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◎なでしこを「菅政治」の垢で汚すな
http://thenagatachou.blog.so-net.ne.jp/2011-07-20
2011-07-20 07:29 永田町幹竹割り
なでしこジャパンの快挙を首相・菅直人が何と言って“汚す”かと注目していたが、案の定「やるべきことがある限り、私も諦めないで頑張りたい」と宣うた。「7・18の快挙」は「3・11」以来日本が初めて味わった爽快感であったが、これが一挙に吹き飛んだ。賞味期限切れの牛乳を飲んでしまったような後味の悪さだけが残った。そうか、菅はなでしこの奮闘をそういう気持ちで眺め、露骨に“政治利用”する人間であったのかと改めて感じた。ど田舎の村長ですらもう少しましなコメントをすると思った。チームのモットーである「最後まで諦めない」を冒涜(ぼうとく)するものだとも思った。
試合を見ていてこのすがすがしさは何だと思い続けたが、潜在意識のもとで政治の現実と比較している自分に気付いた。試合を終始貫いたのは汚い政治の現実とは相反する世界だったのだ。まず薄汚い反則がなかった。日米両チームともフェアプレーに徹していたのだ。一方で、菅は政治家として最大級の反則をした。「辞める」と印象づけて自らの党の議員をだまして不信任案を否決、いまだに居座っている。「ペテン師」呼ばわりされ「民法では詐欺罪」(自民党政調会長・石破茂)とまで言われても恥じるそぶりもない。いくら政治の世界でもぎりぎりの道徳はある。歴代首相はそれを守ってきた。「辞める」と言ったら辞めたのだ。
なでしこの「仲間を信頼する団結力」もない。そこには「俺が俺が」の醜い姿があるだけだ。みんなの党代表の渡辺喜美が、「なでしこジャパンは綿密な連係プレーだが、一方の菅政権はワンマンプレー。首相がボールをつかんで放さない」と皮肉ったとおりだ。利用出来るものは何でもつかんで離さない。主将・沢穂希に得点させるための宮間あやの1ゴール1アシストの必殺技は、菅政治のどこを見回してもない。ボールはパスするものではない、自分が最後まで抱え込むものだと思い込んでいるのだ。
沢のリーダーシップが菅にあるか。リーダーというものは白日の下で部下から常にチェックを受けている。沢が所々で見せた“神技”のかけらも、菅の政治には見られないではないか。宮間のコーナーキックを受けてゴールを決めた瞬間は一瞬何が起きたかと思わせた。剣豪・佐々木小次郎のツバメ返しを見たかのような鮮やかさであった。残り3分で「根性の勝機」を掴んだのだ。チームはそういう沢の戦う姿を見て、常に勢いづいてきたのだ。民主党チームの若手議員らが、菅の姿を見て勢いづくだろうか。逆だ。菅の姿を見る度に「俺は次の選挙では落選するだろうな」と意気消沈させる。これはリーダーとしてまれに見る得意技だ。議員ばかりではない、国民の支持率が12%だ。菅は「まだ竹下の4%がある」と、異常な“前向き指向”に浸っているとしか思えない。
菅には「鮮やかな政治」はない。なでしこの純粋なひたむきさもない。肝心な点はそれに自分が気付いていないことだ。気付くべき夫人・伸子ですら気付いていないで、けしかけている。まるで三流女流監督だ。なでしこの走る姿は天女のように爽快感があるが、菅のそれはゲジゲジのようにおぞましい。公明党代表・山口那津男が「せっかくのなでしこジャパンの頑張りを無にするに等しい」と菅の居座り発言を批判している。菅はなでしこに国民栄誉賞を出したがっているようだが、これ以上の政治利用はすべきでない。米国チームの選手が「日本チームは何か見えないものに後押しされているようだった」となでしこの戦いぶりを評したが、背後には東日本大震災への思いがあったのだ。純粋無垢な運動選手たちは日本の宝だ。それ故に薄汚い「菅政治」の垢で汚してもらいたくない。早々に政権交代して新首相の手に国民栄誉賞の授与をゆだねるべきだ。こればかりは急がなくてよい。
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