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「母子疎開」と主体性の発露 震災と原発問題で変わる「情報」との向き合い方
2011年7月13日 水曜日
蛯谷 敏
「母子疎開」という言葉をご存知だろうか。
福島第1原子力発電所の事故によって、今も放出され続けている放射性物質。その影響を少しでも回避するため、一時的に住まいを移す母子のことを指す。多くは、放射能汚染による健康被害に不安を覚える、関東・東北地方在住の幼い乳児を抱えた母親だ。
疎開先は、関西地方や北海道など、放射性物質の影響が比較的小さいといわれる地域。中には、欧州や米国に渡るケースもある。原発事故以降、母子疎開を受け入れる地方自治体やNPO(特定非営利活動法人)は増えており、インターネット上には、母子疎開を支援するサイトも複数立ち上がっている。
そうした動きの一端は、日経ビジネスの2011年6月13日号の「時事深層」でも紹介した。今回は、この母子疎開の取材を通じて感じた、「情報」に対する親たちの向き合い方について書いてみたい。
放射線量を測る福島の保育園。安全性の不安から移住する家族も多い(写真:共同通信)
もはや新聞やテレビを“信じない”母親たち
今、原発や放射性物質を巡る情報に対して、最も感度が高く、その真贋を選り分ける感覚が研ぎ澄まされているのは、間違いなく上記に挙げた母親たちなのではないかと思う。
我が子の命を守るため、何が危険で何が安全か。彼女たちは、新聞、テレビ、雑誌、ネットの膨大な情報から、有益なものを取捨選択し、「ママ友」の情報網で共有する。
実は、母子疎開の動きがあることを知ったのも、育児休暇中の私の妻からだった。
マスコミ業界の一端に身を置く者として恥を忍んで告白するが、妻を含め、そういった母親の多くが情報を集める対象は、もはや新聞やテレビ、雑誌ではない。その大部分がネットである。
放射能に詳しい大学教授、原発の元技術者、放射性物質に関して独自の調査をしている個人…。どのサイトに何が載っており、信用に足るかを含めて共有している。
もちろん、ネット上の情報にはデマや誤情報も少なくない。それでも、母親たちは情報を集め、そこから有益な情報を選り分けようとする。ママ友のネットワークやミクシィなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を使って、情報を多面的に評価し、信じるに足る情報か否かの判断を下している。
むしろ、新聞やテレビなどマスコミ情報への依存度はどんどん減っている。たとえ、第一報を新聞が報じたとしても、それを額面通り受け取らず、その情報をどう評価すればよいのかを確認するクセがついている。
情報を額面通り受け取らず、評価する
情報リテラシーの著しい上昇。ネットが登場する前なら、おそらく彼女たちは、新聞やテレビの情報を頼りに、行動を決めていただろう。この情報の受け取り方に対する姿勢の変化は、とても興味深い。
その昔、ネットが登場した際、次のようなことを指摘する大学教授がいた。ネットが日々生み出す膨大な情報量は、情報の需給バランスを逆転させる。すなわち、私たちが1日に消費できる以上の情報量が、供給されるような時代の到来だ。すると、人は「どの情報を取得して、どれを捨てるか」の選択を迫られることになる。つまり、人の情報に対する向き合い方が大きく変わる。
例えば、ネットが登場する以前は、私たちは新聞やテレビ、雑誌といった限られたメディアに情報を求めていた。恐らく、情報量は私たちが消費できる許容量内に収まっていたし、その情報自体を多面的に比較・評価する手段を持っていた人は、専門家を除けば多くはなかったはずだろう。
ところが、ネットの登場によって、こうした状況はがらりと変わった。誰もが情報を比較評価できるようになった。新聞に、ある論調の記事が出たとしよう。その記事をネットで検索してみると、その賛否のコメントがずらりと並ぶ。読者は新聞の論調とその賛否の論調を比較して、自分の考えを確かめることができるようになった。
既存のメディアの見方は、絶対ではない。異なる視点をネットで知ったうえで、自分ならどう考えるか。情報のとらえ方が、明らかに変化してきている。
東日本大震災と原発問題がもたらした転換点
そして、今回の東日本大震災と原発問題は、その変化をもう一段進めたと言っていい。情報をただ評価するだけではなく、「行動」までをも迫ることになったからだ。
具体例を挙げよう。「水道水から暫定基準値を上回る放射性物質が検出された」というニュースがあったとしよう。新聞やテレビ、雑誌は、「役所は、ただちに健康への影響はないという」との論調を繰り返している。
この時、あなたなら情報をどう解釈し、行動するだろうか。ネットには「安全」と「危険」の両方の論調が並んでいる。それらを必死に読んでも、答えは分からない。
役所の言葉を額面通り信じ、水道水を変わらず摂取し続けるのか、あるいは、ペットボトルの水を買い続けるのかは、最後は自分で決めなければならない。その決断を下すためには、自分で必死になって情報を集めなくてはならないのである。
水だけではない。食物は、住まいは…。そして、その現実に最も頭を悩ませているのが、幼子を抱えた母親なのだ。
主体性の発露という動き
自分がどの情報を信じ、どう行動するか。私たちが、これほど情報を主体的に選びとることを迫られることは、かつてなかったのではないか。
この、情報を選び取る作業、実はとても疲れる。どの情報が正しいのか、どれが正しくないのかを自分なりに判断する基準を持ち、決断しなければならないからだ。
しかし、もはや自分の身は誰も守ってくれない。原発問題に収束のメドが立たない今、1人ひとりが、情報をどう選びとり、判断するかを求められる時代になった。
もちろん、この動きは、私たちマスコミのあり方をも変えていくことになる。これについては、また別の機会に書いてみたいと思う。
東日本大震災と原発問題は、私たちの情報に対する向き合い方をも一変させてしまった。そして、おそらくもう後戻りできないと思う。
このコラムについて
記者の眼
日経ビジネスに在籍する30人以上の記者が、日々の取材で得た情報を基に、独自の視点で執筆するコラムです。原則平日毎日の公開になります。
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著者プロフィール
蛯谷 敏(えびたに・さとし)
日経ビジネス記者。
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