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「脱原発」が、様々な世論調査の結果、
70%近くの国民が望んでいる。
国民は理解したのである。
「原発事故のリスク。放射能の恐ろしさを――」
「これまでの政府と電力会社が唱える『安全神話』の嘘を――」
そして国民の70%は、政治思想に絡まない意思、
「脱原発・反原発」を主張しているのだ。
日本という国は、とかく神話が現実政治の中に入り込み、
リアリズムに欠けた政策が強引に推し進められる傾向がある。
ここでいう神話は、「古事記」・「日本書紀」の神話ではない。
そうは言っても、日本の古代史は「古事記」・「日本書紀」を基にし、
客観的な史実・歴史事実と看做していたものである。
このことは、いつか書きたいテーマである。
今、問われている神話は、
「経済大国神話」
「技術大国神話」
「軍事脅威神話」
「原発安全神話」等である。
最後に記した「原発安全神話」は、脆くも崩れ去った。
原発黎明期、心ある学者たちが、その「安全神話」に反論し、
否定していた。
しかし、彼らの現実的かつ科学・物理学的見地からの,
政治思想に囚われない警告は、無視されてきた。
それは「都合の悪い真実」だったのだ。
日本という国は、その施策の背後に「国家主義的・民族主義的」な
政治思想が隠れ潜んでいるようにも見受ける。
「経済大国神話」も崩れつつある。これまで日本経済の高度成長は、
世界を席巻してきた。この勢いは、七つの海を闊歩し、
どこまでも伸長発展していくものと思った。
それが、脆くも崩れ去りつつある。後進国と看做していた、
共産国家中国を侮っていた。
「寄らば大樹の陰」という格言がある。
この格言を日本という国は、重要視していたようだ。
そいう国民性なのかも知れない。大樹であるアメリカに寄り添い、
その陰でハンモックの中、昼寝していたのかも知れない。
アメリカは合理主義・プラグマチズムの国である。
中国もアメリカに似ている。
日本は「神話の国」である。あけすけに表現すれば、
「自己陶酔型」とも言えそうである。
だから、「神話」的政治発想が生まれるのだろうか。
日本は、平和ボケしている、という批判が国家権力側に位置する、
政治家・評論家等から言われてきた。今でもそういう発言がある。
「平和ボケ」は、日本国民がしていた訳ではない、と言いたい。
国民が負託した日本国の政府自身が長年にわたり、安逸をむさぼり、
寄らば大樹の陰のもと、自努力を怠けていたのだと。
「平和ボケ」は、日本国政府全体がしていたものなのだ。
話がそれ出した。元に戻そう――。
原発放射能事故と大震災で、日本国民は目覚めた。そう見える。
一見、もっともらしく見えた「合理的経済重視」が、
原発エネルギー推進策である。
しかし、それは合理主義に欠けた「神話」だったと。
国家のリスク管理能力の欠落を見たのである。
「リスクと利益を量る秤」を持たないことに気がついた。
「脱原発」の国民の意思は、その秤にかけた結果が出たから、
合理的、客観的に判断する事が出来た。
多大な不幸が生じているが――。
国民は、「リスクを量る秤」を持ったのである。
それが「脱原発」という高まりとなっている。
これは感情論ではない。集団ヒステリーではないのだ。
そして、政治的思想に立つものでもない。
「あそこに爆発の恐れのある危険物がある。4つが爆発した。
だから、残りの53も爆発するかも知れない。出来るだけ速やかに撤去する必要がある」
警察と消防が、そう言っているような合理的な判断である。
これまでの「原子力発電神話」から脱することで、
日本の政治は根本から変わるだろう。
原発は日本政治の根幹にあるものだから。
そして、原発は旧態政治体質の象徴でもある。
ゆえに、
「脱原発で日本の政治変革は可能となる」
http://plaza.rakuten.co.jp/botokkusuman/diary/201107120002/
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