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明治維新によって、日本は中央集権による富国強兵にまっしぐらになって短期間に欧米化を達成できた。それ自体は成功であったが、結局は本当の意味の民主化というものに変わる事は出来ずに敗戦に向かっていった。戦後も基本的にこの流れは変わっていない。地方分権などといわれながら実態は何も進んでいない。原因は当然のごとく官僚主導の政治であるからである。
これに対して江戸時代はどうだったのか。実態は今よりはるかに地方分権の時代であったことはあまり語られない。各藩は独自の法律を持ち、徴税権も持ち、教育制度も独自の形態を持っていた。今でいえば共和制に近い形であった。もちろん国全体の問題や外交などについては徳川幕府の責任で全てが行われたのであるが、江戸に置かれた各藩の御用屋敷は完全に幕府からは治外法権であった。犯罪人が逃げ込めば幕府といえども勝手にその屋敷内には踏み込めないほど徹底されていたのである。それに比べたら現代の我が国はどうなのか、地方自治体は箸の上げ下ろしまで全て中央の言いなりのままという社会主義国家も真っ青なほどの中央集権である。今の状況では地方の疲弊は絶対になくならず、むしろひどくなるばかりだろう。
武士の教育の基本は儒教の忠孝の思想が主要なものとして厳しく教えられていたが、それ以外の庶民の教育は寺子屋が主体で、内容は仏教の自利・利他という思想教育が主なもので、そこに算術やそろばんなどが加わったものであった。国民全体の識字率は同時代の西欧と比べても上回っていたと言われている。この教育の高さが明治維新を短期間のうちに成功させた主要な理由になっていた。しかしながら主君に使えるという思想は武士階級にだけ求められたものであり、それ以外の庶民は戦争になっても主君などは無関係であった。それをひとくくりにしたものが、明治維新で新たに作られた国家神道であったのである。
今の我が国の状況は、ある意味で過渡期という形の混沌とした状況にあると捉えるべきだろう。政権交代によって過去からの国の形を変えようとする小沢一郎主体の国民の生活が第一の思想と、過去からの官僚主体の中央集権型とのぶつかり合いであろう。今後のこの国がどのような国になっていくかは国民の考え次第である。過去に戻るのか、新しい形の国が作れるのか、それが今、我々に問われている。
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