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「小沢捜査」を指揮した大鶴前東京地検次席が退官、佐久間前特捜部長は左遷の「内幕」
家宅捜査も連発した特捜部捜査の限界
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/12847
2011年07月21日(木) 伊藤 博敏 :現代ビジネス
小沢一郎民主党元代表を狙った東京地検特捜部の政治資金規正法違反事件の是非が、改めて問われている。
実行犯の石川知裕元秘書(現代議士)らを裁く「秘書公判」が今秋に判決、検察審査会に強制起訴された小沢氏の初公判が10月に開かれるという現段階で、是非が問われるとはどういうことか。
検察OB弁護士が解説する。
「秘書公判を審理する東京地裁(登石郁郎裁判長)は、検察が提出した3秘書の38通の供述調書のうち11通を全文却下、残りも一部を却下しました。その理由を裁判所は、『検察側が心理的圧迫と利益誘導を織り交ぜながら巧妙に誘導した』と、書いています。
つまり調書は信ずるに値しないというわけで、石川被告が小沢氏に、『虚偽記載を報告、了承を得た』という重要な調書も含まれています。小沢無罪は確定的。3秘書の罪を問えるかどうかも怪しく、検察の捜査手法が改めて問題となっています」
■「特捜検事」のDNAを最も色濃く受け継いだ検事
大阪地検事件に続く検察の失態だが、その行く末を睨んだように、「小沢事件」の指揮を執った二人の検察幹部が、捜査の第一線から退くことになった。
ひとりは、最高検の東京担当検事を経て東京地検次席として捜査を指揮した大鶴基成最高検公判部長。大鶴氏は7月末で検察庁を退官、弁護士となる。
もうひとりは、大鶴氏と長くコンビを組み、「小沢事件」は特捜部長として現場責任者だった佐久間達哉大津地検検事正。8月からは国連アジア極東犯罪防止研修所(アジ研)の所長として刑事司法の様々な問題を取り扱うことになる。
大鶴氏は、「特捜検事」のDNAを最も色濃く受け継いだ検事といっていい。
高校時代から田中金脈問題やロッキード事件を解明する検察官の仕事に憧れていたということで、鹿児島の名門ラ・サール高校を経て東大法学部へ。司法修習を経て検事に任官、特捜検事としてゼネコン汚職、総会屋事件などを捜査、2005年4月、念願の特捜部長に就任した。
特捜部長として手がけた著名案件が、ライブドア事件、水谷建設脱税事件、佐藤栄佐久福島県知事収賄事件などである。いずれも事件の筋を読み、それに沿って供述を取り、立件するという伝統的な検察の捜査手法に則っていた。
■家宅捜査を連発する「大鶴乱射事件」
意識もまた「特捜検事」そのものである。
かつて司法修習生向けに、こんな文章を残している。
「そもそも不当に利益を貪ろうという人たちは、摘発されないように巧妙な仕組みを作っているのですから、多少の困難を前にして捜査を諦めたのでは、彼らの思うつぼです」
大鶴氏にとって特捜検察とは、額に汗して働く国民の側に立ち、地位を利用、不当に利益を得ようとする政治家、高級官僚、企業人などの違法性をチェック、一罰百戒を与える国家秩序の担い手だった。根源には、素朴な正義感がある。
しかし、権力者には法の穴を突く地位も知識もカネもある。その権力に立ち向かうには、いかに検察といえどもたいへんで、だからといって捜査を諦めたら「彼らの思うつぼ」なのである。
大鶴流はしつこい。
捜査の端緒になればいいと、家宅捜索を繰り返す。捜査令状の理由は、後からつければいいという発想で、水谷建設事件では、そのあまりの家宅捜索先の多さから「大鶴乱射事件」と呼ばれたほどである。
09年3月に大久保隆規秘書を逮捕。その後も追及の手を緩めず、「4億円秘書宅」に目をつけ、その出所がゼネコンからの裏ガネだという目論見のもと、水谷建設ほかのゼネコンを何度も呼んで供述を引き出し、10年1月の「石川逮捕」にまでつなげるのは、まさに「大鶴流」だった。
佐久間氏は、東大法学部を卒業、司法修習を経て検事に任官、4度、特捜部を経験している。大鶴氏が東京地検特捜部長時代、副部長を務め、佐藤栄佐久収賄事件の際、現場指揮を執った。
佐久間氏の特捜検事としての能力に疑問符がついているわけではなく、検察庁内の評価も高いのだが、「無理せざるを得ない」という特捜検事の宿命なのか、ここ数年は失点続きである。
主任検事として捜査を担当した旧日本長期信用銀行の粉飾決算事件では、証取法や商法違反で当時の経営陣を逮捕・起訴したが、いずれも最高裁で逆転無罪判決が下された。また、佐藤栄佐久事件にしても、「特定企業を受注させる行為はあった」としながらも、金銭の認定には至らず、「賄賂なき収賄事件」と、実質的には無罪に等しい高裁判決だった。
そのあげくの「小沢捜査」である。
■崩れたトライアングル
佐藤栄佐久事件でコンビを組んだ二人は、捜査を通じて小沢氏の東北談合への影響力を熟知した。その共通認識が、「小沢捜査」の端緒となった西松建設事件を小沢ルートに延ばすきっかけとなり、「何度もチャレンジする」という正義感が、無理な捜査につながった。
大阪地検事件を機に検察捜査の見直しが始まり、最高検は7月8日、政界を中心とする独自捜査の縮小を決めた。
「特捜部」という名称は残すものの、財政経済事件にシフト、その理由を笠間治雄検事総長は、こう説明した。
「過度の独自捜査優先の考え方は、過度のプレッシャーを生みかねない」
これまで検察は、「過度のプレッシャー」のなかから事件の端緒を見つけ出し、立件までのシナリオを書き、それに沿って捜査、供述を取って肉づけをする「シナリオ捜査」を、腐敗する権力の一罰百戒効果と秤にかけ、「日本の利益」のために認めてきた。
つまり検察にとって「秩序の担い手」は自分たちであり、それを裁判所は認めて99・9%の有罪判決を出し、司法マスコミはそれを支えた。
しかし、検察と裁判所とマスコミのトライアングルは崩れ始めた。
「小沢公判」で、裁判所は特捜捜査を認めず、司法マスコミも検察批判を展開、検察自身が組織と意識の改革を約束した。
その時点で、「小沢捜査」を担った二人の指揮官は責任を取ることを余儀なくされ、大鶴氏は退官、佐久間氏は左遷の道を選んだのである。
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