★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK115 > 776.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
牛に引かれて善光寺参り → 亀に引かれてお遍路参り。 仙谷も後藤田も誘ってやってよ。
http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/776.html
投稿者 新世紀人 日時 2011 年 6 月 29 日 11:32:31: uj2zhYZWUUp16
 

仙谷も後藤田(自民党)も四国絡みの人物である。

二人ともお遍路に参加して浄化したほうが良いだろう。

「牛に引かれて善光寺参り」の謂れは次のよなものだ。


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/01444000/

牛(うし)にひかれて善光寺参り
《信心のない老婆が、さらしていた布を角にかけて走っていく牛を追いかけ、ついに善光寺に至り、のち厚く信仰したという話から》思ってもいなかったことや他人の誘いによって、よいほうに導かれることのたとえ。

[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]


http://shinzenkouji.com/zeniware.htm

「牛に引かれて善光寺参り」のいわれ

昔、信濃の国小諸に、強欲でけちんぼで、無信心な一人のお婆さんがおったと。
きょうも小諸の空は、きれいに晴れて、山々は美しかった。
 ええお天気で、と隣のお爺さんと、お婆さんが声をかけながらやってきた。へえ、
へえいい天気じゃ。と相槌を打ちながら強欲ばあさんは、忙しげになにやらしておった。
「なぁ、お婆さん。今度おらたちと一緒に善光寺様へお参りに行くでねえか。善光寺様は
ありがてい仏様だ。どんなに遠くても、一生に一度は、お参りしなくちゃな、なんねえほど、
ありがたい仏様だ。」と誘ってみたが、返事もせずに布を籠に入れておった。
「死んで極楽に行けるよう、ようお参りして来るでねえか。」と口々に誘ったが、
「遠い道のりを、てくてく歩いて、善光寺様とやら出かけたところで、いったい何の得がある
だ。腹が減って、くたびれるだけでねえか。いやなこった。」とことわってしまった。
「おら、忙しいでな。」と言いながら、籠に入れた白い布を持って川へ出かけてしまった。
「こうして、水にさらせば、真っ白になって、またいい値段で売れるというものさ。」
 お尻を善光寺様のほうに向けて、布をさらしておると、つんつんと、誰かがつつきよる。
「だれや ! おらのお尻をつつくのは。」と振り向くと、いつの間にやってきたのか、大きな黒い
牛が、顔をぬうーとつき出した。やばあさんはおったまげて、思わずよろけて、ばしゃんと川
の中に尻餅をついてしまった。
 ふと、気が付くと、さらしておいた布がない。見ると、黒牛が白い布をつのに引っかけて、
とことこ走り出していくではないか。
「こらぁ、待て、盗人、じゃなくぬすっと牛め ! 」おばあさんはあわてて、川の土手をはいのぼ
り、あとを追いかけた。白い布を風になびかせながら、牛は、とことこ、と走っていく。
せっかくさらした布を取られてはたまらない。
「待て、まってくれ。」大声上げて、あとを追いかけていった。
牛を追って何里も走った。牛は、ときどき振りかえりながら走っていく。
 どのくらい走ったか、ふと気がつくと家が立ち並ぶ町の中を走っておった。行く手には立派な
お寺があった。すると、牛は、お寺の中にすいこまれるようにはいって行った。
「さあて、これで、つかまえることができるぞ。」お婆さん、牛はと見ると、黒牛は如来堂にはい
ると、不思議なことに、消えてしまった。牛につられて如来堂の中に入っていくと、中は、燈明
のあかりの中に、大勢の人たちが一心にお祈りしておった。
「ちょっくら、ごめんなんしょ。」と人をかきわけおくへはいって行ったが、牛はおらなんだ。
いくら探しても見つからなんだ。お婆さんは急に力が抜けてしまい、そこへ、へなへなと座り込
むと、隣の人に聞いた。
「もし、ちょっくら、たずねるだが、ここはどこだいね。」すると、たずねられた婆さまは
「何を言いなさる。ここは善光寺様でねえか。」とあきれ顔じゃった。しかたなくその日は、如来
堂で泊まることにした。一日中、牛を追って走ったので、お婆さんは、すぐに寝てしまった。
すると、夢を見た。夢の中に、今日追いかけてきた黒い牛が現れ、首に白い布を巻いて、仏様
の方にすうと。あっと、お婆さんは、驚いて目をさまし牛の行った方を、目をこすりながら、よく見
たが、牛はおらなんだが、なんと、白い布は観世音菩薩の首にかかっておった。
 お婆さんは腰を抜かさんばかりに驚き、這いつくばるようにして手を合わせ、生まれて始めて
祈った。お婆さんは御仏が、善光寺へ導いてくれたことに気が付いたのじゃった。
 お婆さんは、それまで心の奥深く眠っておった仏心が目を開き、仏恩をいたく感じて、
生涯その観音様にお仕えしたという。          日本の民話「善光寺」から抜粋


刃金のよな強靭性を持つのではないかと考えられていた菅首相の心にも意外にも弱点があった。
身内であると勝手に考えていた安住と岡田にまで「早く辞めてくれ」と言われて、家来に切りつけられた戦国大名の気分になってプッツンしてしまったようである。

まあ、70年代内ゲバの有様に似ていたようでありますな。

封鎖委員会の菅委員長に同一セクト内部から追放の陰謀の火の手が上がった。

対立セクトも絡んでの委員長追放劇だった。

何やら企業の社長・取締役追放劇に似ている。

そこで手を出して優しい言葉をかけたのが、老練な公安刑事とも例えるべき亀井静香であった。

「どうだい? もう手を引くかい? これ以上は無理だろう。」

仲間から裏切られた気分の菅委員長はホロリとした。

「後を宜しく、終息の道を拓いて下さい。俺にも面子があります。」

亀井
「そうだともさ。」


いざ入らん 禊のお遍路 浄化槽

善光寺も近くていいかも。

田中康夫さんが親切に案内してくれるかも。


 2 81 +−

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. パルタ 2011年6月29日 12:16:50: BeExvDE2jO5d2 : fhqMEypoT6
最近感じるのは阿修羅の小沢支持層の中でセクト主義を出している者が出てきている事だ。
つまり、小沢先生を批判する奴は菅の手先とか、自民の手先とかそういう囲い込み論法だ。
政治とはエネルギー問題や災害復興でも、本来一人ひとりの国民が
主体的に物事を考え、色々な方向、発想で議論していかないといけないのに、
全国民を敵味方、菅派か小沢派か自民支持派かという綺麗に三分割して考える思考回路が阿修羅に見出される。
それはかつての全共闘・内ゲバ党派や2ちゃんねるの思考回路と同じではないか。
こっち側でなければあっち側の人間であると断定する。人間の立場ってそんなに単純なものじゃない。
小沢支持は決してカルト的、極左的、金正日親衛隊的な支持の仕方であってはいけないと思うのだ。
指導部への批判が一切許されないような思考回路の硬直化がソ連・北朝鮮の経済や日本の学生運動の停滞・ゆきづまりを招いたのではないか。
頭を使って物事を考察しなければならないのはセクトや宗教の指導者ではなく、一人ひとりの国民なのである。

  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK115掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK115掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧