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首相、保安院やらせ問題「薬害エイズとそっくり」 (朝日ドットコム 2011年7月31日19時17分)
http://www.asahi.com/politics/update/0731/TKY201107310224.html?ref
菅直人首相は31日、長野県茅野市で開かれた「みんなのエネルギー・環境会議」の初会合に出席。あいさつで経済産業省原子力安全・保安院のやらせ問題に触れ、「厚生相時代に体験した薬害エイズの構造とそっくり」と指摘した。・・・
首相はまた、震災後、原子力政策に対する考え方が変わったと説明し、「原発にできるだけ依存しなくてもやっていける社会をめざすべきだ」と改めて持論を展開(した)。・・・
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「震災後、原子力政策に対する考え方が変わったと説明し」・・・
この事から、わかること。
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まず、菅は首相失格だということ。
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政権党の党首=総理大臣が、何かコトがあったからといって、そのつど「考え方が変わって」もらっては困る。
野党なら試行錯誤でもよい。
しかし政権与党の場合には、重要な点において「考え方が変わった」ならば、野に下る、あるいは選挙に問う、少なくとも党首・党執行部は交代する、ことが必要だ。
そうでなければ、公約をかかげ有権者に選択された多数党が(=国民主権)、政権を担当するという前提(=政党政治、議院内閣制)が成り立たない。
◇
次に、菅はそもそも政治家失格だということ。
↓
まず前提として、政治家たるもの国政の重要事についてはすべてあらかじめ自己の「考え方」をもっていてもらわなければ困る(=そしてそれを公約にかかげる)。
原発についていえば、政治家ははじめから肯定(=必要だから・安価だから・クリーンだから・・・理由は何であれ)か、あるいは否定(=危険だから・ペイしないから・利権の巣だから・・・)のいずれかの方針をもっているはずだ。
原発について政治家がとりうる態度は、この二つのどちらかしかない。
原発賛成、その理由は「絶対安全だから」、と政治家がいうのはありえない。
しろうと=一般国民はそれでもよい。「安全だといわれたから信じていた」、「騙された、目が覚めた」、何でもよい。
しかし一般国民ならぬ政治家が、(騙されていたのでないかぎり誰にも容易に想定できる)事故によって、そう簡単に「考え方が変わって」、「原発肯定だったが → 事故があったので → 否定に変わりました」、では困るのだ。
もし菅が本気で、今回の事故で原発について「考え方が変わった」というなら、それは彼がただの「政治のしろうと」だということだ。
◇
菅が、首相失格でも政治家失格でも、そのどちらでもないというのならば、
彼はペテン師=大嘘つきだということになる。
上で述べたとおり、(素人ならぬ)政治家たるもの、これまで「原発は安全」と思っていた、などということはありえない。
かりに事故前に原発を肯定していたのならば、それは必ず、「危険だが国家にとって必要だから(=事故になろうが知らない)」、という政治的判断でなくてはならない。
(なお、経団連・米倉や、御大・石川迪夫先生、悪名高い山下俊一先生は、明確にこの立場です。)
「絶対安全神話」は、権力が国民をだますためのもので、まさかそれを自ら信じている政治家などいるはずはないのだ。
つまり、>「震災後、原子力政策に対する考え方が変わった」との発言は、(菅がしろうと=一般国民なみに騙されていた、つまり政治家失格というのでない限りは)、ただのうそ、ペテンでしかないことがわかる。
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いずれにせよ、
これではまるで、戦争大好き政治家が戦争を始めておいて、途中で敗けそうになったら、「考え方が変わった」といってなお居座るようなものだ。
もっとも日本では、66年ほど前に、似たようなことがあったが。
◇
このように簡単にばれるペテンに全く触れずに、菅は「震災後、原子力政策に対する考え方が変わった」と報じるだけの新聞・マスコミも、(66年前と同じく)大問題だ。
だからこの連中に、菅の嘘の背後にある動きについての批判的報道など望むべくもない。
その例。
↓
○八面六臂の活躍の孫正義氏。
・6/12 首相官邸での「自然エネルギーの普及に関する懇談会」に出席。
・6/15 衆議院議員会館での「エネルギーシフト勉強会」で講演。
・7/13 35道府県知事と「自然エネルギー協議会」設立。
・7/27 19政令市市長と「指定都市自然エネルギー協議会」設立。
○内閣官房参与・田坂広志氏が、ソフトバンク系100%出資のソフィアバンクという会社の代表取締役社長である事実・・・など。
◇
最後に、いちばん心配なことは、このように国の根本にかかわる事柄について重要な政策変更があっても、政権担当者が、「考え方が変わった」とウソぶいて、依然居座り続ける事実です。
歴史的にはこのような現象は、「独裁」といわれた。
「独裁」といっても、必ずしもその政権担当者(=「独裁者」)は、カリスマ性あふれる「大物」である必要はありません。
小物でも、既存勢力のバランスの上に乗っかって、「漁夫の利を占める」的な立場で政権継続する場合もあります。
いずれにせよ、菅のパフォーマンス政治(=受け狙い・ポピュリズム)には、その臭い(=議院内閣制・政党制無視)、がします。用心が必要かと。
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