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3日の毎日社会面が報じた「福島の車 放射能汚染」の記事は考えさせられた。中古車市場で「福島ナンバーの車は放射性物質で汚染されている」という風評が広がり、売り上げが激減している。また、原発事故で県外に避難した女性が、福島ナンバーの車で幼稚園に子供を送り迎えする時、周りの母親から冷たい目で見られている。そういう福島ナンバーの車が理不尽な扱いを受けているという記事である。
風評で福島産の農産物が売れない。事の善し悪しは別としてその程度ことはあったとしても理解できる。だが、自動車となると、何を考えているのだと思ってしまう。確か4月上旬に、都内のガソリンスタンドで、福島ナンバーの車が利用拒否されたとのニュースがあった。当時は、いろいろと情報が錯綜しており、一般市民が過剰な反応をすることがあっても致し方ない状況ではあった。
例えば同じ4月に、茨城県つくば市が福島県から避難して転入する人たちに、放射能汚染の有無を確認する検査を受けた証明書の提示を求め、非難されたことがあった。この件は副市長が、市役所の職員が放射能汚染に関する理解レベルが低かったと、謝ることで一件落着した。公的機関だから謝罪で済んだのだが、市場とか市民レベルでは、一度心の中に生じた偏見・誤解はなかなか解けないものだと思う。
おそらく連日の原発事故関連ニュースで、多くの人は放射線と放射能の違いを理解しているし、放射能汚染地域から避難している人たちへの思いやりの心を持っている。そして、このような理不尽なニュースを見ると、誰もが同情と批判をする。だが、いざ自分の周辺に福島ナンバーの車が現れると、必ずしも冷静に判断できないようだ。
それはなぜだろうか。もし放射線を普通の光線のように目で見ることができるなら、誰も放射線が出ていない福島ナンバーの車を怖がることはない。だが、放射線も放射能も目で見ることができない。だから何となく福島ナンバーの車から放射線が出ているのではないかと思い、怖いと思うのだろう。そしてそれを増長しているのが、日本人に多い排他性というか、村社会独特のよそ者に対する冷たさ・偏見だと思う。
では、「目で見ることができないから怖い」のはどうしてだろう。それは正しい情報に接していないことにある。一般論で言えば、科学的に正しい情報に接していれば、非科学的なことに過剰反応することはない。処が、専門家と称する人がテレビで盛んに「安全」を言ったが、それらはことごとく裏切られた。そして政府も「直ちに健康に影響はない」と言ったが、将来に影響が無いと言い切れないことも分ってきた。
さらに、放射能汚染地域に関する政府の対応が国民に不信感を与えた。原発から30キロ以遠の飯舘村など高濃度汚染地域への避難命令が遅れた。SPEEDIのデータ隠蔽が判明した。さらにはホットスポットの存在である。加えて児童被曝量20ミリシーベルトの問題がある。これで、福島県以外の人は、福島県全域が放射能汚染されているのではないかという、科学的根拠のない疑いを持つようになった。
つくば市の例ではないが、公的機関は建前で済ませることができる。だが副市長が謝ったとしても、証明を求めた一職員の心象が変わったかどうかは分らない。つまり、市民感情は建前では済まないということだ。世論調査では、国民の6割以上が政府や東電は情報を隠していると思っている。原発事故情報と放射能汚染に関する政府の発表や専門家の発言を多くの国民が信じなくなっている。
迷信の類(たぐい)なら科学的に説明できる。だが科学の問題で、政府や専門の科学者が招いた不信感は、なかなか払拭できないだろう。事故発生直後に、「安全」を発言した大学教授など専門家と「直ちに健康に影響はない」を連発した政府・官房長官などの罪は深いと云うことになる。彼らは、国民に対し自らの過ちを認める発言をすべきだ。それが無い限り、今後も福島県人は理不尽な扱いを受けることだろう。
http://www.olivenews.net/news_30/newsdisp.php?n=110602
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