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菅首相の政治資金規正法違反 闇から闇の“指揮権発動”の存在は如何に?
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2011年08月01日:(世相を斬る あいば達也)
あいもかわらず菅直人が元気だ。(笑)原子力行政に対して「薬害エイズとそっくり」と輝いていた厚労相時代の自分を思い出して欲しい、と言わんばかりに力説していた。であるならば、保安院などと云うチャチな行政機関のトカゲの尻尾を責めるより、本丸を攻撃するのが筋だろう。攻めるは保安院にあらず!経済産業省だろう。 保安院相手に虐めをしても「原子力行政の抜本改革」なんてありえんだろうが。単なるスケープゴートの目くらましに騙されてはイカンのだが、結構リベラルな識者も罠に嵌っている。イジルクルなら、エネ庁と経産省じゃないのか。
昨日のコラムで筆者が例え話で出したような、ドラスティックな目に見えた改革がなされなければ、他人まかせのブ〜タレ国民に理解できるわけもない。マスメディアの誤魔化しが出来る範囲の改革は駄目なんだよ。やる以上、真っ黒か真っ白じゃないと、ボケた国民には識別不可だよ。
財務省にどうしても手が出せないのなら、せめて死ぬ前に官僚機構の一つくらいに一太刀浴びせる器量と云うか矜持はないのかね?あったら、こんな無様な政権の姿を晒す事もないだろうから、無理無体な要求と云うことかもしれない。本丸を攻めずに、出城を落城させて、カチドキを挙げても、拍手は湧きあがらんのだが、判っているか、菅直人。
それでも、この男しつこい。民間主催の「第1回みんなのエネルギー・環境会議」に出席、今後のエネルギー政策にもお得意の「工程表」を持ち出し、三段ロケット方式で政府のエネルギー政策を見直す、と言い放つ始末。どう考えても、1カ月以内に辞任する総理大臣の姿勢ではない。気がふれているのだから、何が何だか判っていない、と云う理解も可能だが、自らを正当化する論理を聞く限り、気は触れていない。
昨夜は数少ない菅グループの会合があったようだが、一定のめどの3法案通過しなければ辞めるに辞められぬ等と言った、と特例公債法案に関しゴチャゴチャと難癖をつける自民党をけん制したようだ。しかし、だからと言って、菅が3法案が成立したから素直に辞めると信じている国会議員は皆無だろう。もし、本気で信じているヤツがいたら、余程の馬鹿かお人好しだ。鳩山由紀夫が「菅さんを信じる」岡田も似たような言い回しをしていたね、目出度いお話だ。
やはり、最終的にこの男を引き摺り降ろす方法は再度の不信任案の提出しかないのだろう。信任決議案と云う破天荒な方法よりも筋はいい。憲政の常道としても、野党が不信任を提出するのが筋で、与党が信任案を出すのは禍根を残しそうである。
ただ、やはり気になるのは菅直人の外国人献金関連にまつわる疑惑がクリアされるかどうか、隠れた決め手のような気がしてならない。笠間検事総長の東京地検特捜部の粛清人事と特捜部の経済事犯に特化すると云う方向性を出したことが、内閣総理大臣の犯罪への、闇から闇の“指揮権発動”の具現化なのかどうか、一考に値する。菅辞任後に、特捜が外国人献金問題を捜査するかどうかを見守るしかないのだろう。
逆に3法案成立後、素直に辞任するようなら、闇から闇の“指揮権発動”がなされ、江田法相と法務省・検察庁の話がついている事を意味するのだろう。3法案成立後も総理を降りない場合は、法務省・検察と話がついていないと云う見方も可能になる。 法的には十二分に政治資金規正法の違反要件を備えているだけに、小沢陸山会よりも単純明快に起訴が可能な案件だ。同様に前原誠司も起訴可能だ。この二人、何てことない「その通りです、ゴメンなさい」と言って自白しているのだから(笑)起訴するもしないも、検察の胸三寸なのである。マスメディアからの報道は消えているが、この骨は結構太い。
特に北朝鮮が絡んでいるとなると、検察の正義が復活しても不思議ではない。 まぁ闇から闇の“指揮権発動”が存在し、菅がセーフでも構わないだろう。今さら、政治資金規正法で違反で動く検察と云うイメージは検察にしても好ましい流れではないわけで、充分に手打ちが可能な取引である。そういう観点から、菅直人の去就を観察すると、解散の可能性は殆どなさそうだ。国会議員でなくなった菅直人は別物の扱いを受けるので、そのリスクを自ら招くことはないだろう。
昨日、ぶらりと本屋に立ち寄り、珍しく悪魔・竹中平蔵の「日本経済 こうすれば復興する」を購入。さらさらと斜め読みしてみたが、敵ながら正論も述べている。市場原理主義者が述べることと云うのは、正論に邪悪な思惑が隠されているわけだが、都合のいい部分はつまみ食いすべきである。これこそが“清濁併せのむ”と云う事なのだと思う。高橋洋一や古賀茂明にも同様のことが言えるが、すべてが正論と云うことは滅多にない。邪な思惑分をネグれるかどうか、そこが重要かもしれない。
論の整合性と合理性に捉われ過ぎて、国家の歴史文化や情緒、民族を置き去りにすることのない心も大切なのだろう。いずれ平蔵君の論も紹介、難癖をつけてみようかと考えている。なぜか平蔵君の最近の本では”セーフティーネット”と云う言葉が嫌に目立つ。(笑)本心、相当こたえているようだ。
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