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仏教の思想を述べれば必ずくる罵倒に等しい意見、そこあるのは何の根拠も示さない単なる思い込みばかりである。今回はその逆の西欧思想から述べてみようと思う。そこに我が国の明治以来の、政治を含めた国と国民の姿を見る事が出来るはずである。
近代の哲学はデカルトによる二元論がもとになっていると言われる。それは思惟する自我とその延長上にある物質、すなわち人間と人間以外の動植物や自然の全てを物質と規定したものであった。物質は人間のために存在し、人間は自由に物質を利用する事で文明は発展ができるとする西欧の根本思想となった。科学技術は、この物質を研究するために発達してきたものである。以来、自然を人間のために無制限に利用する事で環境破壊はすさまじい勢いで進んだ。英国には自然を尊ぶナショナルトラストなどのものがあるが、それは鉄を作るためにコークスが発明されるまで、殆どの森を切ってしまったことから来る反省に過ぎない。あの有名なシャーウッドの森まで消滅してしまったのである。そして際限のない武器の開発、これによって世界は大きく変わってしまった。
もう一つ西欧思想を形作るものにキリスト教の思想は不可欠である。旧約聖書にあるものはユダヤ教であるが、その根源にあるものはユダヤの神以外を信じてはならないとする排他的な一神教である。その神の教えを守るものだけが救われ、信じないものは全て抹殺される運命にある。汝殺すなかれという十戒の一つは、ユダヤの同胞だけを意識したものであろう。その根底にはギリシャ哲学にある闘争の哲学、闘争こそが発展を可能にする唯一の手段という思想がある。闘争は戦争を容認し競争を促してきた。国際法における戦争の容認の根拠は旧約聖書に置かれている事実がこれを物語る。このような思想のもとで戦争は決してなくならないのは明らかである。
以上の見方は本当に大雑把な見方であるが、西欧思想のみなもとの理解は大事である。なぜなら日本という国は、明治以来、その科学技術の移入による富国強兵政策により発展してきたからである。なぜ科学技術が大事なのか、科学技術だけが国と国民を豊かにできるものなのかを考える時が来ているのである。すでに西欧の知識人たちは過去の思想の行き詰まりを認めている。わが国の知識人たちの殆どはそれに対して無関心である。過去の日本に存在した仏教や、国家神道ではない本来の自然の全てに八百万の神を見る思想の事を、迷信とか時代遅れのものとして理解さえしようとしない。本来の中身も知らずに初めから退けているのである。一体、今の知識人といわれる者たちがどれだけ過去の日本にあったこれらの思想の中身を知っているのだろうか。知りもしないで、依然として西欧思想こそが世界で一番進んだものとして、自らの考えを放棄してその「紹介者」に成り果てたままである。知識人とか学者などの大半は、明治以来、何も変わっていない思考停止の状態になっているのではないのか。 教育における歴史教育が単なる暗記に終わるものではなく、どのような思想的背景があったのかという基本的なものが欠けていたのである。その良い例で、国旗、国歌の絶対化は何の意味も持たない。それは背景にある思想を教えておらず、その意味で単なる全体主義に戻そうとしているかに見えるだけである。
世界はBRICsなどに代表される西欧以外の発展途上国の台頭で大きく変わろうとしている。これらの国々の多くは、過去の我が国の西欧化という成功の歴史をたどっているのは明らかである。わが国はそれによる成功と失敗を戦前と戦後の二回も経験した貴重な体験を持っている。戦前は国家覇権主義により破綻し、戦後は護送船団方式の経済至上主義と官僚社会主義という2つの全体主義で行き詰ったままである。この失敗の根底にあるものを見つめ直すためには、過去からの西欧思想の絶対化を改めなければ何も見えては来ない。日本の仏教の自利・利他の思想と、八百万の神という自然崇拝の優れた思想を、時代遅れのものとしないで本気で見直すべき時が来ているのである。我々は既存の考えこそが正しいとする官僚思考に依然として毒されたまま生活している。明治維新という大きな変革以降、140数年にわたり変革できない国になってしまったわが国、そろそろ、自分で考えて判断する、という基本に変えるべき時が来たのである。世界は必ず仏教、それも大乗仏教の思想を取り込むことは間違いないと確信している。その時、我々がその思想を知らなかったらそんな恥ずかしい事があるだろうか。
他人を思いやる心、自分の神を信じるものだけが救われるのではなく、万人を救うという思想、自然を単なる物質として見ず、自然こそが全てのみなもとの母であるという思想、このような優れた思想がなぜ長きにわたり見過ごされてきたのであろうか。今回の大震災の対応で世界が驚いた背景には、我々が過去から無意識に引き継いで持つこれらの思想的な背景があるからである。さらに近代社会は、神というものを捨ててしまったことにより人間が最も上の存在になってしまった。人間が最上のものになったならば、どこに道徳の規範が求められるのであろうか。心の荒廃といわれるものがどこから来ているのか、そのことも真剣に考えるべきである。わが国のこのような優れた思想と西欧の科学技術を一緒にした新しい思想が求められているのである。過去から続く米国一極主義や経済至上主義のままでは、何時までたっても世界から尊敬される国にはなれない。どのような思想で政治を外交を行い、それにより国を、世界を、戦争のない豊かさに導くのかという壮大なものを示すことが大事なのである。
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