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太平洋戦争という呼び名は、日本政府の使っていた大東亜戦争と言われていたものが戦後になって連合軍によって強制的に呼称を変えられたものである。ここでの定義は1941年12月7日(日本時間で12月8日)の真珠湾攻撃の日から、降伏文書署名の1945年9月2日までとされるが、英国などのヨーロッパではもっと広く、大東亜戦争の概念でいわれる日中戦争の開始時期である1937年7月7日からとする説が多い。やはりこちらの解釈の方が無理がないように思う。
この戦争の原因は、明らかに19世紀の西欧に見られた国家覇権主義を真似て、それを変える事が出来ないままに国家が暴走した結果である。被害者は国民である。責任は国家を運営していた軍部を含む全ての官僚と政治家にある。勿論、今と制度が違うので政治家と言っても今の意味での政治家ではない。半ば身分制に近い政治家たちである。犠牲者数は戦闘員で170万人、民間人で40万人弱であるが、他国の民間人犠牲者数は、中国ではおよそ1500万人以上、朝鮮では20万人以上と、その他の東南アジアを含めると膨大な人数になる。ここに見られる結果は、いかに為政者たちの責任というものが重大なものであるかという見本のようなものである。今の我が国の政治家や官僚、知識人は、その結果に対して何を学んでいるのであろうか。何となく原爆によって我々は被害者感覚だけが大きくなっている気がしてならない。政治家や官僚たちの外交感覚や防衛政策を見る限り、この国は何も学んでいるようには見えないが、それは国民も同様ではないのだろうか。この国に今ある事は経済的な問題ばかりで、防衛とか外交における思想の欠如は目を覆うばかりのひどさである。戦後続いた自民党という官僚と一体化した政治が、この国を何も考えない三流国家にしてしまったのである。
戦争のみなもとは明治維新の国家体制の構築の背後にあった西欧思想絶対主義と、その科学技術の移入のための全体主義国家の構築にある。西欧の科学技術をもとにした圧倒的な武器や機械の存在から来る脅威のため、わが国の明治維新の国家創建者たちは世界でも類まれな大きな変化に対してその優秀さを示したのである。国民の統一のために天皇を神とする国家神道という精神的なバックグラウンドとしての新しい宗教を作り上げ、高い教育によって西欧の科学技術の移入により短期間に列強の仲間入りを果たすことができた。そこにあったものは国家をあげた西欧思想の絶対化である。従って国力と軍事力が増大する事による他国の侵略という国家覇権主義は、その19世紀的な西欧思想の必然の結果として起きたのであるが、誰もそれが時代遅れの間違ったものである事を認めようとしなかった。
明治維新の成功を的確に分析せず、その方向を変える事が出来なかったのは、現在の日本と同じの官僚機構主導の政治体制に原因がある。一旦、成功したものがあると、それを変える事は非常に難しい事である。ましてや日本の官僚機構というものは自己の責任を認めないため、基本的に誤りを認めようとしない。従って方向転換と言う事が出来ないという致命的な欠陥を持っている。これが軍部を中心とした官僚たちによる太平洋戦争という無謀な戦争への突入の原因である。誰もが石油の備蓄がたったの2年しかない事を知りながら突き進んだ太平洋戦争。過去の戦争には勝ってきたという思い上がりによった愚行、我々はそれをもっと深く考えなければならない。そしてその経験を活かさなければ死んでいった多数の犠牲者に何も報いる事が出来ないだろう。現在ある安易な核武装論議や、靖国神社の絶対化などを未だに目論む何も考えない政治家たちは論外である。正しい歴史認識だけが、世界で我々が尊敬される国民になれる唯一の道である。そして今も変わらない官僚主導の何も変化のできない国家体制。これを変えなければ、この国は又しても同じ間違いを犯すだろう。間違いがあったならそれを認め変化できる国、そして戦後せっかく手に入れた民主主義、その本当の意味での民主国家に変わる事、それこそが今、我々に求められているのである。戦後成し遂げた一回だけの大きな経済的な成功、たったそれだけの事で戦前と同じ間違いを続けようとしているわが国。それを誰も正確に述べず、毎日起きる政治的な些事に意図的に振り回されている国民たち。この国は救い難い状況になっている。
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