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【第182回】 2011年7月7日
東京電力、福島第一原発の事故は日本人の生活様式を大きく変えた。とりわけ福島県の人々の場合は、その生活観どころか、人生設計、人生観そのものに大きな変更を与えている。
ようやく建てた一戸建てマイホームを苦渋の思いで、永遠に遠に手放さざるを得なくなった家族、楽しみにしていた友人らとの新学期をバラバラに過ごすことになった子どもたち、豊かな食材を使って料理することを楽しみにしていた主婦――。
こうした何の罪もない、実に多くの者たちが、一企業の人災と、政府の無策と、マスコミの怠慢によって、見えない放射能の脅威と一生戦わざるをえない状況に叩き落されたのである。
それは、決して金では償えない。だが、当面、償うとしたら金しかないのも事実である。
■第二次仮払金はわずか30万円で調整中 過去には原子力事故で泣き寝入りも
今週、海江田万里経済産業大臣は、原発事故による第二次仮払金の額を一人当たり30万円で調整していることを発表した。
すでに東電から住民に対しては一世帯あたり100万円の賠償金が支払われていた。ところが、世帯あたりの配分は不公平だとして不満が渦巻いていた。当然すぎる不満である。
そこで、政府・東電は、ひとり当たり30万円の支給に踏み切ったのだが、そもそも、それでもあまりに低額にすぎる。
放射能で家を汚染され、平和な生活を奪われ、自らの身体も低線量被曝と戦わなければならない住民からすれば、物理的にも精神的にも、到底、納得のいく金額ではないだろう。
原子力損害賠償法では、大地震や戦争など、未曾有の震災などに対しては事業主の免責が認められている。仮に、免責となった場合、総額1200億円の支払いで済んでしまう可能性もあるのだ。
東電はそうした賠償逃れを企てているふしがある。なぜそういえるのか。それは、「原子力ムラ」にはれっきとした前科があるからだ。
1999年、茨城県東海村のJCOの放射能漏れ事故の際、東海村やその周辺自治体の住民には一時見舞金が支払われた。一世帯あたり100万円、今回と同じである。
ところが、その後、損害賠償交渉は遅々として進まず、結局、そのままお茶を濁されている住民が多いという。風評被害で商売を奪われた当時の茨城県民は、結局、泣き寝入りを余儀なくされているのだ。
そのうちのひとり、茨城県常陸太田市で商売を営む女性経営者のひとりはこう嘆く。
「ちょうど新規事業を立ち上げた直後にあの事故に見舞われました。常陸太田は、放射能被害がまったくなかったにもかかわらず、風評でやられました。客は途絶え、結局、その後、不渡りを出すことになりました。損害は数億円に上りますよ。途方に暮れたものの、それから10年懸命に踏ん張ってきました。その間、支払われた賠償金は、最初の100万円だけ、たったの100万円ですよ。そしてようやく借金を清算できたと思った矢先にまた原発事故。本当に死ぬことも考えましたよ」
■金では解決できない 健康被害への賠償
損害賠償請求はこうした経済的被害に留まらない。むしろ、深刻なのは健康被害に対する賠償の方だ。
過去の公害裁判などでもわかる通り、賠償金支払いまでには長い年月と、多くのものを犠牲にする果てしない戦いが待っている。その戦いに傾ける労力は膨大なものになる。
そして、賠償金を得るにはうんざりするような長い戦いが待っているにもかかわらず、納得のいく結果を得る住民は皆無だといっていい。
なにより、健康被害への賠償は金で解決できるものではない。とくに子どもたちに発生する放射能障害への賠償は、何億円もらおうと親としては納得できるものにならないのだ。それは、普通の人間ならば当然の感覚といえる。
内部被曝の恐怖は日に日に拡大している。福島の住民は、決して晴れることのない不安を抱えながらの生活を余儀なくされている。
■福島の母子たちの心配、不安、絶望の声
現地取材を繰り返し、自由報道協会のメンバーでもあるフリーランスの田中龍作氏は自身のブログ「田中龍作ジャーナル」に次のように書いている。
〈子供の体調を心配する母親の思いが東京まで足を運ばせた。東電・福島第一原発の事故により被曝した子供たちのための健康相談会が23日、港区芝公園で行われた(主催:こども福島情報センター)。
母親と子供たちを福島から招いたのは「アースデー東京タワーボランティアセンター」。母親に手を引かれた子供18人(ゼロ才〜8才)が医師の問診を受けた。
母親たちの心配は尋常ではない。事故発生以来、3ヵ月以上経つが、事故収束のメドは立たず、原発からは絶えず放射性物質が撒き散らされているのだから。文科省が校庭の放射線の許容量を20mSv/年としたことも親たちの不安と怒りを掻き立てた。
不安は溜りに溜まっているのだろう。問診は短くて15分、長い母子は40分にも及んだ。
福島市内でも最高レベルの線量が測定される小学校に子供(小3)を通わせる母親に話を聞いた―。
「目の下のクマが気になる。先月末に鼻血と下痢があった」。母親は問診前、我が子の体調をこのように話した。
小児科医の問診を受けること、20分あまり。母親は目を赤く腫らしていた。「医師からは『(福島に)戻るな』と言われた。『住み続けると19才までに発ガンする可能性がある。早ければ1年後に発症する』と言うことだった」。
すぐにでも避難したいところだが、この母子には簡単に福島を去れない事情がある。夫(父親)は地方公務員で家のローンが残っているからだ。
家族ぐるみで他県に移り住めば収入はなくなる。夫が福島に残れば、家族は離れ離れになる。「もう絶望的」、母親は肩を落とした。多くの家庭は同様の事情を抱えている〉
http://www.janjanblog.com/archives/44310
良心的な小児科医たちは、25年前ソビエトで起こったチェルノブイリ事故の教訓に従い、できるだけ真実を伝えようとしている。それが、一時、母親を悲しませると知っていてもだ。
■親は子どものために何ができるか? ―― 小児科医からの助言
そのうちのひとり、子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク代表の山田真医師に、筆者がMCを務める番組「ニュースの深層」(朝日ニュースター)の中で聞いた。
果たして、子どもたちの口に入る食事はいまのままで安全なのか。政府やマスコミの謳う「地産地消」については、福島県も同様に受け止めていいのか?と。親たちに自己防衛の方法はあるのか?
山田氏の回答は、きわめて簡単なものだった。
「福島の子どもたちには、できるだけ福島から遠い産地のものを食べさせるようにしてください。汚染されている可能性のある飲み物、食べ物は60歳以上の大人が食べるようにしてください。そして3月11日からの行動記録をできるだけ詳細につけてください」
この発言はけっして大袈裟なものではない。福島第一原発の事故を受けて、チェルノブイリの現実を知っている者ならば、誰でも同様に講じている措置にすぎない。
とくに最後の記録保全は、母子の健康を守るための必須事項だと山田医師は強調した。それはこれから始まるであろう長い賠償金裁判のための最強の武器にもなるだろう。
「とにかく記録を残すこと」、それがまず、親が子どもたちのためにできる最低限の事項である。
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