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[斎藤貴男「二極化・格差社会の真相」]
(「日々担々」資料ブログ)2011-07-12(21:52)
日刊ゲンダイ2011年7月12日掲載
混同するな、命の尊厳と電力コスト
原発を疑ったら日本経済はオシマイだ式の“報道”が、いよいよあふれ始めた。日本経済新聞がこの土日に連載した「迷走 原発再稼働」が好例だ。
〈菅直人首相による突然の安全宣言撤回に戸惑う企業。ただでさえ内需縮小や円高、高い法人税率などに苦しんでいるところに、電力不足やコスト増の不安がのしかかる〉
として、記事はまず、電子部品の調達先を日本から他のアジア諸国に切り替えようとしている中国の大手通信機器メーカーを紹介。“日本外し”を急ぐ海外顧客に呼応して日本脱出を図りつつある大企業を一覧表にした。
日本電気硝子、NOK、三井金属、関西ペイント、テルモ、東レ……。で、こう続けるのである。
〈被災地を目の当たりにした経営者には国内生産維持への思いが強い。しかし、そのために国際競争力を失えば国内の雇用はさらに減る。(中略)日本に残る企業には電力を安定調達するコストが重くなる〉
報道すべきでない事実などあり得ない。記者なら己の取材と信念と責任に基づいて、何でもガンガン書けばよい。
問題はその先、というより、経営判断の絶対を説くならなおさら、最低限度は示されなければならない人間性の欠落だ。現実に原発のせいで人生を狂わされた人々や死の灰を浴びせられた子どもたちと妊婦たちへの共感、どころか遠慮さえ排する冷酷が蔓延するのであれば、この国の未来はどうしようもなく暗い。絶望のあげく自殺に追い込まれた農家や高齢者のニュースを、彼らはいったい、どう聞いたのだろう。
被害者たちにまともな補償がなされる限り、もはやコストうんぬんは二の次、三の次であるはずだ。それでも償いきれっこないのにもかかわらず、下々の生命だの尊厳だのはどうでもよろしい、補償などスズメの涙ほどでたくさんだといった大前提ないし暗黙の了解があって初めて成立する論法が、いとも軽々しく語られている状況が許せぬ。
人間は国家や資本の食い物にされるためにあるのではない。人間が幸福を追求するためのあくまでも方便として、国家も資本も存在を認められているのに過ぎないのだ。日経新聞だけの問題でないことはもちろんだ。戦前も戦後も、この貧しい国は常に、一人一人の人権を無視することとリアリズムとを積極的に混同し続けてきた。
戦争や公害、新自由主義的構造改革の類いを振り返ってみるといい。未曽有の国難だといわれるこの期に及んで、なお――?
さいとう・たかお 1958年生まれ。早大卒。イギリス・バーミンガム大学で修士号(国際学MA)取得。日本工業新聞、プレジデント、週刊文春の記者などを経てフリーに。「経済学は人間を幸せにできるのか」「消費税のカラクリ」など著書多数。
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