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「汗は他人にかかせ、手柄は自分で取る」 権力感情に酔いしれる菅直人に学ぶ 「首相としてやってはいけないこと」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/12558
2011年07月18日(月) 田崎 史郎「ニュースの深層」:現代ビジネス
マックス・ヴェーバーも呆れるしかない
菅政権が続くことはもはや「百害あって一利なし」だ。一日も早い退陣が日本政治の蘇生につながると思っている。
首相・菅直人が6月2日に退陣表明した後、今国会の会期延長や同27日の人事をめぐる政権内の混乱、前復興担当相・松本龍の暴言、原発再稼働を関する今月6日のストレステスト実施発言、13日の「脱原発宣言」のてんまつを見ていると政権の体をなしておらず、早期退陣を求める確信は深まるばかりだ。
しかし、菅が辞めない以上、私たちにできることは何か。「反面教師」として首相としてやってはならないことをしっかりと学ぶことだ。
■「君主論」から菅直人の精神状態を読む
政治家の資質を語る場合にたびたび引用される名著に『職業としての政治』(マックス・ヴェーバー著)がある。岩波文庫の脇圭平訳によれば、同書は政治家にとって必要な資質として、情熱、責任感、判断力−の3つを挙げている。この基準を参考に菅の資質を分析する前に、この著書で資質に触れる前段が菅の精神状態を知る上で役立つので、まず、この箇所を紹介したい。
「形式的にはたいした地位にない職業政治家でも、自分はいま他人を動かしているのだ、彼らに対する権力にあずかっているのだという意識、とりわけ、歴史的な重大事件の神経繊維の1本をこの手で握っているのだという感情によって、日常生活の枠を超えてしまった一種の昂揚した気分になれるものである」
菅は市民運動家から日本の最高権力者の地位に上り詰めた。そして、東日本大震災、原発事故という未曾有の災害に直面した。その対策の「神経繊維」の1本を握っているという高揚感をヴェーバーは「権力感情」と呼ぶ。
菅は退陣表明後もこの「権力感情」に酔っているに違いないしかし、3つの資質を持っているのだろうか。
■「責任感はなきに等しい」
これほどの非難を浴びながら、なおも続投しているのだから「情熱」はあるのだろう。だが、「判断力」はかなり低い。
巨大地震と津波によって、福島第一原子力発電所で非常電源を喪失した3月11日午後、菅は首相官邸執務室に集まった原子力安全委員会委員長の班目春樹、東電幹部を前に怒鳴り散らした。
「どうして非常電源が落ちたんだ!」「津波をかぶったからです」「そんなことは分かっている。津波をかぶったぐらいでどうして非常電源が落ちるんだ!」「……」「どうして説明できないんだ!」
通常、大事故に遭遇した場合、その事故を所与の条件として、被害の拡大を防ぐために対策を練る。しかし、菅は所与の条件が起こった理由を問いただした。
その後の海水注入問題でも、菅があまりに厳しく問いただしたがゆえに、班目がついつい「(再臨界の)可能性はゼロではない」と発言してしまったというのが真相だ。政府部内では、班目の発言のブレを問う声があるが、班目がしどろもどろになるほどに追い詰めた菅の責任も重い。
同書は判断力を維持するために、「精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である。『距離を失ってしまうこと』はどんな政治家にとっても、それだけで大罪の1つである」と説いている。菅はこの大罪を、首相執務室に閉じこもっていた3月11日から約1週間、犯していたのである。
「責任感」においては無きに等しい。たとえば、中部電力に浜岡原発運転中止要請をした際、菅は経済産業相・海江田万里が行うつもりだった記者会見を横取りした上に、他の原発を動かす仕事を海江田任せにした。海江田がそれを進めると、今度はいきなりストレステストの実施を求め、邪魔した。
「汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう」というのが元首相・竹下登の教えだが、菅は「汗は他人にかかせましょう、手柄は自分が取りましょう」というスタイルだ。責任を他の人たちになすりつけていたのでは、組織は動かない。
今後、首相になる政治家にはぜひとも菅を反面教師として、政権運営に当たってほしい。
(敬称略)
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