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政権交代によってこの国は大きく変わるものと誰もが期待した。現実は何もかも裏切られ、国民はそれを菅直人の裏切りであると思った。しかし未だに国民はもっと深い原因が存在した事にも気づいていない。それが何であるのかを私見として以下に述べてみたい。
わが国の最大の問題は「閣法制度」にあると何度も指摘してきた。しかしそれだけでは何の解決にもならない事に気がついた。我々は選挙によって国会議員を選び、我々の代表者として国会に送れば全てが解決するものと信じてきた。それが政治家の姿を曖昧にし、そのことが選挙における国民の候補者に対して望む内容までもが幻想であった最大の原因であったのだ。そもそも政治家という言葉自体が意味をなしていない。政治家たちは官僚のお膳立て通りに動き、それが自分たちの意図したものだと長きにわたり国民に思わせてきたのである。
わが国の憲法は三権分立を明確に規定し、国権の最高機関を国会とし、立法権は国会にあるとしている。しかしながら戦後のどさくさの昭和21年1月16日に内閣法の中に、第五条 ・ 内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、予算その他の議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告する、という条文を滑り込ませることにより内閣に、実質的には官僚に、法案提出権をあたえたのである。憲法第72条の条文にある、内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する、という言葉の意味するものは、第73条に規定された条文によって、議案とは「予算案」である事から「閣法制度」の憲法違反は明らかである。第72条の「議案提出権」に法案も含むというのは無理やりに解釈を行っているだけであり、その正当性には何の根拠もない。日本の知識人といわれる者たちが、いかにいい加減なものたちであるかの証明である。しかしこれが現実で、実態は行政府が立法権を持っているのである。
戦後から一貫した自民党という官僚と一体化した政党による政治体制が長く続いたことにより、政治家とは行政府の仕事が主体という間違った考えが国民の中にはびこったままにされた。本来、国会議員とは、その名の通り国会に属するものであり、行政府ではなく立法府の職員なのである。たまたま議院内閣制をとっているから多数を持った政党が首相や行政府の長である大臣になるというだけであって、本来業務はあくまでも立法でなければならない。従って、選挙における候補者はどのような政策を行うかは勿論であるが、その大前提である法律をどのようなものとして成立させるかという公約がなければならない。ここにこの国の政治家というものに対する曖昧模糊とした国民の見方が生まれているのである。政治家が何でも行うという間違った考えであった。法律上、行政は法律に従って行われるものとして、分離されたものとしてとらえられなければならない。それが国民にも国会議員たちにも完全に忘れ去られているのだ。 官僚という行政府の職員たちが法律を作っているから、政治家たちは何も権力を行使できないのは当たり前である。正に国会議員たちは自分で自分の首を絞めているわけである。そのようなものたちが行政府の長としてきたとして、一体、行政府の公務員達の誰が命令に従ったり、ミスをしたとしても責任など認めるだろうか。全ては幻想だったのである。
この国を変えるためには、政治家たちの本来業務の自覚と言う事を今後の大前提にしなければならないが、国民自らも政治家の何たるかをしっかりと理解しなければならない。過去と同じ形で政治家を選んでも、何も変わらない事が今回の民主党による政権交代によって証明されたのだ。民主党という改革を目指したかに見えた議員達でさえ、実態は何も考えてこなかった素人であったと思い知らされたのである。それは国民も政治家も、過去からの事実が全て正しいという幻想のままに漫然として生きてきたからである。我々が正しい目を持たない限り国を変えられない事が証明された以上、我々は将来の世代のためにも「正しい認識をもって」候補者を選ばなければならない。その上で閣法制度を廃止させ、官僚社会主義国家から民主主義国家への転換を成功させなければならない。このままでは何時までたっても絶対にこの国は国民主権の国にはならない。
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