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原発を再開させようと躍起になっている菅政権であるが、事ここに及んでも尚そういう態度を取る事の意味をもう少しハッキリさせたい。
それで例えとして、飛行機の話を持って来た。飛行機は便利だ。この近代文明世界に於いて無くてはならない交通手段だ。これ無しに世界経済は成り立たない。もの凄い存在と言わねばならない。
だから危険と分かっていても、飛行機を廃絶する事は、誰も言わない。飛行機が怖いなら乗らなければいい。乗るからには、落ちる危険の分は自分が引き受けなければならない。
飛行機は絶対に安全でなければならない。今日も一日世界中で一体どれだけの飛行機が飛んだであろうか。事故が起きればすぐニュースになる。最近1件あったかな。飛行機はほとんど安全だ。絶対安全とは言えないが、ほぼ安全だ。だから世界中で沢山の人が恐怖心をほとんど感じないで飛行機を利用している。飛行機が商業飛行できるには大変な経過を経なくてはならない。ほとんど絶対に安全と言ってもいい程だ。
だから何かの原因で事故が起きたら、運が悪かったで諦めざるを得ない。また保険もある。絶対安全が要求される飛行機は、仮に事故になっても精々数百人レベルの損失で終わる。全世界レベルあるいは国家レベルと比較すれば、損失の大きさはゼロと言ってもいい。
さて、原発である。
原発も絶対に安全でなければならない点は飛行機と同じだ。人の命が関わる問題であるから、どっちがどっちとは言えない。しかし、決定的な違いがある。関わる人間の数だ。原発は一瞬にして数百人の命が奪われる訳じゃないが、一瞬にして数十万人、数百万人、数千万人の命が危険に曝される。生活の場を奪われる人間の数も百万人レベルに達する。
もし最悪事態が起きれば、国家沈没が現実になる。
今回のフクシマを考えると、福島県民は長年飛行機に乗せられて生活していた事を思い知らされた事になる。原発事故の大規模化は、正に県民を乗せた飛行機の墜落とまでは行かずとも、それに近い大変な事態であった事を意味した。
飛行機は精々数百人の命の問題だが、原発は桁違いの人数の人間の命や生活の問題なのだ。絶対に安全でなければならない飛行機も永遠に無事故という事はない。いつかどこかで事故は起きる。その被害者が数百万から数千万人に及べば一体どうなるか?
原発は絶対に安全でなければならない。飛行機レベルの安全性なら原発はやってはナラナイ。
安全確保に全力を尽くしますから、国民の皆さん、飛行機に乗って生活して下さい、と言えるか?
海江田や菅が言ってるのは、国民向けのものでは決してない。全国民に、原発の安全を強調してどうぞ原発飛行機に乗って下さいと言えると思うか?
佐賀の知事は菅から話を聞きたいと言ったそうだ。菅が安全対策を強調したら、再開容認の用意があるようなのだ。だから、この問題を分かりやすい例えで考える事を提案するのである。
いつか事故が起きるかも知れない飛行機に全県民を乗せるかい? どんなに安全に努力しても、小出氏が言うように事故は必ず起きる。事故とはそういうものなのだ。その時飛行機に乗った県民、国民はどうしたらいい? 安全に向けて努力しますからと言って、県民国民を飛行機に引っ張り込む事は断じてやってはいけない。
この例えで原発は再開できないだろう
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