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何を基準に国の行く末を考えるべきなのか
http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/661.html
投稿者 星と月 日時 2011 年 6 月 26 日 09:50:16: vebXXayRfpINQ
 

日本の原点とは何か、それを論じる人は少ない。天皇が日本の原点という誤った考えは多い。天皇というものは天孫降臨という神話に基づいているように、日本にもとからいた原日本人である国つ神、すなわち縄文人を祖先に持つ原日本人が、天つ神すなわち中国から朝鮮半島を経て渡来した弥生人に国を明け渡したように、渡来人が大和王朝の元をなすものである。この渡来人が原日本人との混血を繰り返したものが今の日本人になっている事はDNA的にも証明されている。従って、明治時代に作られた天皇を神とする国家神道というものは捏造された富国強兵のための国民をまとめるための神話に過ぎない。

ここで述べたいことは天皇制の非難ではない。戦後は天皇も過去と同じに神ではなく象徴的な存在に戻った。それはそれで元のさやに納まっただけであり、天皇を尊敬するとか天皇制をどう考えるかは国民が個々人で判断する事である。しかしながら過去の国家神道の遺物である靖国神社問題を政治問題として見る事は大きな間違いである。ここは明らかに天皇教のために戦争で亡くなった多数の遺族の事を考慮すべきである。間違った国家神道が正しいものと教育されて戦争のために死んだ方々を、後の我々が国家神道が間違っていたから靖国を参拝する人々も間違いだと安易に非難できるのだろうか。そこには正しい歴史認識を時間をかけた教育がなければならない。靖国問題を国家神道の問題として正しく教育してこなかった我々の責任が問われるのである。

繰り返して明治以来のわが国の歴史を述べているのは、そこに今の我々の原点が見られるからである。西欧の科学技術による武器や機械というものなしに、日本という国が西欧諸国から侵略されないという保証は全くなかった状況で、明治維新という国家体制は西欧思想とその科学技術の移入が絶対条件であった。それによって日本は世界の列強に短期間で仲間入りが可能になったのである。その代償は、過去から続いた我が国の伝統的な思想や制度の無批判的な徹底的な排除であった。我々は心の原点を捨てざるを得なかったのであるが、戦後になってもその反省が未だになされていない事に危機感がなさすぎるのである。西欧至上主義で独自の思想を棄て去った国が、一体どのような思想で世界と渡り合えるのであろうか。政治、経済などのあらゆる意味で世界は小さくなりつつある今、自国の確たる思想なき国はどこからも相手にされなくなるであろう。防衛問題まで他国に丸投げ状態で外交などできるわけもないのに、未だに過去の継続だけを続けようとしているわが国はどうなっていくのか、我々はもっと真剣に自国の事を我々自身が考えなければならない。国民の基本となる過去から続く原日本人としての思想の見直しのない安易な徴兵制の議論など笑止千万である。そこには「死ぬ」という事実や「公私のけじめ」とか「慈悲の心」とか「自由の概念」とかの根本問題の議論の欠如ばかりが際立っている。我々は自らの意思を直接国家という体制に反映させず、あまりにも安易に他者依存を続け、しかも物質的な欲望ばかりに偏りすぎた生活を長く続けすぎてきたことを反省すべきなのである。  

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コメント
 
01. 2011年6月26日 10:46:56: LykbpkPoOI
政治家や官僚の無責任の根源が天皇制だ。最高権力者が責任を取らない体制。
国指定無形文化財か天然記念物として保護すればよい。

02. 2011年6月26日 11:15:48: 3DzJqv1zRw
「日本の原点とは何か、それを論じる人は少ない。天皇が日本の原点という誤った考えは多い。」

誤った考えとなぜ断定できるのか?
その根拠が示されていない。

天皇というものは天孫降臨という神話に基づいているように、
「日本にもとからいた原日本人である国つ神、すなわち縄文人」

国つ神=縄文人の根拠も文献的資料も示されていない。

を祖先に持つ原日本人が、天つ神すなわち中国から朝鮮半島を経て渡来した弥生人に国を明け渡したように、渡来人が大和王朝の元をなすものである。この渡来人が原日本人との混血を繰り返したものが今の日本人になっている事はDNA的にも証明されている。

そもそも縄文人が何処から日本列島にやってきたかに触れておらず、さも弥生人だけが中国、朝鮮半島からやってきたように認識しているのは間違いである。

「西欧至上主義で独自の思想を棄て去った国が、」
本当に独自の思想を捨て去ったのか?
今でも厳然とある日本独自の文化はなんだ?
日本独自の思想を捨て去った上に日本文化が再構築されたとでも言うのか?

この記事の言わんとすることは
「我々は自らの意思を直接国家という体制に反映させず、あまりにも安易に他者依存を続け、しかも物質的な欲望ばかりに偏りすぎた生活を長く続けすぎてきたことを反省すべきなのである。」

最後のこの部分だけでこれを言うために
不正確な古代日本史感とこれまた不正確な人類史感を短絡的に結びつけた危うい理論をふりかざしているのはお笑いである。
原始時代と古代から明治時代へいきなり飛んで日本の思想が捨て去られたと結論着ける実に雑で幼稚な歴史観こそ反省すべきである。
日本人のアイデンテティーはそんなに単純か?


03. 2011年6月26日 11:34:18: yxstEvnWG6
>西欧至上主義で独自の思想を棄て去った国

そうでしょうか。

この国は、奈良時代以来の律令体制のままで、この体制が西欧由来の思想が主導する現実の世界(例えば原発)と合わず、問題が生じるのだと思います。

こうした体制側が、他の日本独自の思想に裏付けられたものを都合良く書き変えてきたのが日本の歴史とも言い換えられるくらいと思います。

「原日本人としての思想の見直し」に心情的に賛成する人は私も含め多いと思います。しかし、もう我々には、そうした記録も残されていず、記憶や残った記録は書き変えられたもので、一体原日本人としての思想が何なのか自体判らなくなっているはずです。

ここらへんの自己認識から始めたほうがいいように思えるのですが。


04. 2011年6月26日 11:40:09: pRjsNFz8BI
天皇制がもし廃止されたら
誰にメリットがあるか
奸のような権力欲にとりつかれた
ペテン師たちが独裁政権をつくるだろう
日本憲法は戦後のどさくさで
あわてて作ったのにも拘わらず
良く出来ている
やはり思惑がなく、アメリカの理想主義が作ったからだ
これが日本の奸凌たちが作ったら抜け道だらけになったろう
問題はこの憲法で保障された
国民主権の民主主義を我々が強く意識し、参加することで
ペテン師たちを排除しなければならないのだ
小沢さんに国民の生活党を率いてもらいたい
もはや民主でも新党でもよい
小沢さん以外に今この国難で総理をできる人間はいない
脱原発より今最優先は福島の収束だ
奸の無責任で細野のはしごが外されそうだぞ
これしか奸凌独裁国家から脱却はない

05. 2011年6月26日 12:10:42: 8HikxGtgtU

 *** 愛の愛は愛の 政治 ***


 経済 + 政治 でしょうね〜〜〜

 1. 経済 = マルクスの資本論 = タダ働き = 人民の善意

 2. 消費税 = 100円の価値しかないものを 105円で買うこと

        = 5円分の善意

 
 つまり 経済は 人々の善意 = 無償の労働 によって成り立っている
 
 上向きの金 ↑ 人々の善意は 企業 + 政府によって 吸い上げられる

 ===

 政治の根本は 下向きの金 ↓   つまり 公共投資 + 社会福祉

 ===

 愛が特に強調したいのは  政治の役目は 「弱者救済」 であると 断言できます
  
 


06. 天橋立の愚痴人間 2011年6月26日 12:11:33: l4kCIkFZHQm9g : lywG07JhQ2
「日本の原点とは何か」を論じる人がいないと言われているが、投稿者はそれを何であると考えておられるか。

日本人が日本の原点を見失ったきっかけとして明治以来の欧化を上げられているが、欧化思想が瞬く間に日本に浸透した意味を考えねばならない。

すでに当時の日本(江戸末期)には、日本の原点と仰っているものが希薄になっていたからではないか。
これが戦国時代であれば欧化のありようも、もっと違ったものであったはず。

であれば、日本の原点云々は明治以降の検証では得られないはず。
国家神道を作り上げられたまがい物と決め付けておられるが、その良し悪しは別として欧化に対応する理念の一つとして浮かび上がってくるのは至極当然のこと。

かつ戦後のテイタラクは、民族性の問題ではなく、社会の豊かさ、物資、情報のの氾濫が成せることと思う。

これは日本に関わらず世界の問題と認識する。
しかしながら、これだけ個人主義が蔓延してしまった現在、共生のための理念を求めて、日本の原点を探ることの必要性には同感であり、そこから今後の指標が生まれると思う。

付け加えて意見を述べると。
日本民族が温厚であることは、地勢学的、宗教的に醸成された特質であると思う。

しかし、それを強調するだけでは日本の原点を見ることにはならない。
私は平安時代の文化、鎌倉から戦国時代の武士階級を含む民意に日本の原点を見たいと思う。


07. 2011年6月26日 12:15:50: 8HikxGtgtU

 追記

 ↑向きの金 と ↓向きの金 が 程よくバランスする

 つまり 北欧の福祉社会は 理想世界でしょう

 ===

 人々は 善意によって 働き 政治は その善意を 国民全てに 分け与える

 国は 人々の 「善意に包まれる」  <== これ以上の説明は不要でしょう
 


08. 2011年6月26日 12:30:37: 8HikxGtgtU

 >すでに当時の日本(江戸末期)には、日本の原点と仰っているものが希薄になっていたからではないか
 >これが戦国時代であれば欧化のありようも、もっと違ったものであったはず


 *** 愛の愛は愛の 経済 ***


 江戸時代は 農民の善意(年貢米)(無償の労働)によって 武士の経済が回っていました

 ===

 つまり 経済をまわすのは 「無償の働き」 といえます そして

 江戸時代は 300年間 何の問題もなく 多くの争いごともなく すごせました

 ===

 あえて言うなら 農民は 「無償の恵み」を 地球と太陽から もらっていたのです

 ===

 日本は この「無償の労働」に目覚める必要がありそうです
 
 ===

 親は 子供に 「無償の愛」 を注ぎます 

 妻と夫は 「無償の愛」 を交換します

 子供は 年老いた両親にたいして 「無償の感謝」を捧げます

 ===

 日本が アメリカの功利主義から 独立し 「無償」である 「日本の美」に

 帰ることを 提案いたします
 


09. 2011年6月26日 12:34:35: 3DzJqv1zRw
そもそも日本人が日本人を意識して外国を見、日本国家を意識したのは司馬遼太郎が指摘しているように白村江以来、元寇の次に明治時代になってからだろう。
明治のそれはイノベーションを伴ってやってきた。
日本独自の思想を捨て去ったと結論着けるよりイノベーションに順応したと言う方が正確であろう。
イギリスの産業革命はイギリス人の思想、文化を破壊したとも思えない。
思想文化の放棄、破壊は共産革命に於いて見られる現象である。

10. 2011年6月26日 12:41:40: YzESbPZq8g
筆者です。多数の非難や批判のご意見を感謝します。この梅原猛さんの森の思想が人類を救うという本に答えが凝縮されていると考えます。http://amzn.to/j32utz

11. 天橋立の愚痴人間 2011年6月26日 12:43:31: l4kCIkFZHQm9g : lywG07JhQ2
08 さん

愛、愛、愛と新興宗教でもやっておられるのですか。

江戸時代は、国民の8割の農民の犠牲の上に国家が成り立っている封建時代でした。

そんなものに回帰したいとは!

冗談も、ほどほどに。


12. 天橋立の愚痴人間 2011年6月26日 12:57:29: l4kCIkFZHQm9g : lywG07JhQ2
投稿者さんへ、

梅原猛氏の本の表題をみて、貴方が思っておられる「原点」とは、
日本民族の精神(バックボーン)を見直すと言うよりも、物質、情報の氾濫に冒された人間性の回復と言う意味での「原点」探しと伺えます。

私は「物質、情報の氾濫」「生産からのはみだす多くの人々」の対応として自然への回帰、身の丈にあった生活環境を意識的に取り戻す必要があると思っています。

読みもせずに想像で喋って申し訳けありませんが、梅原氏の著作の名前「森の思想が人類を救う」から、氏もそのような見地から書いておられると思います。


13. 2011年6月26日 13:07:27: 8HikxGtgtU

 *** 愛の愛は愛の サイボーグ ***


 人間は 自然の動物では ありません 人間は すでに サイボーグとなりました

 私の 孫たちは 帝王切開によって この世に生を授かりました

 おそらく 自然には 母子ともに この世にいなかったかも知れません

 愛の孫たちは サイボーグなのです

 ===

 人類は 太古の世代から つねに 都市化(サイボーグ)してきています

 人類は すでに 太古の世界に戻れないほどに サイボーグ化しました

 ===

 今後も 人間は これ以上に サイボーグとなるでしょう

 サイボーグの人類 と 地球 太陽 宇宙 との関係に関係においても

 ===

 人類は 神から与えられた 自然の人間を 自分自身の手で 改造に改造を

 加えて 生き延びるしか 手立てがないのです

 


14. 2011年6月26日 13:07:57: yxstEvnWG6
>>4  pRjsNFz8BI
自分自身に言い聞かせる独語の類を、そうやって(下記もですが)続けていると
重症化するから、場所を選んでほどほどになさい。

05. 2011年6月26日 11:44:26: pRjsNFz8BI
チョウニチ新聞は日本にありながら
母国朝鮮を愛する新聞社なのだ
だから同胞の奸と心中して
売国 ほんとうに国を叩き売りたいのだ

http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/659.html#c5


15. 2011年6月26日 13:18:34: 8HikxGtgtU

愛、愛、愛と新興宗教でもやっておられるのですか。
江戸時代は、国民の8割の農民の犠牲の上に国家が成り立っている封建時代でした。
そんなものに回帰したいとは!
冗談も、ほどほどに。


 *** 愛の愛は愛の 冗談 ***

 たしかに 人間のしゃべる言葉は 全て冗談でしょうね〜〜〜

 知恵のないものにとっては その 冗談さへ発することはできませんけど〜〜

 ===

 それは さておき 人類は 江戸時代に回帰することはできません

 江戸時代は 自然の世界です 人間は いまや サイボーグなのですから

 江戸時代に帰れるはずがないのです

 ただ 経済の基本は 人民の善意による ということだけは ご理解ください

 ===

 人類は 前に進むしかないのです
 


16. 天橋立の愚痴人間 2011年6月26日 13:30:20: l4kCIkFZHQm9g : lywG07JhQ2
>人間は いまや サイボーグなのですから

この言葉は頂いておきましょう。


17. 2011年6月26日 13:33:26: 8HikxGtgtU

 そうですね 人間の頭脳 そのものが いまだ不完全な サイボーグ なのです

 神は 人間に体と 頭を与えましたが 頭で考えるその 中身までは

 つくってくれなかったのです
 


18. 2011年6月26日 13:46:07: 3DzJqv1zRw
>>11. 天橋立の愚痴人間 さん
江戸時代は封建社会ではありますが、
「8割の農民の犠牲の上に国家が成り立っている。」
何が犠牲なのでしょうか?
江戸時代は民衆文化が歴史上もっとも開花した時代であり治安もよく貨幣経済の発展、人口増加、農民の識字率の高さ、公共事業による富の再配分など当時世界で一番発展していた国と言えるのに日教組教育の影を見るようです。
農民が大工であり、土木技術者であり、職人や商人でもあったりした時代です。
江戸時代の文献に何々郷の何兵に子供が生まれたので年貢をこれだけ減らしてくれと庄屋が役人に願い出ているものが沢山あり毎年こういう事を細かくやっていたあかしです。
それは病人が出たとか葬式があったとかとても念入りに行われています。
農村の疲弊は明治時代のほうがひどく、封建社会=悪の構図もまた歴史観の単純性を感じさせられます。
私も水のみ百姓は粟やひえしか食べられなかったと嘘を教えられた世代です。
封建時代に回帰する気は私もありませんが、日本の歴史を正しく認識する必要はあるでしょう。

19. 2011年6月26日 15:06:49: yxstEvnWG6
>>18
>>18

>江戸時代は民衆文化が歴史上もっとも開花した時代

日本が封建制でなくなった明治以降のほうが民衆文化は発達したでしょ。
明治以降は日本の歴史ではないんですか。

>農村の疲弊は明治時代のほうがひどく

産業構造が転換したからです。
廃藩置県された直後に日本で一番人口の多かった県は新潟県です。
交通機関の発達と東京での産業の発展とともに多くの新潟の人は東京に出ました。
封建制がなくなったから農村が疲弊したわけじゃないです。

>日本の歴史を正しく認識する必要はあるでしょう。

その通りです。しかし、>>14でも言いましたが、渡っ屁昇一みたいな、おかしな物語は止めましょう。


20. 2011年6月26日 15:45:45: 3DzJqv1zRw
>>19
論点がずれている。

農村の疲弊は明治時代のほうがひどく

産業構造の転換したから

その通り、それに苦しい国家財政をうめる重税

「8割の農民の犠牲の上に国家が成り立っていた」

この認識がおかしいといっているのだ。

明治以降の歴史は日本の歴史では無い。
封建社会が崩れたから疲弊したなどと
言っていない。
何が言いたいのかよくわからない。


21. 2011年6月26日 16:23:43: yxstEvnWG6
>>20
私は、明治も大正も昭和も、今の平成も、歴史でしょうと言いたいんです。
ですので

>江戸時代は民衆文化が歴史上もっとも開花した時代

昭和より江戸時代が民衆文化が開花したなんておかしいでしょう、ということです。

農民が8割だったのかは正確にはわかりませんが、江戸時代は「農民が大工であり、土木技術者であり、職人や商人でもあったりした」ような自営農の上に国家があったのではないので、農民の犠牲の上に成り立っていたという書き方は間違ってないと思います。
「農民が大工であり、土木技術者であり、職人や商人でもあったりした」のは、時代をもっと遡った武士の源流の一つである関東の開拓農に、むしろ当てはまるとも思います。


22. 2011年6月26日 16:44:02: yxstEvnWG6
=引用開始=

江戸時代には、(1)田畑と(2)家屋敷地を所持し(検地帳名請人)、(3)年貢と(4)諸役の両方を負担する者を百姓(本百姓・役家)とした(「初期本百姓」)。なお、百姓は戦時においては小荷駄などを運搬する(5)陣夫役を負担する者とされた。しかし、初期・前期の村落内では前代を引き継ぐ階層差が大きく、(1)(2)(3)(4)(5)のどれかを欠く家(小百姓あるいは多様な隷属民)も多数存在していた。役家制の地域では、賦役を負担する量や種類によって、本役・半役・四(小)半役・水役などに分かれている場合もある。

変遷江戸幕府をはじめとした領主は、このような本百姓数の維持増加に努め、平和が続いたことによる社会の安定化によって耕地の開発も進んでいった。次第に本百姓の分家や隷属民の「自立」化が進み、17世紀の半ば以降には、村請制村落が確立していき、(1)田畑や(2)家屋敷地を所持する高持百姓が本百姓であると観念されるようになった。初期本百姓が村内で持つ影響力に依拠しなければ年貢諸役を集めることが難しかったが、村請制に依拠できる体制が完成したと評価することもできる。

しかし、原理的には(1)(2)(3)(4)(5)の条件は貫徹していた。例えば、村落に住むエタ身分の中には、高持の者がいた。彼らはその持高に応じた(3)年貢と(4)諸役(の一部)を負担したが、(5)陣夫役は負担しないので、百姓ではなかった。また、山村や海付村落には(1)田畑のない村落(集落)も存在した。そのような村でも(2)家屋敷地は必ずあり、それらを所持する高持百姓が本百姓とされた。

江戸時代中後期の社会変動によって、百姓内部での貧富の差が拡大していくようになる(「農民層分解」)。高持から転落した百姓は水呑百姓や借家などと呼ぶようになった。その一方で富を蓄積した百姓は、村方地主から豪農に成長していった。また、村役人を勤める百姓を大前百姓、そのような役職に就かない百姓を小前百姓と呼ぶようになった。

農民の階層区分
農人(俗に百姓という)
(『和漢三才図会』より)大橋隆憲編著『日本の階級構成』(岩波新書、1971年)114-115頁によると

1.かなり大きな農業経営を、しばしば農外の営業、山林所有などとも結びつけ、家族労働力だけでなく、一定の雇用労働力を恒常的に雇い入れ、搾取の可能性をもつ最上層のいわゆるブルジョワ的農民としての富農。
2.通常的にはその農業収入だけで生活をようやく維持し、雇い雇われる関係が多少あっても、ほぼ相殺する程度のいわゆる小ブルジョワとして典型的な、しかも上向と零落の分岐点に立つ、きわめて不安定な存在である中農。
3.農業経営を行なうが、きわめて零細なため、生計補充の賃労働収入ないしそれに類似の勤労収入を不可欠とする、いわゆる半プロレタリアの農民である貧農。
4.耕地をまったくもたないか、あってもごくわずかで、その生活を主として農業内外の賃労働によって維持するいわゆるプロレタリア(無産者)としての性格をもった農村労働者。
多様な生業実際の村落には多様な生業を持つ者が住んでいた。百姓=農民というイメージは江戸時代から続く古い俗説であるが、実際には現代の「兼業農家」よりも広い生業を含んでいる。

諸職人
大工・鍛冶は、職人身分に属する者が営む場合、水呑・借家あるいは百姓が営む場合、があった。
木挽・屋根屋・左官・髪結い・畳屋は、水呑・借家あるいは百姓が営んだ。
宗教者
神職:江戸時代においては、吉田家と白川家(伯家)が本所として全国の神社・神職を配下にしようと争奪しあう状況にあった。しかし、幕末に至っても両家による全国編成は完了せず、百姓身分のまま神職を勤める「百姓神主」がかなりの割合で存在していた。神職身分を獲得したい百姓神主と百姓身分に留めたい村落側との意向が異なる場合があり、百姓神主と村落とが裁判を繰り返すこともあった。その一方で、本所の配下になることを忌避する百姓神主も存在した。
僧侶:すべて僧侶身分である。
修験
雑芸民
医者:水呑・借家あるいは百姓が営むことが多かった。しかし、領主との関係、あるいは出自などの由緒によって「浪人」として扱われる場合もあった。
商人:水呑・借家あるいは百姓が営んだ。江戸時代には商人身分は存在せず、士農工商の「商」は町人を指した。
漁民:水呑・借家あるいは百姓が営んだ。江戸時代には「漁民」身分は成立しなかった。
以上のように、村落にはさまざまな生業で生計を立てている者たちが存在していた。彼らがどの身分集団に属するのかは、身分集団を編成する本所の動向、身分集団自体の成熟度に左右されることがわかる。その生業の種類とともに、時期と地域による差も大きかったのである。

=引用終了=
引用元:「百姓 ウィキペディア」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%A7%93


23. 2011年6月26日 17:02:10: 3DzJqv1zRw
>>21さん
昭和より江戸時代が民衆文化が開花したなんておかしいでしょう、ということです。

文明と文化をごちゃ混ぜにしてはいけない。
明治時代に西欧化したのは圧倒的に文明であり、それこそがあなたの言われる産業構造の転換です。
日本人の精神、文化的主柱を問われた板ではなかったか?

江戸時代にお城や寺の修理や壁を直しに集められた人足は農民です。
壊れた道や堤防を直す人足は農民です。
領主による公共工事。
農家の長男以外は奉公に出る為読み書きそろばんを習っている。
このような人達の中から専門家が出ているし、専門家だけで出来る物でもありません。
蓑、笠、草鞋、籠、笊、を作り売っていたのも農民です。
味噌、醤油、納豆、豆腐、炭、織物、薪、染料、多くのものを生産していたのは事実です。
副業で現金を得る為に多くの仕事をこなしています。



24. 天橋立の愚痴人間 2011年6月26日 18:15:07: l4kCIkFZHQm9g : lywG07JhQ2
18 さん、
犠牲と言う言葉に拘っておられるが、事態は判っておいででしょう。

特に江戸幕府は農業生産を機軸に国家の財政を考えていたのです。
それも農家のありようは従来のままに任せ、新田開発も灌漑事業も殆どせずにひたすら年貢の徴収をやっていただけ。

民主国家と言う概念がない当時では、日本に関わらず、そういう仕組みが常識であったでしょう。
そうして、それなりに国家は存在していました。

こうした封建国家のありようを安定と見れば見れないこともありません。
でもね、
投稿者は今後の世界のありようのことについて言及しているのです。
精神の面は別として、少なくとも、封建国家の仕組みは今後の参考にはならないと思いますが。



25. 2011年6月26日 19:10:16: 3DzJqv1zRw
人口の8割の犠牲をもって文化の反映は有りうるのでしょうか?
日本人の繊細さや今日伝統工芸品といわれる物の素晴らしさ、民謡や歌舞、絵画、それらは日本人の精神性の表れそのもので、日本人の宗教観、死生観にもつながる精神の発露であろうと思います。
政治体制の封建社会を参考に今後の日本社会を構築しようなどと思うバカはいないでしょう。

26. 天橋立の愚痴人間 2011年6月26日 21:56:27: l4kCIkFZHQm9g : lywG07JhQ2
25 さん

能、歌舞伎、日本画、それに茶道、侘びさびの境地など江戸時代を爛熟期とした文化の源は、全て江戸時代以前に芽生えていました。

今に伝わる大衆仏教も、全てが鎌倉時代の名僧によって出現しました。
源氏物語や枕草紙などの女流文学は世界に先駆けて興ったものです。

日本文化を生んだ、日本人の日本人たる源泉は江戸時代にはないのです。


27. 2011年6月26日 22:52:32: lE9Fn0YNAI
すごいね、江戸時代。

一揆もあったみたいだけど、なんだかんだで300年位もったんだからさ。

住民の声にもしっかりと耳を傾けて、

実りの良くないときには、減税とかしてたらしいし。

もしかして、退化してきているのかな? 人類は。


28. 2011年6月27日 07:22:09: UWENshfRjs
日本の原点は、民。

問題は、主権在民が情報操作で妨害されていること。


29. 2011年6月27日 09:18:43: 3DzJqv1zRw
>>26. 天橋立の愚痴人間さん

解らん人だねえ。

なんで人の言っていない事を指摘して曲解するのか?

揚げ足を取ったつもりなのか?

中学生相手に日本史を語っておられるのか?

日本文化の源泉が江戸時代にあるなんて一言も言っていない。

氏の言われる「能、歌舞伎、日本画、それに茶道、侘びさびの境地など江戸時代を

爛熟期とした文化」

人口の8割もの犠牲をしいた状態で文化の爛熟期はありえないと言っているのだ。


「特に江戸幕府は農業生産を機軸に国家の財政を考えていたのです。
それも農家のありようは従来のままに任せ、新田開発も灌漑事業も殆どせずにひたすら年貢の徴収をやっていただけ。」

これも非情に社会を単純化して見る薄っぺらな思考の表れです。

地方分権であった全国の藩が新田開発もせず感慨事業もせず特産品の開発もしなか

ったのか?

陶器の生産などは藩が保護し莫大な富を上げた(鍋島藩など)数え上げたら切がな

い位全国各地に特産品があり海運業により全国に流通していたではないか。


30. 2011年6月27日 11:10:13: 3DzJqv1zRw
天橋立の愚痴人間 さん
「私は平安時代の文化、鎌倉から戦国時代の武士階級を含む民意に日本の原点を見たいと思う。」
「江戸時代は、国民の8割の農民の犠牲の上に国家が成り立っている封建時代でした。そんなものに回帰したいとは!冗談も、ほどほどに。」

「今に伝わる大衆仏教も、全てが鎌倉時代の名僧によって出現しました。
源氏物語や枕草紙などの女流文学は世界に先駆けて興ったものです。」

むしろ平安時代のの貴族文化、鎌倉から戦国時代の武家文化のほうが農民(民

衆)の犠牲の上に成り立っていたと言えるのではないでしょうか。

「今に伝わる大衆仏教も、全てが鎌倉時代の名僧によって出現しました。」

それは何故か?

仏の末法の予言が現実の社会情勢と一致したため、人々の現実社会への不安は一層深まり、この不安から逃れるため厭世的な思想に傾倒していった。
鎌倉時代には、法然の浄土宗や親鸞の浄土真宗などは末法思想に立脚し、念仏により死後に西方極楽浄土の阿弥陀如来の御許への往生を唱えた。また日蓮も、同時期に法華一乗を唱えた。しかし曹洞宗を開いた道元は、釈迦在世でも愚鈍で悪事を働いた弟子もいたことや、末法を言い訳にして修行が疎かになることを批判し、末法思想を否定した。
室町時代後期、戦国時代に入ると、寺社勢力は金融の担い手となっており度々土一揆に襲われたり、千年近くかけて有力寺社が自墾・寄進で増やしてきた寺社本所領が地方豪族によって横領されるなど寺社の経営基盤が大きく揺らいだ。また経済面だけでなくこの時代の寺社の多くは土一揆に備えて武装化したり施設を要塞化していた。浄土真宗や比叡山のように戦国大名と交戦したり、東大寺のように施設を拠点に利用され戦乱の舞台となり焼失した事例は少なくない。過去に類を見ないこの時世を真の「末世」の到来と考える風潮が流行し、不安・不満を拠り所とする一揆を促した。(ウィキペディアより抜粋)

江戸時代のように社会が安定し発展しはじめると鎌倉時代のように名僧を輩出しな

くなるのも当然である。

むしろこの平安から鎌倉、室町に至る時代は日本でも暗黒の時代であったように思

われる。

私が言いたいのは、単純にある時代を特定したり否定したりして日本人の精神的原

点を探る事は出来ないと言う事です。

>>02の最後にも書きましたが

「日本人のアイデンテティーはそんなに単純か?」


31. 天橋立の愚痴人間 2011年6月27日 11:36:32: l4kCIkFZHQm9g : lywG07JhQ2
29、30氏

文化の爛熟とか、民衆の犠牲とか言った事象と、日本人のバックボーンのありようを関連して捉える必要はないと思います。


「日本人のアイデンテティーはそんなに単純か?」

単純でよいのです。
何を難しく捉える必要があるのでしょう。

>むしろこの平安から鎌倉、室町に至る時代は日本でも暗黒の時代であったように思われる。

だから、そこに日本人の姿を見るのです。
今の日本も文化の爛熟と言えば爛熟でしょう。
そうして現代に日本人のバックボーンと言うものが感じられないのも事実でしょう。

貴方とは、目の付け所が随分と違う様ですね。


32. 天橋立の愚痴人間 2011年6月27日 11:55:27: l4kCIkFZHQm9g : lywG07JhQ2
追伸、

>私が言いたいのは、単純にある時代を特定したり否定したりして日本人の精神的原点を探る事は出来ないと言う事です。

誤解されているようなので。

日本民族の特性として良く言われているのが「和」の民族。
要するに、聖徳太子の言葉ではないが、以前にも言ったように他民族と比較して古代から現在に至るまで温厚な精神を宿してきたのが日本民族といえるでしょう。

しかしながら、それは民族性の一面であり「和の心」だけでは国を維持することは出来ないし、民族性の発露を導くことも出来ない。

そのプラスαを「魂」とみる。
大和魂なる言葉は、明治以来、偏った見方が定着してしまったが、本来は日本民族のバックボーンであるべきと思う。

温厚なイメージだけの日本人が、そうではなく意外と積極性を発揮した時代があるのではないかと言うことが検証の対象である。

それが、平将門の乱から織田信長の時代へ続く一連の歴史の中にあるのではないかと言うことです。


33. 2011年6月27日 12:34:31: 3DzJqv1zRw
天橋立の愚痴人間さん

「温厚なイメージだけの日本人」
私はそのようなイメージは持っていない。
「平将門の乱から織田信長の時代へ続く一連の歴史」
氏の言われる平将門の乱が積極性なら平将門以前、日本書紀に書かれたむごたらしいとも言えるほどの殺戮、権力争いは積極性ではないのか?
白村江の戦いは外国に出ての大戦争であるが、これも積極性であるはず。
後の壬申の乱は積極性の表れではないのか?
古代から戦乱を繰り返し権力争いに明け暮れた日本人が温厚なだけとはとても思えない。
この国が大きな戦乱もなく安定していたのは江戸時代の二百数十年がもっとも長い。
氏のイメージの温厚なだけの日本人は何処からくるのか非情に解り難い。


34. 2011年6月27日 13:20:03: 3DzJqv1zRw
天橋立の愚痴人間さん

追伸

氏の「大和魂なる言葉は、明治以来、偏った見方が定着してしまったが、本来は日本民族のバックボーンであるべきと思う。」

この思考は同感である。

明治以降のそれは旧ソ連が戦争で危なくなると戦意高揚のため
「母なるロシア」と言う言葉を持ち出しナショナリズムを煽った使い方とおなじである。


35. 天橋立の愚痴人間 2011年6月27日 15:24:52: l4kCIkFZHQm9g : lywG07JhQ2
33 さん

真相に迫ってきたようです。
日本人の民族性を温厚と考え勝ちですが「それでだけではない」と言うことを言いたいのです。

例えに挙げられている事例や、倭寇の存在、秀吉の朝鮮の役、支倉常長などの訪欧使節など、積極的な人間性が見られます。

そういう気迫がバックボーンとしてない現代の日本人を嘆いているのです。
例えに挙げたような英雄でなくても、そういう土壌にあれば、大衆も社会のことにも少し積極的に取り組むようになるのではと思います。

それが民族の力、魂なのです。

欧米のそれと、違うのは、欧米がキリスト教的世界観に基づいているのに対して、我々は多神教のなかで育まれた温厚を土壌に魂を持っているということであり、

東洋の、それこそが今後の世界に必要なものであり、アングロサクソンにとって変わるべきものではないでしょうか。


36. 2011年6月27日 15:58:51: yxstEvnWG6
>アングロサクソンにとって変わるべきものではないでしょうか。

膨張主義の文脈で言ってるのではないでしょ。
もしも、膨張主義の文脈で言ってるのなら第二次世界大戦中のキチガイ言論と同じです


37. 2011年6月27日 16:01:47: yxstEvnWG6
日本国内に於いて、今取られているものを取って替わるべし、なら一も二もなく賛成です(笑)

38. 2011年6月27日 16:05:22: 3DzJqv1zRw
天橋立の愚痴人間 さん
「しかしながら、これだけ個人主義が蔓延してしまった現在、共生のための理念を求めて、日本の原点を探ることの必要性には同感であり、そこから今後の指標が生まれると思う。」

氏の>>06でのコメント

共生のための理念をもとめて、日本の原点を探ることの必要性を謳われる氏が

日本の歴史上、共生が非常にうまく機能していた江戸時代を意図も簡単に

否定されてはその姿勢そのものに怪しさを感じてしまうものです。

日本は地勢学的にも、宗教的にも世界に稀な国です。

独自であって良い、日本人の精神性を歴史の中から素直な目で見つけ出す作業が

必要でしょう。

氏とアプローチは違いますが目指すところは似ているようです。

私は氏より一回り程若いと思いますが、この議論も不毛では無かったと思います。



39. 2011年6月27日 16:10:49: 8HikxGtgtU

 > 人口の8割もの犠牲をしいた状態で文化の爛熟期はありえないと言っているのだ


 *** 愛の愛は愛の 反論 ***


 私の基本認識では  江戸時代の農民は 豊かだったと 認識しています

 ちなみに 年収に直してみると

 農家 : 300万円/年

 下級武士 : 150万/年 位らしいです

 ===

 ただし 江戸時代には 人口調整機能が 都市部にあり

 農家 武士の 次男などは 大阪 江戸に 丁稚奉公させられ

 ほとんど 給与というものはなく 死ぬまで働かされたようです

 ===

 私には 「人口の8割もの犠牲」 というのが 何を意味してるのか?? 不明です

 ===

 私の認識では 江戸や 大阪で 文化が栄えたとするならば 

 そのことも 「無償の労働」と関係があるのではないでしょうか

 
 


40. 2011年6月27日 16:48:09: 3DzJqv1zRw
「丁稚奉公させられ

 ほとんど 給与というものはなく 死ぬまで働かされたようです」

年齢が上がると共に丁稚ではなくなる。

月給制度がなく盆暮れには給金に相当する物を貰って里へ帰っている。

江戸時代の記録文献によると一つの店で一生働く者もいれば

気に食わなければどんどん奉公先を変える者もいた。

それも大阪から名古屋、江戸と言うように奉公を理由に通行手形を貰い

現代人が考えるほど自由度が無かった訳では無い様だ。

自由が無いのは借金を形に年季奉公をする場合である。

無償の労働が何を指すのかわかりませんが

都市部に住む労働者が芝居を観、酒を飲み、遊女を買い、所帯を持ち、子を育てた

人足寄場に集められた無宿人でさえ賃金は貰っていた。


41. 天橋立の愚痴人間 2011年6月27日 17:19:18: l4kCIkFZHQm9g : lywG07JhQ2
>日本の歴史上、共生が非常にうまく機能していた江戸時代を意図も簡単に
>否定されてはその姿勢そのものに怪しさを感じてしまうものです。

封建国家における安定など、元々検証の対象ではないのです。

また政治的安定を基調として社会のありよう、民族のバックボーンなどは考えられません。
政治は元々不安定であり庶民のための政治が理想的に展開する時代は、あっても極、短いものと思っています。

また政治の安定を固定的に考えることは間違いと思います。

江戸時代の平和にあまり重要な意味を持つことはないでしょう。見返りになくしたものを大きいのです。

歴史に、もしもは禁句であり、織田信長をそんなに認めるつもりはないですが、江戸時代がなかったら、現代日本人はどのようなものであったか興味のあるところです。


42. 天橋立の愚痴人間 2011年6月27日 17:31:59: l4kCIkFZHQm9g : lywG07JhQ2
文章と言うものは、たとえ2000字でも3000字でも、なかなか自分が思うようには伝わりません。

投稿の文章も、そういう意味で投稿者さん自身、歯がゆい思いで見ておられたことと思う。

あっちへぶつかり、こっちへぶつかりであったが、これだけコメントを重ねて、ようやく投稿者の気持ちが少しは見えてきたように思える。

結論的なものは出ないにしても、多くの方が認識を共有することによって一歩進めるのではないでしょうか。


43. 2011年6月27日 18:15:38: 8HikxGtgtU

 >都市部に住む労働者が芝居を観、酒を飲み、遊女を買い、所帯を持ち、子を育てた


 そりゃ〜〜 ま〜〜

 江戸時代の 江戸でも大阪でも 賃金はもらってたわけだけど

 江戸時代は 人口が3000万位で 大きく変動はしていないと思います

 ===

 農家でも 下級武士でも 子供は たくさん生まれるわけですから

 石つぶしは 江戸や 大阪に 流れていくわけで 

 江戸が 彼らの 死に場所なわけで〜〜〜 

 栄養状態や 住環境が悪かったりで はやり病にかかって いちころで

 死んで行った って習いました

 ===

 ま〜〜 いつ死ぬかわからないわけだから 享楽におぼれただろうことは

 推測できますよね〜〜〜
 
 ===

 そんな過酷な江戸で 長寿を全うしたひとは 数えるしかいないと 思うけど〜〜

 そりゃ〜〜それで スーパーマンですよね!!


 ===

 江戸は 都市機能としては 貧弱だったのではないでしょうか??

 愛ガ 人間をサイボーグだといっている観点からいえば

 江戸は 現代人が 手本にするような町では ないと思います
 


44. 2011年6月30日 23:20:30: pKWyk5qMSU
山本七平の著に、五公五民について外国人が質問した話しがあった。
コメをどこに輸出していたのか? 凡そ8割の農民と残り2割の武士などで
4倍のコメを消費できないとの考えからであり、学校教育で覚えたことや
時代劇を疑問もいだかず往々に受入れているとできない質問である。


武士の家計簿を紹介したURL
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/hon/bushi.htm

http://plaza.rakuten.co.jp/KUMA050422/diary/201011250000/

幕末の武士は、裕福であったのか? この武士は知行地の農民からも
借金をしている。

庶民の生活は、幕末の外国人の著書で知ることができる。

ロバート・フォーチュン
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/12/post_2.html

外国人が見た日本
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akashids/nihon/tanpouki/tanpouki.html

欧米人の見た幕末日本 (来訪記にある挿絵集)
http://www.esuno-ya.gr.jp/edo/index.html

時代劇にないアレッと思った話題、『ももんじ屋』(食用猿)は『山くじら』
の燈籠の絵。 女性に対するイメージ。 半裸で化粧化粧する絵、混浴は
欧米人の倫理規範では許されない。 何度が禁止されているが、下級武士

、町屋の娘でも湯屋へ。 江戸は水が無い、水道橋や玉川上水と地名が
示す通りである。 盲人の絵はないが、街道筋では乞食、盲人、旅芸人が
行き交う。 明治政府は盲人に棄捐令を出しており、幕府は金貸しを認めて

いた。 金勘定をどうやったか?であるが、軒先を歩けば目につくのはわかる。
大店の主は草履取りを供につける、武士同様家来を抱えるのが地位の高さ、
身なり(月代)には床屋。 この床屋は株を売買する繁昌した職業であった

品川宿、客を引くのは飯盛女か。 攘夷党とローニンのたまり場、(薩摩
長州の定宿、勤皇の志士)欧米人に極めて危険であった。 その先江戸
に入るには、火責めの絵、鈴ケ森刑場を通る。 もう一つ小塚原にあった。

家康が城下の出入り口に見せしめのために置いた。 夜警、品川宿でも
夜間に木戸を閉めていたと思われる。 江戸市中も木戸、辻には自身番と
治安対策がされていた。 その上に、夜警での防火防犯である。 月夜で
ないと行動が制限される、時代劇は何故か毎回犯人を登場させている!?


スエンソンは、仏教の堕落、ミカドの神秘性を書いている。(庶民は天皇を
知らない、維新で天皇を教えるのに苦労している) 「社会の上層部、特に
知識人の間には、神道にも仏教にも与しない開けた日本人が数多く見出せ

る。 彼らは外見的な神仏信仰を斥け、孔子の教えの規範に多少の修正を
加えたものに従っている ・・・」と。 その信望者は無神論者と看做され、
教えは宗教よりも哲学的な処世訓と呼ぶのが、ふさわしいと述べている。

その徳川光圀からの朱子学(儒教)と本居宣長(国学者)の死後門下、
平田篤胤の神学で明治が始動していく。 神仏混淆である寺院の社僧は
神官と名を替え、縁日を催した寺領は『上知令』により没収、門前市に
縁日と、旅芸人、大道芸、フーテンの寅さん的渡世も禁止放逐された。

一方、幕府の宗教政策は、宗派別法度と寺社奉行で統制し、神仏信仰は
奨励した。 怖れたことは宗教暴動(島原の乱や一向一揆)である。
禁教はキリシタン、本願寺は東と西。 キリシタン排斥から『寺請制度』、

寺は、婚姻・奉公・修行・物見遊山(出国)などの住民票を発行する戸籍係
となる。 国民もほとんど仏教徒になり、仏教は葬式仏教へ現世利益へと。
天皇は桓武から、御寺は『泉涌寺』『般舟院』であった。

讒言で職を辞した武士は、[時代劇の公儀?]虚無僧(普化宗)になれた。
宗派によっては、女犯で晒される僧侶。 坊さん簪買うを見たである。 
庶民は、刑罰や親の勘当でも人別帳に『久離』の札が付く、いわゆる札つき。

宗旨証明ができなければ無宿者となり社会から疎外されていった。
寺請制度が、明治でも踏襲され氏子調べ制、戸籍へと変わっていく。

国家神道
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books250.htm

戸籍 明治4年4月4日 今般府藩懸一般戸籍ノ法別紙ノ通改正
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787951/94

主題の西欧化の進展は、『お雇い外国人』を招聘してからかな。
西洋思想の移入は、外国奉行所や訪米訪欧した役人、留学生。
『長州五傑』や『薩摩藩留学生』の密航組、難破の漁師などなどもいるが、

スエンソン曰く、雑多な宗教とキリスト教の中間の儒教を学んだ知識層、
彼らが西洋化をさせたのでは? 新渡戸稲造は札幌農学校からクエーカー

教徒、新渡戸の武士道や大和魂が現代。 妻妾論は、密航した森有礼。
森は教育制度にも取り組んだ。キリスト教の影響を受けている。

http://www.japanupdate.co.uk/index.php?option=com_content&view=section&layout=blog&id=38


思想は、東洋西洋ごちゃごちゃだと思う。 個人的には奇兵隊からの役人。

「ドウもこれはヒドイ話である。必ず何か私があるに相違ないと、此時始めて
気が付いたのである。 そのカラクリは、本来六十匁だった兵士の月手当の
半分がピンハネされ、それが幹部の旅費などに化けていたのである。」

諸隊反乱の理由
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj070207.html

高杉晋作は早死にした。 明治の偉人となった幹部や役人が、奇兵隊で
やったことである。 志ではなく私、官僚に受け継がれている。 議員宿舎も
江戸参勤での藩上屋敷の長屋である。 役人DNAをまず止めさせないと。


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