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近聞遠見:菅の「心境」を想像する=岩見隆夫
http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/
毎日新聞 2011年6月25日 東京朝刊
昔、といっても30年ほど前だが、新聞の政治面には折に触れ、<心境もの>という囲み記事が載った。デスクが、
「Aの心境ものを書け」
と実力者Aに付き添う担当記者に命じるのである。政情がこみ入ってくると、Aが腹の中でどんな思いをめぐらせているのか知りたい。
政治記者の腕が試される。出来、不出来があって、ゴマスリ的になりがちだったせいか、いつの間にか姿を消した。しかし、いまなら、
「菅の心境ものを……」
と言いたくなる場面だ。菅直人首相の心理描写である−−。
さて、簡単でない。菅は割合理解しやすい人物とみていたが、そうでもないことがわかってきた。複雑人間とも違う。例えば、
「ヨッシャ、ヨッシャの角さん」
の一言で田中角栄のイメージはくっきり浮かび上がり、いまも人気を保つ理由と言っていい。菅にはそうしたトータル・イメージがなく、心境を推し量る因子が乏しい。田中の場合なら、金、人情、強引、直感力、愛嬌(あいきょう)などだ。
菅は1976年、田中がロッキード事件で逮捕された直後の衆院選に初出馬、落選したが、この時の選挙戦略は<田中角栄VS菅直人>転じて<新潟3区対東京7区>だった。
超大物の胸を借りようとしたのだ。以来、アンチ角栄が菅政治の原点にあるらしい。クリーン、市民派、対決型論客、参加民主主義など。しかし、それらが田中のように体臭として臭ってこない。最近の国会答弁では、
「市民運動家と言われるのは好きでない」
と言ったりする。
菅の心中は日々よりどころを求めて揺れているのではないか。断固としたものが伝わってこない。といって、深く悩んでいるふうでもない。場当たり、思いつき、思い込み、が菅批判の常とう文句になっている。それもあるが、もっと深層で、
<なぜこんなことになったのか>
が自分でわからなくなっているようだ。通常は、表に出る言葉が心境を知る手がかりになるが、一昨日、菅は、
「全力を挙げ、燃え尽きる覚悟で取り組んでいきたい」
と記者団に語った。以前は、
「命を懸けて……」
も再三使っている。これら最上級の決意表明がどのレベルのものなのか。菅の言葉は、心境理解に役立たない。言葉が大仰なほど、表と中身の違う浅薄さを感じてしまう。
<菅がイラつくのは理解できる。グズグズ、モゴモゴするタイプは苦手です>
と伸子夫人が著書に書いている。だが、人間はほとんどがグズグズ、モゴモゴだ。田中なら相手が何を言いたいか敏感に察知し、敏速に処理した。菅は逆に敬遠する。政治家向きでない。
もう一つ、頂上に上りつめた男(女でもいいが)の内面である。首相という強権のポストは怖い。多分、歴代首相も自分がポストにふさわしいかどうか、確信が持てないまま就いているだろう。
まもなく適・不適がみえてくる。能力の有無ではない。能力がなければ、首相までたどりつけないからだ。
分かれ目はただ一点、私心をどこまで捨て切れるか。無私とまでは言わない。保身的心情を極力抑え、公(おおやけ)に奉仕する。当たり前のようで、容易ではない。それができれば、
「一定のめど……」
などと退陣に条件をつけるはずがない。
実績が乏しい菅は、首相を辞め、一介の議員になることを恐れている。だから、少しでも名が残るような仕事をしたい。それが保身、個人的野心である。(敬称略)=毎週土曜日掲載
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