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【松本浩史の政界走り書き】
「首相は政治家ではない」 市民運動家が国政を仕切る愚
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110807/plc11080707000001-n1.htm
2011.8.7 07:00 産経新聞
「今の菅直人首相は政治家ではない。一市民運動家に戻ってしまった。元気いっぱいだ」
過日、とある与党幹部は、親しい国会議員にこのところの首相の動静を尋ねられ、こう言い切ったそうだ。間髪入れず、首相の心象風景についても推し量り、政権の座に就いている間に、これまで誰もがなしえなかった政策課題を少しでも前に進め、歴史に名を残したいはずだと喝破した。
そして、話の最後になって断定的に、こんな見立てを披露したという。
「しばらくは辞めないよ」
この与党幹部の指摘を待つまでもなく、経済産業省の事務次官をはじめとする3首脳の更迭人事やら、太陽光など再生可能エネルギーの活用やら、首相が原子力発電にまつわる問題に関し、輝かしい何らかの成果を出したがっているのは明々白々である。
平成23年度第2次補正予算の成立といった「退陣3条件」は、首相とすれば、取って付けたようないかにも軽い条件である。それだから、条件が整ったとしても、へ理屈をこねて、なかったかのように振る舞うのは目に見えている。
そういう恥じらいのないタイプの政治家であることは、これまでの言動を目の当たりにしてきた多くの国民が、さもありなん、と深くうなずくのではあるまいか。
それにしても、気になるのは、「一市民運動家に戻ってしまった」という与党幹部の下りである。というのも、このところの政治の閉塞状況を見ていて思うに、首相の延命にかける不埒な思考と市民運動家としての性癖が奇妙な具合にうまく合致してしまい、「反菅」勢力にとって、「首相は難攻不落」という窮状を招いている気がしてならないのである。
言うまでもなく、市民運動家出身の首相は、「国家の背骨」たる憲法や外交・安全保障に関し、長い政治活動の積み重ねの中で熟成させた信念なり理念なりを持ち合わせていない。
それでも、付け焼き刃ながら、懸命に化粧直しをして、それなりの体を装ってきた。今年1月には、通常国会の召集前であるのに異例の外交演説をしたり、税制と社会保障の一体改革では、「政治生命をかける」と大見えを切ったりしたものの、どれもこれも中ぶらりんのままである。
いつとはなしに、内閣不信任決議案の提出など「菅降ろし」の嵐がふきすさぶ中、退陣表明をするに至るも、のらりくらりとかわし、気がつけば、延命の有効打として、市民運動家にとってこのうえなく手触りのよさそうな原発問題が、実に都合よく横たわっていたのではあるまいか。
市民運動とはもともと、消費者運動、反戦運動、反公害運動などワンテーマについて、既得権益に切り込んでいく取り組みであって、その論で言えば、首相が国民的人気を博するに至った薬害エイズ事件などは、旧厚生省と製薬会社との癒着体質に風穴をあけた意味で、願ったりかなったりのテーマだった。首相にとって、原発問題もそうした角度で入り込める最たるものなのだろう。
してみると、首相が7月31日に開かれた長野県茅野市の会合で、経済産業省原子力安全・保安院の「やらせ」問題に言及し、「厚相時代に体験した薬害エイズの構造とそっくりだ」と指摘したのも、うなずける。
つまるところ、これぞとにらんだテーマの勘どころを鋭くザクッとつかみ、もって「一点突破、全面展開」を志向して流れを形作る−。これこそが、市民運動家として培われた首相の政治手法である。こういう手法しかとれないようでは、宰相としての限界をさらしたも同然であるのだが、皮肉にも、延命策にはうってつけの一策になっている。
「今の首相は政治家ではない」と見抜いた与党幹部の言葉がむなしく心に響き、いわく言い難い絶望感にさいなまれてしまうのである。
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