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天国の高杉晋作は、菅直人首相に対して激怒しているのではないか。最近私はそう感じている。菅首相は就任当初、自らの内閣を「奇兵隊内閣」と公言した。奇兵隊を創設した初代総督は高杉晋作だから、自分が高杉になったつもりなのだろう。私もかなりの高杉ファンだが、どう見ても首相と高杉には大きな違いがある。
資質、能力、性格からむしろ高杉は正反対の人物のように見える。あえて言えば、首相は高杉に敵対した赤根武人と似たところが多い。かねてから、首相が高杉に傾倒していることは知られていた。自分に無いところを持つ高杉に憧れて、それに一歩でも近づこうとしているのだと私は好感していた。だが、最近になって、彼が高杉の本質を全く理解していないこと、そして高杉から何も学んでいないことがはっきりしてきた。
地位に無欲で「場当たり」な言動なし、周囲の信頼が厚かった高杉晋作
高杉晋作の最も顕著な性格的特性は、地位に対して徹底して無欲であったこと。藩命によって役職を与えられると素直にそれに応じたが、役割を終えるとさっさと引き下がった。高杉はわずか80人そこそこの手勢で功山寺で挙兵。当時幕府に屈していた長州藩の俗論党政権を打倒。長州藩を討幕路線に大転換して明治維新への道を開いた。
彼はその実績により、藩内で最大の発言力を得たにもかかわらず役職を固持して、「あとは諸君に任せるよ」と身を引いた。また、高杉は、志が固いばかりか、討幕、開国の大目標に対して驚くべき一貫性を持っていて、「場当たり」な言動がなかった。それに、同志を大事にする性格も際立っていた。志に殉じた奇兵隊などの隊士のために、馬関(下関)郊外に招魂場をつくって手厚く神霊を祭った。また彼は隊士からの信頼もすこぶる厚かった。
労咳(結核)の身ながら討幕戦を指揮して勝利すると、そのまま病床に臥して臨終を迎えたが、何百人もの隊士が、高杉の身代わりになりたいと言って、連日神社に祈願を続けたと言われる。高杉は、百花にさきがけて咲く梅の花が好きだった。彼もまた、維新の春を待たずに、梅の花のように寒中に咲いて散っていった。
満27歳の生涯を閉じて半年後に、大政奉還、王政復古と時代は急激に転換することになった。下関吉田山の墓所には、高杉が多勢の隊士たちに囲まれて眠っている。彼の葬式には数千人の回葬者が列をなしたと言う。強い志で「しがらみ」を突破したとき社会的政治的影響は大きくなるところで菅首相は、このところしきりに「しがらみがない」ことを強調する。
しかし、高杉は人並み以上に「しがらみ」に苦悩していた。家族、そして藩の強いしがらみを、志の強さで突破したのである。しがらみがなくても、志が弱ければ何の意味もない。また、しがらみが多ければ多いほど、志によってそれを突破したときの社会的政治的影響は大きいのである。菅首相の退陣は秒読み段階に入っているはずだが、どうか最後に高杉晋作に学んでほしい。これ以上延命しようとすれば、歴史の汚点として記述されかねない。
http://diamond.jp/articles/-/13455
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