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株式日記と経済展望
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危機に右往左往する総理大臣、肝心なところで病床に伏せる東京電力
社長と日本のリーダーたちの醜態。彼らの姿は、世界中で嘲笑された。
2011年7月28日 木曜日
◆サンデル教授のような授業は例外? 米国のエリート大学の本当の姿 7月28日 WEB本の雑誌
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110728-00000301-webhon-ent
東日本大震災をきっかけに、私たち日本人が目の当たりにしたことが二つありました。一つ目は、失意のどん底でも取り乱さない被災者や、寝食を忘れて災害救助に励む自衛隊員たちの存在。彼らの姿は世界中で賞賛されました。
二つ目は、危機に右往左往する総理大臣、肝心なところで病床に伏せる東京電力社長をはじめとする、日本のリーダーたちの醜態。彼らの姿は、世界中で嘲笑されたと言います。
現場の優秀さ、勇敢さが際立つほど、エリートたちの質の低さが露呈した今回の大震災。「そのあまりに鮮明なコントラストは、日本人に希望と絶望を与えた」と、東洋経済新報社の雑誌記者・佐々木紀彦氏は言います。「日本はなぜこうもリーダーに恵まれないのか――。今われわれは、こう自問自答せざるをえない状況にある」と。
優秀なリーダーを生んでいる国として、しばしば米国や英国の名前が上がります。しかし、両国の国民は日本の国民に比べてそんなに優秀でしょうか? 佐々木氏は、「平均的な教育レベルは日本が上でしょうし、人間としての知徳においても差はない」と自著『米国製エリートは本当にすごいのか?』で述べています。ではなぜゆえに両国の指導者のクオリティはこうも違うのでしょう。
米国の有数なエリート輩出校であるスタンフォード大学のサマープログラムに、大学2年生の時に参加した佐々木氏は、広大なキャンパス、英語の授業、現地学生との交流などを通してスタンフォードに魅せられたそうです。そして、「いつかこの場所に返ってくる」と固く誓い、28歳の時に休職して再び大学院生としてスタンフォード大学で学びました。
しかし、社会人経験を積んで物事を冷静に眺めることができるようになった佐々木氏の目に映ったスタンフォードは、八年前とはまったく別物。その二年間の留学生活を通じて、「米国の大学教育は素晴らしいと、世界中でいわれているけど、どこがそんなに素晴らしいのだろうか。一流大学の学生は、本当に優秀なのだろうか」と漠然と抱いていた疑問に対する、自分なりの答えを見出しました。
その結論は、「感嘆するところもあるが、そうでもないところもある。ただし、日本が学ぶべきところは数多い」というもの。
そして、米国や英国のリーダーのクオリティが高いわけは、「エリート育成システム」にあると紹介しています。日本には、エリートを選抜し、教育し、競争の中で鍛え抜くシステムがなく、リーダーの出現を天に任せているから継続的に良質なリーダーを生むことができないのだと。
日本では「エリート」ときくと、鼻持ちならない秀才野郎を思い浮かべる人の方が多いかもしれませんが、本来のエリートとは、国民にとってありがたい存在。平時に特権を与えられる一方で、有事には進んで国のために命を捧げてくれるのが本当のエリートの姿。しかし、日本でここまでエリート嫌いが広がってしまったのは、「自らは危険に身をさらさず、特権だけを享受しようとする"似非エリート"が幅を利かすようになってしまったから」(佐々木氏)。
米国のエリート大学での留学経験を踏まえ、日本人が米国のエリート育成システムから学ぶべきもの、学ぶ必要のないものの両方を詳しくまとめた本書。この本を読んだ若者が、日本オリジナルのエリートとなって、日本のリーダーになってもらえないものか。そう願わずにはいられません。
◆欧米の有名大学院に派遣された各省の若手エリート官僚の中に、以前にはなかった悲惨な落ちこぼれ現象が起きているのはなぜか? 2007年7月10日 株式日記
http://www.asyura2.com/07/senkyo38/msg/177.html
◆【やばいぞ日本】序章 没落が始まった(1)「ダイナミズム失う」 7月3日 産経新聞
http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/070703/wdi070703000.htm
グラフを見ていただきたい。米国で博士号(自然科学系)を取得したアジア人留学生数の年ごとの変化を示している。日本はわずか200人前後で低迷し、中国は逆に日本の10倍以上の2500人レベルを維持している。中国にかなり離されて韓国、インド、台湾が続き、日本は5位に甘んじている。
この数字がすべてではないが、日本人留学生の低迷や劣化を示す指標として霞が関の官庁街でささやかれている。それどころか、欧米の有名大学院に派遣された各省の若手エリート官僚の中に、以前にはなかった悲惨な落ちこぼれ現象が起きているという。経済学や論理学の授業についていけずに単位を落とすケースが増えつつある。
東大法学部卒のある若手官僚は、優秀な人材として出身省でも将来を嘱望されていた。彼は欧州の大学に研修留学して現地語はみるみる力をつけた。
ところが、数学力不足から経済理論がこなせず、論理学は古代ギリシャ哲学など基礎を学ばないから論理的に崩れのない文章が書けない。1年後に担当教授から呼び出
され、学業不振で退学処分になってしまった。
日本の大学入試は、記憶力にたけた学生に有利にできている。「ゆとり教育」が行き渡って受験科目を絞る大学が多いから、数学を受験しなくても法学部や経済学部に入ることができる。国際的にはこれが通用しない。
欧米の経済学は株価の変動など金融を中心に新しい理論が次々に導入されている。三角関数やフーリエ変換など日本の文系には縁遠い計算式が解けないと歯が立たない。肝心の日本のエリートにして惨憺(さんたん)たるありさまなのだ。(後略)
(私のコメント)
以前の政治なら官僚に丸投げしても何とか上手く行っていたのに、最近では民主党が官僚丸投げ政治では上手く行かないのは何か訳があるのだろう。以前なら東大法学部を出て中央官庁に就職したエリート官僚は、欧米の大学に留学して優秀な成績で卒業して帰ってきましたが、最近では授業についていく事が出来ずに退学処分で帰ってくるそうです。
これも「入試改革」の成果なのでしょうが、それだけ日本のエリート学生の人材の質が落ちて来ているのだろう。今の日本の大学では有名大学でも学生を集めることに苦労していて、OA入試で受験勉強もせずに大学に入ってくるから、大学のレベルは悲惨なことになっている。東大だってその例外ではないだろう。だから欧米の大学に留学しても授業について行けない学生が出てくる。
最近では大学の新卒者の就職率の低さがニュースになっていますが、これは企業の側でも新卒者のレベルが落ちて来ているから採用を絞らざるを得ないのだ。日本の大学は質の維持よりも経営を優先すれば学力の劣る学生も入学させるから、教育内容もレベルを下げていかなければ学生がついてこれない。このような悪循環が教育現場で起きているのだろう。
一時期のマスコミでは、受験戦争とか受験競争は良くない事の意味で使われるようになりましたが、競争させなければエリートを選別して行くことが出来ない。それよりも落ちこぼれを無くすためには教育レベルを引き下げることが行なわれた。最近の教科書はカラフルでマンガやイラストを多用した教科書が使われている。
欧米の大学では卒業までに480冊の硬い本を読ませるそうですが、月に10冊のペースだ。これでは自由時間の全部を読書に当てても読みきれませんが、本当ならすごい事だ。日本の大学生でこれほど本を読む人はまずいない。むしろ活字離れが話題になるくらいであり、社会人になれば本を読む時間すらないだろう。
海外では最新の情報を得ようと思ったら、インターネットにしろ本や新聞にしても英語が読めないと手に入らない。だから大学生や学者やジャーナリストはたいてい英語が出来る。その点では日本では大学教授ですら英語が話せず、日本語だけでも最新の情報が手に入る。人口が1億3千万人もいれば翻訳書でもある程度は売れるので翻訳で欧米の情報が手に入る。
その点では明治のエリートなら外国語が出来て、留学経験のあるエリートと一般庶民とは明らかな情報格差があった。それが高等教育の普及と翻訳書の普及で留学する必要もなくなり、日本のエリートは外国語が出来なくなった。ヨーロッパの数百万人しかいない国では自国語で書かれた本も少なく情報は英語の本やインターネットでしか手に入らない。
だから英語の出来るエリートと英語が出来ない大衆との格差がどうしても生じてくる。だから外国のエリートは必死になって欧米の大学に留学して英語を身に付けて使いこなしている。そうしなければ最新の情報が手に入らないからだ。日本におけるエリートと大衆との情報格差がないのは翻訳文化が普及していて、英語が出来ない大学教授がいても不思議ではないからだ。
日本では一般大衆のレベルが高くてエリートとの差がほとんどない。それでは、もともと英語が母国語の英米ではエリートと大衆との差は何から生ずるのだろうか? それは読書量の差だろう。それに対して日本のエリート大学ではろくに本も読まなくても落第もせずに卒業が出来る。その原因としては日本では反エリートに対する意識が高くて、小中高におけるエリート養成教育が行なわれていない。差別はよくないという発想からだろう。
進学エリート校はあるが、大学入学までだ。日本には大学におけるエリート教育は行われていない。東大をはじめとするエリート校でも、「エリート育成システム」はない。『日本では「エリート」ときくと、鼻持ちならない秀才野郎を思い浮かべる人の方が多いかもしれませんが』と記事にもあるように反エリート感情は日本の特徴でもあるだろう。
欧州では貴族と一般大衆とは歴然とした差がありますが、アメリカでも経済的貴族と大衆とは格差が激しい。そのような欧米エリートと日本のエリートを比べると差が出るのは当然なのだろう。日本の大学でも「エリートを選抜し、教育し、競争の中で鍛え抜くシステム」を取り入れて人材を養成しなければ、外交でも太刀打ちが出来ませんが、エリート教育は日本のシステムに馴染まない。
日本の小学校や中学校では飛びぬけて優秀な学力の生徒は「いじめ」の対象になりやすく、それだけエリートに対する嫉妬心が強い。企業においてもエリート社員と呼ばれるようになると周りから足を引っ張る連中がいて潰される事がある。このような反エリート感情はどこの国でもありますが、社会構造の差がエリートと大衆の差を生んでいますが、日本では大衆化が進んでエリートの居場所がない。
日本では平等こそ正義であり、能力に差があってはならず、年功序列で平等に出世が保証されるのが日本の会社だ。政界も年功序列でありエリートは存在しない。こうなると能力があっても評価されないのだから「能ある鷹は爪を隠す」で賢い人物もバカのふりをしないと潰される。しかしバカのふりをしているのか本当にバカなのかは総理になってみないと分からない。菅総理は真性のバカだったと言うことだ。
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