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日本の原点とは何か、それを論じる人は少ない。天皇が日本の原点という誤った考えは多い。天皇というものは天孫降臨という神話に基づいているように、日本にもとからいた原日本人である国つ神、すなわち縄文人を祖先に持つ原日本人が、天つ神すなわち中国から朝鮮半島を経て渡来した弥生人に国を明け渡したように、渡来人が大和王朝の元をなすものである。この渡来人が原日本人との混血を繰り返したものが今の日本人になっている事はDNA的にも証明されている。従って、明治時代に作られた天皇を神とする国家神道というものは捏造された富国強兵のための国民をまとめるための神話に過ぎない。
ここで述べたいことは天皇制の非難ではない。戦後は天皇も過去と同じに神ではなく象徴的な存在に戻った。それはそれで元のさやに納まっただけであり、天皇を尊敬するとか天皇制をどう考えるかは国民が個々人で判断する事である。しかしながら過去の国家神道の遺物である靖国神社問題を政治問題として見る事は大きな間違いである。ここは明らかに天皇教のために戦争で亡くなった多数の遺族の事を考慮すべきである。間違った国家神道が正しいものと教育されて戦争のために死んだ方々を、後の我々が国家神道が間違っていたから靖国を参拝する人々も間違いだと安易に非難できるのだろうか。そこには正しい歴史認識を時間をかけた教育がなければならない。靖国問題を国家神道の問題として正しく教育してこなかった我々の責任が問われるのである。
繰り返して明治以来のわが国の歴史を述べているのは、そこに今の我々の原点が見られるからである。西欧の科学技術による武器や機械というものなしに、日本という国が西欧諸国から侵略されないという保証は全くなかった状況で、明治維新という国家体制は西欧思想とその科学技術の移入が絶対条件であった。それによって日本は世界の列強に短期間で仲間入りが可能になったのである。その代償は、過去から続いた我が国の伝統的な思想や制度の無批判的な徹底的な排除であった。我々は心の原点を捨てざるを得なかったのであるが、戦後になってもその反省が未だになされていない事に危機感がなさすぎるのである。西欧至上主義で独自の思想を棄て去った国が、一体どのような思想で世界と渡り合えるのであろうか。政治、経済などのあらゆる意味で世界は小さくなりつつある今、自国の確たる思想なき国はどこからも相手にされなくなるであろう。防衛問題まで他国に丸投げ状態で外交などできるわけもないのに、未だに過去の継続だけを続けようとしているわが国はどうなっていくのか、我々はもっと真剣に自国の事を我々自身が考えなければならない。国民の基本となる過去から続く原日本人としての思想の見直しのない安易な徴兵制の議論など笑止千万である。そこには「死ぬ」という事実や「公私のけじめ」とか「慈悲の心」とか「自由の概念」とかの根本問題の議論の欠如ばかりが際立っている。我々は自らの意思を直接国家という体制に反映させず、あまりにも安易に他者依存を続け、しかも物質的な欲望ばかりに偏りすぎた生活を長く続けすぎてきたことを反省すべきなのである。
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