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http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/eb1c03523e423344929360ee28cf1a71
産経新聞 より
http://www.sankei.jp.msn.com/economy/news/110719/biz11071918500023-n1.htm
定年65歳引き上げ「議論する状況にない」 経団連が反論
2011.7.19 18:48
経団連は19日、政府が検討している法定定年年齢を65歳に引き上げる案に反対する提言を発表した。
現行の60歳定年を引き上げるには賃金制度や人事配置など解決すべき問題が多いとして、
「定年引き上げの議論を行う状況にはない」としている。
定年をめぐっては、政府が昨年6月の新成長戦略で
「希望者全員が65歳までの雇用を確保されるよう2013年度まで措置を講じる」
と規定。
今年6月の厚労省の研究会では
「定年年齢が65際に引き上げられるよう議論を深めるべき」
と報告された。
だが提言は激化する国際競争を背景に企業は雇用維持にすら苦慮していると強調。
希望者全員を65歳まで雇用すると高齢労働者数が2017年には現行より約33万人増加し、
将来を担う新卒採用を抑制せざるを得なくなると主張した。
また経済の先行きが不透明なうえ当面は高齢就職希望者の増加が見込まれることから「自社内での雇用確保には限界がある」として、子会社や資本関係のない企業への転籍も高齢者雇用安定法に定められた措置を講じたものにすべきだと求めている。
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【私のコメント】
江戸後期の伊能忠敬は50歳で商売を辞めて、それから『大日本沿海與地全図』を完成した。
50歳前後で仕事を辞めるのが普通であった。
もちろん今とは平均寿命の違うのだが、違うのはそれだけではない。
『いつまでも働くものではない』という意識が広く社会に行き渡っていたのだ。
いわば『余生』を楽しんでこそ人生だという観念があった。
そしてその『余生』も今の『余生』とは違う。
『余生』とは『余り』の『人生』ではなく、そこから本当の人生が始まるという第二の人生であった。
もちろんそこには今と違って、若者だけに価値をおかず、年を取れば取るほど人間は奥行きが深くなるという考え方があった。
だから第二の人生が本当の人生になれたのである。
若いときに一生懸命働くのはこの第二の人生を豊かにするためであった。
そうでなければ伊能忠敬の偉業は理解できない。
彼の成し遂げた仕事はご隠居さんの道楽程度のものではないのである。
江戸時代に比べれば現代社会は豊かな社会である。
この豊かな社会では江戸時代以上の豊かな第二の人生が開けるはずである。
ところが今は55歳を過ぎても、60歳をすぐても、働かなければならない社会になっている。今の若い世代は65歳を過ぎても働かなければならない社会になるといわれている。
一体いつまで働くのか。
年を取っても、働きたい人は働いてもいい。それが保障されることはよいことである。
しかし年を取っても働かなければ生きていけない社会は貧しい社会である。
今の社会はそうなっている。
働きたいから定年を65歳に延長しようとしているのではない。
60歳で年金支給ができなくなったから65歳まで働かなければならなくなっただけである。
伊能忠敬の時代には、50歳で現役を引退できるようにするために若いときから一生懸命働いた。
ところが今は、若者たちの雇用の場が失われつつある中での、定年延長である。
むろん働きたい人は働いてよいのだが、若い頃から40年近くも働けば、誰でも引退できる社会というのが望ましいのではないか。
生活のためにいつまでも働かなければならない社会というのは、貧しい社会であって、望んでそんな社会になるべきではない。
しかし政府は定年延長を求めて、年金支給年齢の引き上げを正当化しようとしている。
そしてそれに対して経営者団体が反対を表明している。
政府は企業の論理にも合わないことをやっている。
企業にとっても若い方が良いのである。
年を取ると若いときのようには働けなくなる。
リストラが横行する今の社会でこういうことをいうと、お前は企業の回し者かと、非難されるかもしれないが、
生活の保障さえあれば、50歳を過ぎて60歳に近づいた人間が仕事を辞めようと思えばいつでも辞められる社会というのは、暮らしやすい社会である。
それは結構豊かな社会ではないのか。
『生涯現役』
今やこれが一つの価値観になっているが、日本の伝統社会というのはそういうものではなかった。
子どもを育て、成長させたあとの現役引退後の時間こそ、本当に自分のしたかったことができる。
このような生き方は伊能忠敬だけではなく、石門心学の祖、石田梅岩にも見られる生き方である。
そうであってこそ豊かな人生を送れる。
これを時代錯誤という人もいるかもしれない。
しかし昔よりも豊かになったはずの現代社会でなせ昔よりも長期にわたって働かなければならなくなったのか、しかも生活のために、その疑問は消えない。
しかも若い人は職に就けずに困っているというのに。
職がないから収入がない。収入がないから結婚できない。
結婚できないから子どもができない。
子どもをもてる年齢がどんどん上がり、子育ての終わる年齢もどんどん上がる。
そうするとますますいつまでも働かざるをえなくなる。
この悪循環がいつまでも続く。
高齢者が働いて、若い人たちは働けない社会というのは、いずれ衰退していく社会である。
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