http://www.asyura2.com/11/senkyo116/msg/354.html
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http://www.data-max.co.jp/2011/07/post_15440.html
松本龍・復興担当大臣が、5日辞任した。就任からわずか9日後の辞任。しかも、その原因が「失言」。就任時の記者会見で「チーム・ドラゴン(龍)」といって自分の「省庁横断」の復興チームを呼び、突如サングラスをかけて周囲を驚かせたり、記者団に「なぞなぞ」をかけるなど、非常にユニークな大臣だった。しかし、マスメディアの言う「被災地の気持ちを考えない暴言」が原因でやめることになってしまった。
環境大臣だった昨年、松本前大臣は、名古屋で開催された国連生物多様性会議(COP10)の議長として、名古屋議定書をまとめ上げる成果をあげた人物でもある。松本氏が辞任した以上、後任の平野達男参議院議員や副大臣に就任した山口壮衆議院議員には、実務的に仕事を進めてほしいと思う。
岩手県と宮城県での両県知事との会見時に、松本前大臣の「問題発言」は起こった。たしかに、岩手県で達増拓也知事に対する「(私は)九州の人間だから東北の何市がどこの県か分からない」という発言はデリカシーに欠ける。これは批判されても仕方ない。また、仮設住宅について「仮設は本来は県の仕事だ」と言ったうえで、「国は進んだことをやっている。(被災自治体は)そこに追いついてこないといけない」とする発言など、表現が足りない面は否めず、上からの物言いであると評されても、これまた仕方ない。
しかし、この後に続く「知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持って」という部分は、何か問題があるのだろうか。
あのジョン・F・ケネディ米大統領もこう言っているではないか。「国が何をしてくれるかよりも、国民が国のために何ができるのかを考えよ」と。松本龍は、復興担当副大臣だった平野達男参議院議員をして「松本さんは親分肌だ!」と言わしめたように、もともとそういう「物言い」をする人物なのである。
次に、直接の辞任の原因となった、宮城県庁における村井嘉浩知事との会談。この模様は、TBS系の地元テレビ局が取材・録画していた。発言を数分間にまとめた映像素材が日曜夜のスポット・ニュースで放送され、インターネットを中心に波紋が広がり、火曜朝に辞任となった。(動画:http://www.youtube.com/watch?v=VtUqWdbjnTk)
その問題となった発言を「共同通信」のまとめで確認する。
【宮城県】
・政府に甘えるところは甘えていい。こっちも突き放すところは突き放す。そのくらいの覚悟でやっていこう。
・漁港を集約するのは、県で意見集約をちゃんとやれ。しっかりやれよ。やらなかったらこっちも何もしない。知らんぞ。
・(応接室で待たされたことについて)お客さんが来るときは、自分が入ってから呼べ。自衛隊上がりで、あんたは分かっているだろうけど。言われなくてもしっかりやれよ。はい、今の部分はオフレコです。書いた社はこれで終わりだから。
(共同通信) カメラが入っている場所で、このようなキツイ物言いをするというのは、松本前大臣も考えが足りなかったとは筆者も思う。だが、ビジネスなどで、重大な案件を相手と話し合う場合、このくらいの怒鳴り声になるのは普通のことだろう。しかも、当初は報道されず、辞任となった6日朝の「産経新聞」が初めて報じているのだが、松本前大臣と村井知事は「旧知の間柄」だったという。
要するにもともと2人には面識があり、この会談が初めての出会いではなかったことになる。「親しき仲にも礼儀あり」などという言葉もあるし、2人がどれだけの関係の深い間柄かは分からない。しかし、面識があるのとないのとでは、松本前大臣の発言が持つニュアンスがまったく変わってくる。
テレビでのニュース映像を見た人は、まるで「やくざ者が善良で頑張っている知事を一方的に恫喝している」ように感じただろう。筆者も当初はそのように感じていた。しかし、松本前大臣が怒っている理由をよく見ていくと、なぜ村井知事が叱責されているのかが分かる。松本前大臣は、「漁港を集約するのは、県で意見集約をちゃんとやれ。しっかりやれよ」と言っている。これは、宮城県が独自に進める「水産業復興特区」のことである。宮城県は岩手県とは異なり、漁業ビジネスの民間企業への開放をテコに復興をはかろうとしていることはすでにメディアで報道されていた。
ここで重要なのは、復興特区構想など宮城県の復興プランは、県主導ではなく、民間のシンクタンクである野村総研の手で進められている点である(参考:http://www.nri.co.jp/news/2011/110414_2.html)。無論、復興に民間の知恵を借りようとするのは悪いことではない。問題は、この構想が、「地元の意見を無視した」かたちで進められていたのではないかという疑問があることだ。
この件については、日本共産党の機関紙である「しんぶん赤旗」が報じている。同記事によれば、村井知事は4月25日の記者会見で、会議の委員選定について問われた際に、「あえて地元の方はほとんど入っていただかないことにした」と表明したという。その理由として記事では、「地球規模で物事を考えているような方に入っていただいて、大所高所から見ていただきたいと考えた」と話した、と伝えている
この事実を考慮して松本前大臣の発言を読み解くと、「民間シンクタンクに丸投げした復興プランが地元の反発を生んでいることはないんだな。ちゃんと漁港集約に関しても地元の漁業者や漁協の同意を得ているのだな。それをしっかり詰めたうえで国に方針を持ってこいよ。それが君の仕事だぞ」と言っている、とも読めるのである。
村井宮城県知事は、あの松下政経塾出身であり、宮城県議を3期務めた後に知事(現在2期目)になっている。自衛隊経験はあるが、民間企業での経験はないようである。松下政経塾と言えば、有名な政治家養成塾であり、最近は「民主党7奉行の会」のメンバーである前原誠司、玄葉光一郎、野田佳彦、樽床伸二らが出身者である。
ところが、松下政経塾出身者はどうも評判が悪い。昔ながらの叩き上げの政治家とは異なり、インテリぶりが鼻につく。それでいて、今の民主党政権を見れば分かるように実務能力はなし。全部官僚丸投げである。村井知事が野村総研に委託した復興構想も、その「インテリの発想」が垣間見える。無論、大胆な構想を掲げるのが悪いわけではないが、これは問題である。
実は、震災で甚大な被害を受けた南三陸町や石巻市など宮城県の沿岸を、筆者も先月上旬に見て回った。震災から3カ月というのにまだ撤去されていない瓦礫は残っていたし、線路どころか駅まで消滅していた地区すらあった。だから、このような大災害から立ち上がるとき、ときに従来の発想から脱却した構想も必要になるだろう。外部の知恵も必要かもしれない。その意味で、筆者は村井構想を全面的に否定するつもりはない。
しかし復興は、地元の人間と手を携えて行なうべきであるのもまた事実だ。前出の「赤旗」の記事によれば、次のように書かれている。
事務局原案について意見を出す県の「復興会議」は、野村総研顧問や三菱総合研究所理事長らが委員として顔をそろえ、「委員12人のうち県内在住者はわずか2人」(河北新報18日付)。委員19人全員が県内在住者である岩手県の「津波復興委員会」と著しい対比をなしています。
第2回「復興会議」は、「委員の大半が首都圏在住のため...村井知事らが上京」(同)し、都内で開催するありさまです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-05-29/2011052901_02_1.html
赤旗の記事は、地元紙の「河北新報」からの引用である。また、宮城県のウェブサイトによると、県復興会議の議長は元東大総長で三菱総研理事長の小宮山宏氏。その他にも外交評論家の寺島実郎氏や、日本政策投資銀行参事役で地域エコノミストの藻谷浩介氏など12人。このうち県内出身者が2名だというのだから、視点はたしかに村井知事の言うとおり、「地球規模で物事を考えている」かたちになるだろう(参考:http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110420_12.htm)。
政治というのは「コンセンサス」(合意)を作る仕事である。だから、村井構想がそのまま地元の古くからの漁業者を始めとする地元の意見を無視してそのまま実現するというのは早計だろう。しかし、この人選を見ていくと、知事側の理念が先走り、それに民間の知識人やコメンテーターが乗っかる。政府の「復興構想会議」が批判されたのと同じ構図になっている。
それを松本前大臣が懸念したのだろう。旧知の間柄だから、多少語気を強めて「ちゃんとやれ。民間に丸投げの構想案を持ってきても国は困るんだ」と言ったと推測できる。だから、「物言い」はともかく、松本前復興大臣の発言は、この地元の意見集約の部分に関してはさして問題になるものではない。
さて、問題があるとすれば、そのあとに松本前大臣が口走った「はい、今の部分はオフレコです。書いた社はこれで終わりだから」という部分である。他の発言の部分では松本前復興大臣を擁護してきた私であるが、この発言だけは閣僚として不的確であり、このひとことだけで辞任は免れないと思っている。それはなぜかというと、松本前大臣の発言は憲法違反ではないかという疑いがあるからだ。憲法では21条と99条に次のような規定がある。
<第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。>
<第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。>
つまり、「これはオフレコです。書いた社は終わりです」ということを、公務の際に国務大臣である松本氏が言ったということは、憲法21条の言論の自由と99条の憲法尊重義務に対する違背であるとも取れるわけだ。
宮城県庁でのビデオ映像を見る限り、「オフレコだから」発言の際、村井知事も苦笑しているし、映像では一瞬しか映らないが松本前大臣も笑っているように見える。だから、これは彼なりの冗談だったのかもしれない。だが、それは県庁での録画映像がニュース用に編集されているため分からない。もっと言えば、「問題発言」とされたほかの部分も都合よく切り取られて悪印象を持つように編集されているようにも見える。映像素材を持っているのはテレビ局であり、彼らは素材を自由に編集して放送する"権利"を持つ。これが「編集権」というものである。編集権という「刃物」を駆使すれば、マスコミが望むようにいかなる印象でも視聴者に与えることができる。これは恐ろしいことだ。
マスコミが「第4の権力」と言われる所以であり、彼ら自身が自省的にならなければならないのだが、最近は小沢一郎民主党代表に対する報道が示すように、悪役をつくり出して意図的に国民の関心がそちらに向くように誘導する。これは、ジョージ・オーウェルの小説『1984』が描いた国民洗脳国家の姿そのままである。この小説の世界では、権力者が決める"悪者"を嫌悪するための毎日の「二分間憎悪」は国民に義務付けられている。今の私たちも、マスコミから常に何かを憎むように仕向けられている。しかし、本当の問題は、その憎しみの対象ではなく別のところにある。このようにマスコミが巨大な権力になってしまっている。
しかし、それでも「言論の自由」は、権力者によって尊重されなければならない。権力者が何かを批判する場合は放送、出版された後に抗議する、というかたちで本来は行なわれるべきなのだ。だから、この松本前大臣の発言を受けて1社でも自粛したり、「この内容は記事にしないでおこう」と考える結果になったら、それはやはり21条違反だろう。憲法というのは「権力者に対する命令」であり、権力者はそれを遵守することを当然のように誓約している。
そして、私が問題にしたいのは、そのような「憲法認識」に絡む発言と、そのほかの「不適切な発言」を単に「恫喝」としてしか表現・報道できないマスコミである。おそらく「オフレコ発言」に関しては、マスコミの記者は似たようなことを、政治家、官僚、財界人たちから、くり返し、くり返し言われているのだろう。オフレコ発言があるからこそ、新聞記者の取材が成り立つとも言えるからだ。オフレコ発言があってこそ、他社を追い抜くスクープが生まれる。その意味で、権力者とマスコミは持ちつ持たれつの関係なのだ。
本来、憲法違反の疑いを持つ発言をやってしまう閣僚を任命する総理大臣の責任こそ重い。憲法の精神に照らせば、内閣総辞職になってもおかしくない。ところが、その視点で菅政権を糾弾したマスコミ人を私は知らない。松本前大臣にも、「グラサン姿」など奇抜なパフォーマンスなどの問題がなかったかといえば嘘になる。しかし、彼が怒った理由を考察せず、オフレコ発言を報道するなといった「言論弾圧」紛いの発言に鈍感になり、ひたすら「被災地の感情を逆なでした」とヒステリックになっているマスコミは、その本来の使命を見失ったとしか私には見えない。これでは建設的な議論などできないではないか。
そしてマスコミが「大衆ヒステリー」を煽る一方で、九州の「危険な原発」と言われる「玄海原発」は着々と再稼働に向けて準備が進められている。松本前大臣の暴言などよりも、マスコミはほかにもっと問題にすることがあったのではないか。
皆さんはいかが思われるだろうか。
中田 安彦 (なかた やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある
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