主党政権が巧妙に引き継いだ「ヤラセ原発一穴型・擬装経済発展」のエンジンは、相も変わらずヤラセ国策たる「核燃料サイクル」であったと言う訳だ(自民・民主の原発推進派は同穴の交尾ムジナ)。それに加え、55年体制を革新する政権交代なので、これからは二大政党の時代になると囃し立てたTV・新聞等のマス・メディアも、実は、この左右の垣根を越え野合・交尾していた実効権力の仲間であったのだから始末が悪い。
結局、我が日本は、再び自民党中心の政権へ戻ろうが戻るまいが、「核燃料サイクル=約60年分に限られたウラン埋蔵量を2000年まで引き延ばすという理論」(技術神話a)と「もんじゅ型高速増殖炉と第3世代・第4世代の原発の可能性」(技術神話b)の双方が殆ど眉唾物である可能性が非常に色濃くなってしまった(というより、初めからウソだった!)以上は、「新しいエネルギー発電」に移行するまでの間は、既設の中で比較的安全性が高いと見なすべき原発を騙しだまし使う以外に道がないないという隘路に嵌ったのだ。
故に、菅総理が急にストレ・ステストを持ち出したので海江田・経産大臣の顔を潰したとかメディアが騒ぐのは、この大いなる矛盾(技術神話aと技術神話bが共に初めからウソだったこと!)をカムフラージュするための、三文芝居じみた、一般国民向けのアリバイ工作に過ぎないようだ。
<また菅の思い付きがデリケートな海江田に涙のアカペラを歌わせた!>などという報道は、国民騙しの妄言である。彼らは初めからデキていたのだから、それは同じく国民騙しの猿芝居に過ぎないのだ。その後の「ヤラセ原子力安全保安院問題」で急遽行われた<経産省の事務次官交代ヤラセ人事>が、明快に彼らのあくどさを証明して見せてくれたのは記憶に新しいはずだ。
(関連ツイッター情報)・・・タイムラインは下から上へ
ブレーキ(脱原発)とアクセル(原発強引推進)を同時に目一杯に踏む異常ヤラセ運転で何処へ行くつもりか!⇒【QT】ヤラセ政府!⇔ヤラセ海江田の<原発強力推進人事http://twitter.com/#!/hanachancause/status/99675730165764096>と大矛盾!⇒安全神話深く反省し脱原発へ=広島平和式典で菅首相posted at 2011.8.6 12:15:55
嗚呼、ヤラセ!ニッポン、原発喰らって頑張ろうゼ!⇒あぁ、本当に「日本が融けてゆく」 今回の経産トップヤラセ人事http://twitter.com/#!/hanachancause/status/99675730165764096で、経産省にベッタリであることが図らずも満天下に露呈してしまった海江田! http://news.livedoor.com/article/detail/5765140/posted at2011.8.6 12:09:52
ヤラセ海江田の<核燃料サイクル政策推進&原発推進派極右傾斜人事!>⇒【QT】http://twitter.com/#!/masaru_kaneko/status/99248739696390144新事務次官安達健祐氏は、使用済み核燃料「直接処分方式」の試算結果を隠蔽し、厳重注意処分を受けています。核燃料サイクル政策推進、隠蔽体質で やっぱり同じ穴のムジナposted at 2011.8.6 11:58:40
だから、今や実効権力(原発推進派)らの喫緊の重要課題は「ストレス・テストなどの名目(善良で無知な国民一般向けのお題目!)を掲げつつ騙しだまし使わざるを得ない既設の原発が出し続けるため、必然的にどんどん溜まる一方の高レベル核廃棄物と低レベル核廃棄物を長期保存できるか、ないしは最終処理可能な場所を急ぎ何処かに探し出すこと」なのだ。それどころか、この逼迫した事情を実効権力(原発推進派)らは逆手に取ろうとさえしているのだ。
つまり、この状況はたしかに実効権力(原発推進派)らにとって分が悪いことなのだが、幸いにも善良で無知な国民一般が、ここまで途轍もなく酷い彼らのウソの全てを知るところまでには未だ至っていない。なにしろ、「技術神話a」と「技術神話b」のように難解な話は、一般国民がそんなに容易く理解できるはずがないと、彼らは読んでいるようだ。
だから、非公式でもアングラでも何でも良いから、とにかく「高レベル核廃棄物と低レベル核廃棄物を長期保存できるか、ないしは最終処理可能な場所」を急ぎ何処かに探し出すことさえできれば、彼らが仕組んだ(または見事な失敗であった)「技術神話a」と「技術神話b」のウソはなかったことにできると読んでいる節があるのだ。
しかも、この「技術神話a」と「技術神話b」に関わるアポリア(解決困難な袋小路問題)は日本だけに限ることではなく世界中の原発推進国にとって共通の問題なのだ。否、むしろ話は逆である。原発も原爆も原子炉から高レベル核廃棄物が出るのは同じことなので、長期にわたり核戦力を保持してきた米・英・仏・露などの核大国は疾うの昔から「最終処分場」の問題を抱えてきており、それが各国の核廃棄物の海洋投棄や、米ハンフォード核廃棄物貯蔵所(ワシントン州、ここで長崎へ投下された原爆用プルトニウムが作られた)における周辺住民への健康被害の問題などを引き起こしてきた(関連参照、下記★)。
★放射性廃棄物はどこへ行くのか(世界の放射性廃棄物を巡る問題、仏アルテの意欲的ドキュメンタリー)http://bit.ly/qyHn0k
ともかくも、我が日本の場合も、「高レベル核廃棄物と低レベル核廃棄物を長期保存できるか、ないしは最終処理可能な場所」さえ見つかれば、「技術神話a」と「技術神話b」のウソを原子村総掛りで隠蔽したまま、初めからウソだった「原発安全神話」を既成事実化するゴリ押し作戦が可能だという訳なのだ。そして、彼ら原子村関係者と原発推進派の国会議員らは、爾後100年以上も後の世界のことなど知ったことではない!とでも考えているのであろう。
3.11大震災により、日本が地震列島に乗っていることが再認識されたはずではあるが、そして1980年代に北海道幌延町、岩手県釜石市などの計画が頓挫したはずだが、依然として、日本国内で「高レベル核廃棄物と低レベル核廃棄物を長期保存できるか、ないしは最終処理可能な場所」を探す計画が消えた訳ではないようだ。関連情報を少しだけ下に拾っておく。ただ、3.11大震災の現実は、国内での最適地探しが非常に困難なことを関係者らへ突き付けたことは間違いがないだろう。
(参考関連情報/「高レベル核廃棄物と低レベル核廃棄物を長期保存できるか、ないしは最終処理可能な場所」についての関連情報/日本国内)
高レベル放射性廃棄物処分場の地質環境 〜深部地下地質への保管・保存を考える〜http://homepage2.nifty.com/kasida/environment/frame-renga.htm
放射線を出すウランレンガが出回っている!(人形峠の今/週刊AERA2010年2月22日号の原文)http://homepage2.nifty.com/kasida/environment/frame-renga.htm
幌延深地層研究センター(日本原子力研究開発機構)http://www.jaea.go.jp/04/horonobe/index.html
核のゴミ高レベル放射性廃棄物処分場(20年前から検討されている場所)http://wn.com/%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%80%A7%E5%BB%83%E6%A3%84%E7%89%A9%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%B8%EF%BC%9F
3 日米・極東の闇外交に嵌り原発一穴経済が牛耳る砂上の楼閣・日本の危機をひた隠す「ヤラセ原発実効権力」の二枚舌
国外で注目されるのは「モンゴルの核廃棄物最終処分場(核ゴミ捨場計画構想)」である。核廃棄物の最終処分場については、フィンランドとスウェーデン以外どの国も住民の反対で選定が難航しており、日本では1980年代に北海道幌延町、岩手県釜石市などでの計画が頓挫した。各国とも代替案にしている中間貯蔵施設構想を持つが、これは問題の先送りである。
この問題を報じた毎日新聞(2011.7.31、世界を読む)によると、安定した地層に処分場を造るのが最善との認識が一般化した1970年代〜1990年代にオーストラリアやパラオ諸島などに処分地を造り各国の廃棄物を受け入れてもらう構想が生まれたが地元の反対で立ち消えになっている。
今世紀に入るとIAEAや米国が多国間管理の必要性を提唱するが、モンゴルでの処分場計画はこれに基づくもので、日本政府はトルコ・ベトナム・UAE(アラブ首長国連邦)・ヨルダン・リトアニアなど新興国に原発を輸出し、そこで出た核燃料廃棄物の引き取り先としてモンゴルを当てにしてきた。
モンゴル政府は、外務省のオンダラー原子力担当大使と国営原子力会社モンアトムのバダムダムディン会長が記者会見して計画を公式に否定し、併せて、日米両政府は計画を進めていないとの見解を公式に示し火消しを図った。ところが、モンゴルのエルベグドルジ大統領は6.16に訪米し、オバマ米大統領と「核開発計画推進」の協力で合意した(以上は、毎日新聞(2011.7.31、世界を読む)より部分転載)。
つまり、日米両政府(及びIAEA)とモンゴル政府は夫々の国民と全世界に対し明らかに二枚舌を使っている。これは二枚舌でないという向きがあるなら、それは何枚舌というのかご教示を願いたい。立派な大人の外交とは、かくも堂々たるウソ吐き合いを許すべきものなのか?
松本外相が7.27の衆院外務委員会で服部議員(社民)の質問に答え「公式には(ホントは、これは嘘だが、と内心では思いつつ?)モンゴル核ゴミ捨場計画構想が頓挫した」と答えた背景に隠れていたのがこの動きだ。この時の服部議員(社民)も、松本外相のウソをホントと承知で、この答弁を納得したのだろうか?
ともかくも、この公式見解の裏で<日本と世界中の一般国民の主権を踏みにじり核廃棄物量産の恐怖から逃げたいと願う真摯な一般国民の意思に反する裏切りの計画が進行している>ことが明らかとなった訳だ。この<モンゴルと米国の核開発計画推進での協力合意>に関わる日本側の主役(東電らの代行役?)は東芝と福島第1原発事故の状況を説明するため6月10日に訪米した細野豪志首相補佐官(当時)だった。
毎日新聞が入手した「包括的核燃料供給(CFS)に関する4カ国了解覚書」には<核燃料供給、ウラン転換、濃縮、使用済核燃料一時貯蔵、最終処分等事業>などの全体が記されていた(出典:同上2011.7.31、世界を読む)。それは、核不拡散上の懸念(モンゴルの核爆弾所有意志の懸念と理解できる)があるモンゴルでのウラン濃縮事業(原発の開発・製造準備)を「認める」とも解釈できる表現を盛り込むなど、大いにモンゴル側の歓心を買う内容であった。
このように「モンゴル核ゴミ捨場計画」が関係各国による「公式の否定」の下で世界中の一般国民を裏切る形で秘密裏に進められているため公式の議論や批判が、事実上、完全に封じ込められていることは非常に由々しき問題であるが、その背景には米国と、その代理人たるIAEA(国際原子力機関)の強い意思が認められる。
明らかに、米国とIAEA(国際原子力機関)は世界における更なる原子力の推進を図るとしているが、その陰に隠された意図は、経済学第二の危機(⇒http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20110617)への対応に失敗した米国経済の苦境と、米ハンフォード核廃棄物貯蔵庫(⇒http://www.nikkei-science.com/page/magazine/9607/kaku.html)が象徴する米国自身の核爆弾製造で生まれた膨大な高リスク核廃棄物処理の問題(矢張り、これも今や首が回らぬ米国自身の財政・経済問題!)の解決ということである。
モンゴル・ベトナム・トルコ・UAE・リトアニアらでの<核拡散懸念(モンゴル等での核爆弾所有懸念)の抑制を口実とする原発推進(核の平和利用)の論理>は前ブッシュ政権(CIA)下で考案された米ネオ核戦略である。表向きは核兵器廃絶を謳うオバマ政権も、現実的には、この前ブッシュ政権(CIA)下で考案された米ネオ核戦略(原発関連技術等の提供とNPT参加のバーター)を継承しており、それだけ一般国身には分り難い核政策となっている。
いずれにせよ、フクシマ過酷原発事故の当事者である日本政府自身が、この国民的な危機の中で日本と世界中の国民向けに二枚舌を使っているのは許し難い。公式に<脱原発風味>を装いつつ裏で秘密裏に<モンゴルと米国の核開発計画推進での協力合意>に粛々と従っているとは何事だ!
また、この日本政府の由々しき二枚舌の陰には更なる悪徳の臭いが垂れこめている。つまり、見逃せないのは、この米(CIA)戦略に沿ってベトナム等への原発輸出を謀る仙谷官房副長官ら現行・民主党政権内の原発推進派の黒幕・準黒幕らの身上が大多数国民の反原発意思などクソ喰らえの強引さであるということだ。
無論、その大きな圧力源となっているのは、既述のとおり、民主党の大きな支持勢力である電力総連、労連ら大組合(原発貴族)パワーが存在する。しかも、コトはそれだけではなく、電力総連、労連らの民主党支持基盤には左右の垣根を越え、イデオロギーなどは疾うの昔に捨て去った野合・交尾による一般国民への決定的裏切りの可能性という実に妖しげな空気(無論、自民党の原発推進派もその交尾の相方だ)が漂っている。
<311大震災→福島原発事故>の最中に「愛華訪中団http://www15.atwiki.jp/houdou/pages/122.html(団長:勝俣恒久・東電副社長)、」の一行は、中国・北京にいた。この恒例行事は2001年・第一回(団長:江田五月)に始まるが、その目的は明らかにされていない。別冊宝島『日本を脅かす原発の深い闇』によれば、今回の「愛華訪中団(団長:勝俣恒久)」のオルガナイザーは、「日本出版協会」理事長の石原萌記氏である。
「愛華訪中団」のメンバーは奇妙な顔ぶれだ。電力各社とゼネコンの幹部ら財界関係者、御用学者、労組関係者、新聞・雑誌・出版界の大物OB,元内閣情報調査室関係者、著名ジャーナリスト、週刊誌関係者などが屯しており、さながら二重・三重スパイが集う交流サロンか秘密クラブのような雰囲気がある。政治的に左右を問わぬヌエのような石原萌記氏は、80年代以降に「情報化社会を考える会」などサロン的活動を熱心に行ってきた。この流れの中に読売・元記者が作った「マスコミ情報研究会」もある。
別冊宝島『日本を脅かす原発の深い闇』には、「裏のマスコミ対策を仕切った東電総務部の闇」、「●暴に極めて近い人物もマスコミ対策に暗躍」など、興味深い内容が書いてあるが、此処では、これらは省略する。日本出版協会理事長の石原萌記氏は社会主義者であるらしく、日本出版協会の役員には北朝鮮と交流し拉致事件に絡んで名が出る柳沢徳次氏(日本モンゴル親善協会理事長)、中国と友好を進める山田晃氏らが名を連ねる。
「愛華訪中団」の目的は明らかにされていないが、注視すべきキーワードがある。それは<中国原発計画>、<モンゴル系人脈>、<北朝鮮系人脈>の三つだ。モンゴルと北朝鮮は廃棄物処理とNPT(核拡散防止条約)の筋が臭うが具体的には不明。一方、現在13基の営業用原発を有する中国は毎年6基以上の原発新設を謳っており、2030年までに200基、2050年までに400基とする計画だ。高速鉄道事故等の環境条件を考えると空恐ろしい計画だが、東電ら原発推進派の野望からすれば中国が垂涎の的であることに違いない。
日本出版協会は日本出版書籍協会(業界団体)とは異なり、石原萌記氏の個人的な人脈による出版関係の親睦組織の側面が強い。石原氏には出版社、自由社の社長の顔もある。同社は新しい歴史教科書をつくる会との関係を解消した扶桑社に代わり中学歴史教科書の発行元となって検定申請したが不合格となり再申請で2009.4.9に合格した。
石原氏は学生時代に渡辺恒雄(元読売社主)らとの学生運動のあと社会党右派の政治運動を展開。やがて1955年に高柳賢三、木村健康、竹山道雄、平林たい子らの知識人サロン「日本文化フォーラム」を設立した。そして、この知識人サロン「日本文化フォーラム」のメンバーが編集委員になり雑誌「自由(2009年2月が最終刊)」が発行され、発行元として自由社が設立された経緯がある。
その一連の動きは普通の人間には不可解なことだが、社会主義者であるはずの石原氏が作った保守系出版社の自由社は、旧社会党右派の議員と懇意にしたり、ソ連・東欧との友好を進める「日本対外文化協会」を設立したほか、中華人民共和国、韓国とも交流しているのだ。そして、2003年には中国共産党中央対外連絡部副部長、中日友好協会副会長を歴任した張香山著『日本回想−戦前、戦中、戦後想い出の記』を自由社で出版している。
また、1979〜1993にかけ月刊『韓国文化』なる在日韓国大使館の広報誌を発行し、中国・韓国・旧ソ連との交流も盛んであった。それに、石原氏は熱心な象徴天皇制の擁護者でもあるとされるようだが、その真意は漠として分からない。
ともかくも、このヌエの如き石原萌記氏と渡辺恒雄氏(元読売社主)が吐き出した“有害放射性物質風の妖気”(ひらたく言えば、国粋主義も、共産主義も、社会主義も、自由主義も、民主主義も、国民主権も、授権規範としての憲法も、全て無視・無関係で、健全な資本主義と市場原理主義に関わる理念論争などもクソ喰らえの何でもありのちゃらんぽらん、全てを繋ぐキーワードはカネ・カネ・カネだけ!?)が漂う「日本出版協会」なる<日本における出版・ジャーナリズムの伏魔殿>の奥底で<日本の原発推進派が雌伏の時を過ごしている>のは間違いがなさそうだ。
然しながら、日本の東日本で数千万人が被曝し少なくとも百万人超の若年層や子供らの命が危い、彼ら彼女らのDNAが棄損の危機に冒されつつあるとき、言わば、このように前代未聞の甚大な人的被害が急拡大する最中に、原発再稼働、原発輸出の促進と核廃棄物リスクの世界への拡散を謀る日本の原発推進派、および米国・IAEAらの邪悪な野望は人道上の観点から許されるべきことではない。
特に、フクシマ原発過酷事故の当事国である日本の政府関係者・電力会社・原発関連企業&財界・左右両政党・労組関係者・ジャーナリストらが「愛華訪中団」なる妖しげなヌエの如き組織を介して中国・北朝鮮・韓国・モンゴルらと野合・交尾する構図は実におぞましいことだ。が、問題はそれだけでなく、先に見たとおり、その日本政府が米国と「モンゴル核ゴミ捨場計画」の非公式交渉に臨んでいることを併せ見れば、彼ら日本政府と電力会社等関係者らの行為は国家と日本国民に対する恐るべき背信行為に他ならない。
つまり、彼らの<この余りのおぞましさ>を手短に言うならば「日・米・極東の闇プレート(闇外交)に潜る原発一穴型・擬装経済発展の罠をひた隠す「ヤラセ原発実効権力」の二枚舌」と言う他はないであろう。それは、明らかに民主主義国家・日本と日本国民に対する裏切りであり、国民主権を侵す憲法違反の行為であり、愛国と国家の名を騙る犯罪行為である。
しかしながら、このように概略的な状況証拠らしき論述をいくら積み重ねて厳しく批判しても、彼ら「ヤラセ原発実効権力」に属する輩の二枚舌(三枚舌?)を決定的に追い詰めることは不可能であろう。だから、先ず必要なことは「ヤラセ原発実効権力」を代弁する日本政府の欠陥を見据え、国民・市民サイドの目線で効果的な戦略を立てることが先決である。そして、その原発推進派(実効権力側)の代弁者たる日本政府の欠陥を端的に言うならば、今の政府(及びそれを支える中央官僚制度)には国民主権を守る意志という点に関して決定的な脆弱性を持っているということになる。
4 急がれる本格的な日本版『緑の党』の創設、その意義と役割
日本政府の脆弱性の中身は何かと言えば、これはまことに悲しむべきことだが、他ならず日本国民自身の主権者意識の希薄さがそれに反映しているということだ。国民の主権者意識が希薄であれば、例えばドイツの如く「原発の欠点を科学合理的・論理的かつ人道的・倫理的観点から見据えつつ、十分理解したうえで脱原発を多くの国民自身が決断する」ということはできるはずがない。脱原発は、政権維持能力と指導力のある首相がツルの一声のように上の方で宣言すれば決定するというものではない。
既に述べたことに関連するが、科学的に不合理で実現不可能な「核燃料サイクル」を合理的な解決手段だと原発推進派と原子村が大声で強弁しゴリ押すのは、軍事的核開発と原発関連領域の全体を更なる巨大利権と見なしつつ、倒錯的なドル・シニョリジ経済(参照⇒http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20110707)で酷く病んだ米国に、<CIA主導の新「核戦略」の筋書の下で、自国経済の再構築を謀る>という野望が存在するからである。だから、我われ日本国民は(既述のことだが)、民主・自民両党の原発推進派ら(現下の黒幕は仙谷官房副長官等)が、米CIA戦略の尖兵の役目を担って原発輸出へ狂奔する身勝手な行動を決して見逃すべきではない。
そして、このような観点からすると、2011.8.5付で米格付会社スタンダード・アンド・プア−ズ(S&P)が初めて米国債を最上位トリプルAから1段階引き下げAA+(ダブルAプラス)としたことの意味が読めてくる(それでも、他二者の格付大手は米国債の最上位を維持する)。そもそも、既に殆ど財政破綻状態であった米国債が今まで最上位トリプルAであったこと自体が不可解である(日本は4段階目のAA−)。
これだけが原因ではないが、「ベトナム」を超えて約100兆円(債務総額は約1140兆円)に接近する米国の戦費累計額(イラク、アフガン戦争関連)が米国経済・財生の深い病理を象徴している。それに加えて、リーマン・ショック(過剰な市場原理主義経済への傾斜)の深い傷は癒えるどころか、貧富差の更なる拡大という傾向が進んでいるので米国経済の先行きは混迷を極めつつある。
従って、我われ日本国民は、米格付会社を巻き込んだ今回の米国財政問題の大混乱は、壮大な国家ぐるみヤラセの疑いも十分あり得ることを視野に入れておくべきだろう。そして、背に腹は代えられずで、今や、米国政府の頼みの綱は資本主義経済の健全化ならず、更なる「原発一穴型擬装(擬装資本主義)経済」のゴリ押しということになっている訳だ。
それも、更なるハイリスクを背負ってまで米国自身が原発新設へ突入するという気配は余り感じられず(むしろ超累積する核廃棄物処理場の国外での確保と、日本が米からのウラン輸入と共にプルサーマル用使用済み核燃料の受け入れを拡大することを望んでいる)、米国と、その代理人たるIAEA(国際原子力機関)の関心は、先ず「日本での一層の原発利用」推進とベトナム・トルコ・UAEなど「発展途上国での原発新設」であり、米国自身については、原発新設よりも、むしろ再生・自然エネルギーへ関心が急傾斜しているのだ。
しかも、この再生・自然エネルギー分野へ日本の東京電力の出資会社・ユーラス・エナジーが進出するとのニュースが流れている。しかし、これは原発事故リスク拡大への恐怖で腐心の日々を送る我われ大方の日本国民にとっては余りのことなので、このニュースは日米政府合作のブラック・ユーモアではないかとさえ思えてくる。
(関連ツイッター情報)
Vertex3on500mbp 風力発電の国内最大手(東京電力の子会社ユーラス・エナジー)、太陽光で米国進出:日本経済新聞(2011.8.7) 日本の原発推進派が自然エネルギーの邪魔をしている間に海外では・・・日本は取り残される via Tweet Button2011.08.07 20:36
そして、更に米国のホンネを探れば、それは矢張り世界最大の核保有国としての宿命である「主に軍事利用から生まれた高リスク核廃棄物処理」の問題だ。特に、既述の困窮し切った財政難から殆ど打ち捨てられた状態の<ハンフォード核廃棄物貯蔵庫>問題は深刻化しつつある。従って、米国は非公式(闇)ルートを介したモンゴルでの廃棄物処理を急ぎたい訳である。(関連ツイッター情報)
iriereggaemusicマジ(-_-;)!RT @hanachancause 日米&原子村が非公式に<既成事実化を狙って進めるモンゴル核ゴミ捨場プラン>が止まらぬ限り<日本の脱原発風味も擬装看板>です! RT @kaishimaz: @hanachancause この問題こそ何としても阻止したいところ。 via TweetDeck2011.08.07 23:46
ところで、現代日本における民主・自民両党の法曹系国会議員にほぼ共通する特異な考え方がある。それは「実定法は素より憲法すら目的達成の道具と見なすという米国型過激プラグマティズム」(経験主義が極致化した特異原理主義/簡単に言えば、理念より目先の利益を重視すること)の概念である。従って、彼らは、自ずと、既述の東京電力が主催する「愛華訪中団」の如き<多重スパイ的な野合・交尾集団の罠>に嵌り易いという特異な脆弱性を抱えることになる。
このように特異な脆弱性(例えば、今もナチズムの自己反省に徹するドイツでは殆ど考えられないことである)を抱えるため、<多重スパイ的な野合・交尾集団の罠>の立場からすれば、現下の民主党政権は自民党よりも使い勝手が良くて廉価な日本政治を支配するための道具(これは近視眼的なプラグマティズムに徹することを教えられた松下政経塾出身者が自民党よりも多いことと関係する)なので、より危険だとさえいえる。
このような日本政治の脆弱さと日本国民自身の脆弱さ(国民主権の希薄さ)が共鳴すれば、日本の政治・経済・社会が国際勢力の悪意ある野望によって身ぐるみを剥がれるような事態は絵空事でなくなるだろう。そして、その日本国民自身の脆弱さを象徴する出来事が直近に行われた埼玉県知事選挙(投票率が過去最低の24%)である。
ツイッター等で「今の時代は誰がトップになっても政治は変わらないので、まして自民・民主が相乗りの候補であり結果が分ってるのに無駄に足を運ぶ意味がない」というシタリ顔の意見が飛び交っていることに驚かされる。
60%未満の投票率は統計学的に見て無意味になる(有意でない)などと理屈をこねるまでもなく、仮に結果が見通せる選挙であっても、実際に有権者が投票に出向かなければ、先ず、権力の座に就く政治家が主権者たる国民・県民・市民らを恐れなくなり、政治が暴走するにみならず(ファシズムへの舞台を提供するに等しい!)、遂には選挙制度自体が壊れてしまう恐れすら出てくる。が、これ以上愚痴を零しても、それこそ無意味なことだ。
日本の民主主義の基盤がかくも脆弱化してしまったことを直視しなければならないのが現実なのだ。特に、約700万人強の人口を擁し、大方が東京のベットタウン化している埼玉県民の選挙行動は日本全体の象徴的な姿だと見るべきであろう。それに伝聞ではあるが、初めから劣勢に立たされた野党候補が相乗り候補への批判のため「脱原発」を強調しても、殆どの県民がそっぽを向いていたらしい。
フクシマ原発過酷事故の現場からそれほど遠くはなく、放射能のホットスポットの点在すら囁かれる埼玉県にして、原発問題に対する県民(国民)層の率直な関心度はこの程度なのだ。つまり、多くの日本国民にとって、原発はたしかに恐いが、フクシマ原発過酷事故は自分に身近な政治とは無関係だと言う、一種独特の奇妙な浮遊感(親方日の丸に甘えたいと言う安易な空気)のようなものが日本国民の多くに取りついているのかも知れない。
ともかくも、このような日本人一般が共有する<日本独特の親方日の丸の空気>と<原発推進派の野望>の闘いでは、前者に分がないことは明らかだ。しかも、周知のとおり、特にメディア対策(メディア企業とジャーナリストを手なずけ洗脳する)と政治献金を目的とする原発推進派の金力(マネー・パワー)は巨大だ。例えば、東電を筆頭とする電事連の広報予算は少なくとも3千億円(全電力会社の営業収入15兆円の2%)で、東電自体の広報費は少なくとも約250億円はあったとされる(出典:志村嘉一郎『東電帝国その失敗の本質』)。
しかも、この広報費を暴露した志村嘉一郎氏(元・朝日、原発・電事連・東電記者クラブ担当記者)は、原発安全神話を創るために動いた実際の広報費の上限については、そもそも殆どが形に残らないので具体的には分からないとさえ言っている。
それだけではない、政府(経産省・文科省)系原子村の国家予算は眼玉が飛び出すほど巨額で、年平均で約5千億円が原発銀座などへ 電源三法交付金などとして継続的にバラ蒔かれてきており、学校教育現場や原発見学ツアーなどでの国民向け広報・洗脳予算も殆ど使い放題の状況である。かくの如く、原発関連の金力(マネー・パワー)は余りに巨大なため、一般国民がそれへ個々に対決することは容易でないことが分かる。なにせ、殆どの新聞・テレビ関係等のジャーナリストが洗脳されていたのだから。
(関連参照ツイッター情報)
ふざけるな!全国民を道連れに原発マネーで自爆する気か?敦賀原発3、4号の早期着工が絶対必要!と敦賀・河瀬市長http://t.co/QBWZcrgの事情はコノ福井県内自治体の原発マネーによる自転車操業状態⇒原発のあるまち福井、原発で膨らんだ赤字補てんに原発稼働が必要、原発マネーは自治体を「喉の渇きに塩水を求める状態へ嵌めている」 http://t.co/V8t2egw posted at 201182 16:29:29
また、9千人いるとされる電力会社自体に属する御用学者(うち3千人が東電の原子力系社員)と東大・大阪大などに属する御用学者(原子力関係の専門家)と一般国民が原発論争をすれば、やはり、ここでは後者に勝ち目があるはずがない。そこで、これら日本特有の政治環境などと専門知識分野における一般国民の圧倒的劣勢ということをも考慮すれば、日本で本格的な脱原発を実現するには、やはり欧州型の本格的な『緑の党』((欧州に見られるような科学技術の専門家も中核に加わる双方リスクコミュニケーション型の政治政党)の創設が必要である。
直近の埼玉県知事選挙で見られたような一般県民・一般国民の脱原発への無関心には、原発についての専門技術的な知識の難しさ、それらを批判することの困難さという問題があると考えられる。例えば、既述の「技術神話a=国策としての核燃料サイクルの是非」にせよ、「技術神話b=第3世代・第4世代の原発においては、強化された安全設計によって、原発の安全を確保できると考えることの是非」にせよ、原子力の専門家と一般国民の対決論争では、後者の方の分が悪くなるのは明らかだ。
また、在野の科学者や政治政党的な後ろ盾がないアンチ原発推進派の原子力関係の専門科学者や関連技術者らが原発系御用学者一派を、科学的・論理的に厳しく批判して、仮にその論争で勝ったとしても、彼らだけで、その論争の成果を政治的パワーの大結集に役立つよう工夫し、一般国民へ向けて分り易くプレゼンテーションするのは容易なことではない。そこにこそ、原発問題を正面から政治的・戦略的にとらえることができ、かつ国民主権の代表者として、それを批判できる政党としての『緑の党』の重要な役割があるということになる訳だ。
ドイツでは、このような『緑の党』の活躍によって、チェルノブイリ原発事故とフクシマ原発過酷事故の意味、および「技術神話a=国策としての核燃料サイクルの是非」と「技術神話b=第3世代・第4世代の原発においては、強化された安全設計によって、原発の安全を確保できると考えることの是非」についてドイツ国民の多くが、これらの内容を、冷静に、客観的に、正しく理解した結果、殆どの国民自身が自らの判断の結果として脱原発の政治的決断を支持したのである。なお、日本版『緑の党』の準備状況については下記情報◆を参照乞う。
◆2011-07-07toxandoriaの日記/ 未だに脱原発を異端視する気配の日本が真執に学ぶべき独・仏の原発事事情(傲慢な『原発一穴資本主義』終焉への予感)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20110707
◆緑の未来(日本版、緑の党)ホーム・ページ、http://www.greens.gr.jp/
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