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これまでの短命首相と何が違うのか? 「ペテン師」、「人気取り」といわれても平気な菅首相の粘り腰を「機会費用」から考える
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/10387
2011年06月29日(水) 山崎 元「ニュースの深層」:現代ビジネス
一時は絶体絶命の崖っぷちに追い込まれたかに見えた菅直人首相が驚異的な粘りを見せている。
鳩山由紀夫前首相を巧みに利用して不信任案を大差で否決し、先日は、早期退陣の確約を取ろうとした執行部数人との会合を退陣日付の確約抜きで乗り切り、野党も丸め込んで今国会会期の70日延長を勝ち取った。
追求が甘く(原発はもっと追求できたはず)、政治勘の鈍い(不信任案の時期と出し方が下手)谷垣総裁と石原幹事長にリードされた最大野党自民党が軟弱であることのお蔭もあってだが、与党内の一大反対勢力だった小沢一郎氏一派の影響力を削ぐというおまけまで付けながら、目下のところ国会期末の8月下旬まで続投がやむを得ないかというムード作りに成功している。ことこの問題に関してのみだが、たいした度胸と政治手腕だ。
■これまでの短命政権と違う「粘り腰」の秘密
菅首相のいわば土俵際の粘りは、安倍、福田、麻生、鳩山と4代続いた短命政権の主達とは明らかに異質だ。就任時の人気上昇を利用せずに、期限ぎりぎりの総選挙まで粘って予定通り負けた、漢字も政局もよく読まなかった麻生氏は別としても、前任者達は、世論調査による支持率低迷に言い聞かされるかのように、割合あっさりと政権を投げ出した。
彼らと現在の菅首相とでは何がちがうのだろうか。これまでの政権運営を見ていると、菅氏が彼らと異なる、政治的な力量なり見識なりを持っているという訳ではない。政策は財務省に依存し、震災と原発事故ではリーダーとして適切な行動を取ることが出来なかった。ただ、首相延命に見せる執念だけは、彼らとちがう。
ある経済学者が筆名で書いた小説仕立ての経済学啓蒙書に「東大を出ると社長になれない」(水指丈夫、講談社Biz刊)という書籍がある。ネタばらしになってしまうが、この書籍のタイトルは、東大を出ると低リスクでまあまあ厚遇の就職先があるため、これを放棄することのコストが大きいので、ベンチャーを起業して社長になるようなことは起こりにくい、という意味だ。経済学用語でいうと「機会費用」がミソである。
菅首相を前任4人の前・元首相たちと較べると、「首相を辞めることの機会費用」が著しく大きいことが異なるのではないか。
安倍、福田、麻生、鳩山の各氏は、何れも政治的には名家の生まれだ。彼らは、首相の座から身を引いても十分な経済力があるし、周囲には子分的な政治家も含めて取り巻きらしき人達がいる。料亭だろうがレストランだろうが、首相在任中と同クラスの店で一生好きな時に飲食できようし、その相手にも事欠かないだろう。一方、周囲との関係を考えると、彼らはそれなりに「名を惜しむ」立場であって、ボロボロな姿を長くは晒したくない、という事情があった。
これに対して、菅氏の場合、清廉かどうかまでは分からないが(震災直前には外国人からの違法献金問題があった)、前任者達ほどの経済的基盤があるわけではないし、人望は不評であってごく少数の友人らしき政治家(北沢防衛相など)がいるようだが、首相辞任後も彼を立ててくれるような子分がいるようには見受けない。
加えて、菅氏は、政治家一族の出ではないので、不評の下に首相の座を去ることで、周囲が政治的なダメージを受ける心配もない。醜く粘っても、失う名誉の影響が少ない。
つまり、在任状態と辞任後を差し引きして考えると、菅氏の場合、前任4首相よりも首相を辞任することの「機会費用」が断然大きいのだ。一般論として、能力も、経済力も、人望もなく、地位だけが高い人がいたとすれば、この人が唯一の資源である地位に固執するのは当然だ。
だから、彼は、仲間から「ペテン師」と呼ばれるのも、震災前の原発推進の立場を反原発&再生エネルギー推進派に素早く切り替えて次の人気取りの手段として利用するのも、全く平気なのだ。
■菅直人という人格をよく知っていた小沢一郎
推測だが、菅氏は、安倍氏以下の菅氏よりは恵まれた立場の前任者達でも、首相を去ってからの立場が寂しいことを見ていて、これを自らに当てはめて、首相辞任の機会費用を一層高く見積もっているのではなかろうか。
さすがに、小沢一郎氏は菅氏の利害と人格をよく知っていて(振り返ってみると、昨年の正月元日には、菅氏は小沢氏宅の新年会で乾杯の音頭を取っていた。彼は自分の立場のためなら何でもする人なのだ)、不信任案の可決で葬るしかないと考えていたのかも知れない。
が、野党の谷垣総裁、石原幹事長、あるいは今や菅首相をもてあましつつある官邸及び党執行部の枝野官房長官、岡田幹事長といった、多少は将来もあって且つ肝の小さい人達は、強硬策を採った際の自らの世評悪化を恐れたり、菅氏の人事上の報復を怖がったりしてか、菅首相を降ろす勝負に出ることができずにいる。
菅氏の側は解散・人事・世評(菅降ろしの先頭に立つと世評が逆風になる)がカードで、菅氏を降ろしたい側は国民・国会議員双方での内閣支持率の低さとポストの辞任(与党幹部の場合)や参院での問責決議案などがカードといえるが、現在のチキン・ゲームの形勢は菅氏が相当に盛り返した。
菅氏が「失うものの大きさ」から何をやるか分からないのに対して、次の次の首相あたりを狙っている諸氏はリスクを取ることが出来ないことが見え透いていて、多数ではあるものの迫力を欠く状態にある。
後者は、たとえば参院での首相問責を可決して国会審議で退路を断って首相辞任を迫る度胸もなければ、対立候補を一本化して民主党の代表を早急に取り替え、それでも首相を辞任しない菅氏を除名するような荒技を繰り出す手腕もない。強硬手段を採らずにぐずぐず時間を掛けているせいで、復興が大事な時期に政局にかまけている、という世間の批判まで菅降ろし側の人々に向かうようになった。
組織のトップにある個人がその座を去るに当たって機会費用が大きいことは、外国の政府でも問題だし(辞任→訴追→死刑が予想される「命」が機会費用のトップも少なくない)、日本の会社でもしばしば大きな問題だ。
首相・大統領、あるいは社長・CEOといった「トップ」とそれ以外の立場の個人的効用に大きな落差があるのは仕方がないが、トップに長く居座られるのは、組織として困ることが多い。
■政界にも会長や相談役が必要?!
日本の大企業では、社長が辞任しやすくするために、「会長」や「相談役」といったポストを作り、社長当時と大きく変わらない収入と、秘書に個室・自動車といった福利厚生と社会的地位を用意することがある。社長辞任の機会費用を下げると共に、用済みの社長が暴走しないように「冷温停止」するまで安全管理する仕組みだ。
こうした仕組みには余計と見える費用が掛かり、時には二重権力が併存する場合もあり、弊害もあるが、社長が「菅首相化」することに対する安全弁となってもいる。社会的には、企業における相談役ポジションと同じくらい無駄にも見える財界団体の活動にも、退任社長の持って行き先的な役割があるし、官僚の天下りポストにも同様の機能がある。財界も天下りも社会的にトータルに評価すると、共に圧倒的に「無い方がいい!」代物だと思うが、物事には両面があり、一定の安全弁的機能を果たしている。
首相の場合、退任後の適当なポストなり処遇なりが存在するようには見えない。近年、首相の育成システムが事実上存在しないことが問題視されているが、菅氏の例を見ると、首相の退任に関しても、何らかの仕組みが必要かも知れないと考えさせられる。
過去を振り返ると、自民党政権にあっても、退任後も「闇将軍」などと称されて権力を持った故田中角栄氏のような例外もあったが、首相になる政治家はそれで「上がり」としても惜しくない程度に高齢である場合が多く、退任後の「程よい処遇」が確立していたわけではない。近年では、過去の首相経験者を選挙で公認すべきでないといった議論もある。
今ここに至って、菅氏にどうやって首相を降りて貰うといいのかを考えることは容易ではないが、党の「終身名誉顧問」の肩書きと、党が存続する限り支払われる年金的な手厚い功労金でも用意しないと、おとなしくポストを明け渡さないかも知れない。
この辺りの処置は、先般の不信任案不発の責任者でもあり、資金と経緯の上で党の「オーナー」とも呼ばれる鳩山由紀夫氏に考えて欲しいところだ。この際、次の選挙前に民主党を解党して新党に衣替えするなどの形で、菅氏を「ペテン」にかけ返すオチがついてもよろしい。
冗談はさておき、内政・外交とも、菅氏が首相に居座ることに伴う国政停滞の弊害は大きい。菅首相本人が早急に潔く辞任してくれるのが一番だが、同氏にとっての「機会費用」のせいでこれが難しいとしたら、現状では、他の政治家諸氏の度胸と手腕に期待せざるをえない。何とも暑苦しい、梅雨時から夏に向かう政局の一コマだ。
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