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70日間の国会延長が決まった事を受けて、菅総理の「粘り勝ち」とか、「続投に意欲満々」と報道したメディアがあったが、どこの何を見ているのかと呆れた。前にも書いたとおり総理の持つ解散権を封じながら退陣に追い込む仕掛けは着々進行している。総理がもがけばもがくほど首は絞まるのである。
将棋は最後の最後まで指す事はしない。手を読んで負けを悟った敗者が頭を下げ、そこで勝負は終る。最近の中国で子供の教育に日本の将棋を取り入れているというテレビ番組を見たが、「敗者が自ら負けを認めるところに礼節を感ずる。中国が日本から学ばなければならない事だ」と中国人が言っていた。
政治にもそれと似たところがある。手を読んで負けを悟った権力者は自ら退陣を決断する。もっともこちらは礼節ではなく、もがいて突破口を探る事と政治的混乱の増大とを天秤にかけ、退陣後の影響力を考えて判断する。自らの権力を維持するより国民生活を優先すると言って退陣した権力者には退陣後も評価と余力が残り、もがき続けると評価は底なし沼に落ちる。
ところが将棋と政治には違いもある。総理大臣には敗者となっても将棋盤をひっくり返して、すべてをチャラにする権限が与えられている。それが「解散権」である。この武器がある限り政治の敗者は簡単に頭を下げない。しかし大震災のこの時期に解散は政治空白を作り国民に多大の迷惑を掛ける。常識では「解散権」があってもそれを行使する事は出来ない。ところが菅総理に限ってはその常識が通用しないと政界では見られていた。
一方で菅政権を継続させる限り復旧・復興の目途は立たないというのも政界の大勢であった。これほどの災害が起きて与野党が一体となって取り組む必要があるのに、「お友達」しか使いこなせない総理には政敵と手を組む芸当が出来ない。また官僚組織を掌握していないため、情報が官邸に上がらない。ところが現場には口を出そうとする。政と官のチグハグな状態が続いてきた。外国は決して表では言わないが総理の指導力のなさに本気で呆れている。
分かっていないのはポピュリズムに洗脳された政治音痴のメディアである。「被災者の事を考えろ。政争はいかん」と国民の味方のフリをするが、政治をまともに観察すれば復旧・復興を任せるに足る政権でない事に気づかなければおかしい。先進民主主義国ならとっくに「リーダーを代えろ」の声が上がっている。
この国のメディアの特徴は国民感情に迎合する事である。国民には目の前の事しか見えないからその範囲で物事を考える。しかし政治は何十年も先や諸外国との関係など時間と空間を超えた範囲で考える必要がある。国民感情に迎合する政治は誤りを犯すというのが民主主義の基本中の基本である。ところがそれを理解せず国民感情に媚びるメディアがこの国をおかしくしている。
従って政治の世界は総理の「解散権」を封じながら、自らの口で退陣を言わせる必要があった。第一歩は内閣不信任案を提出して総理に敗北を認めさせる事である。本当に可決するには民主党の票が必要だから民主党は分裂する事になる。さらに可決をすれば総理が解散に踏み切る可能性もある。民主党にも国民にも良くない話である。そこで敗北を認めさせ、退陣表明をさせたら、不信任案を否決する方法が用いられた。
菅総理は退陣を表明し、不信任案は大差で否決された。しかし退陣の時期を巡って菅総理に「もがき」を誘う仕掛けがあった。菅総理が潔く退陣すれば、菅総理は同情され、一方で退陣させた側は批判される恐れがある。菅総理が孤立して国民からも見放されるところに持ち込まないと仕掛けは成功した事にならない。
鳩山前総理と交わした抜け穴だらけの合意によって、また大差の不信任案否決によって、菅総理は菅総理らしい行動に出た。もがきを始めたのである。昼間の退陣表明をその夜に覆した。これで民主党の大半とメディアの一部が菅総理に背を向けた。民主党執行部からは「大連立」という延命策も打ち出されたが、これも出来るはずはなく、菅政権と野党との溝を広げる効果を生んだ。
国会会期の延長問題でも菅総理はもがいた。政府与党から初めは「90日」が流れた。9月20日までの会期で、そこまで菅総理が続投すれば、民主党代表としての任期をまっとうし、日米首脳会談も視野に入る延長幅である。それが「120日」となり、「50日」となって、最後は「70日」に落ち着いた。
大事なのは「50日」でいったん与野党が合意をした事である。それを菅総理が覆した。「50日」では「ねじれ」の再議決に必要な「60日ルール」をカバー出来ないと判断し「70日」にしたのだろうが、これで菅総理は合意をした政党をすべて敵に回した。民主党執行部とも溝が出来た。
野党の反対を押し切って70日延長を決めた事で国会はしばらく開かれない。ところが7月2日までに衆議院で可決をしないと「60日ルール」で再議決が出来ない恐れがある。菅総理があがいてもこの国会で法案を成立させるには、与野党が共に菅政権に協力しなければ無理なのである。
一方で菅総理は「再生可能エネルギー法案」の成立に意欲を見せ始めた。6月15日の議員連盟の会合で「菅の顔を見たくないなら、早くこの法案を通せ」と叫ぶパフォーマンスを見せつけ、それを政治音痴のメディアは「意欲」と報じたが、私には追い詰められた権力者のあがきに見えた。
この発言で菅総理は「脱原発」で解散に打って出るとの見方が政界に流れた。あがきだからありえない話ではない。しかし解散は総理一人では出来ない。閣僚の賛成を取り付ける必要がある。閣僚が反対すれば総理は閣僚の首を切るしかない。問題は閣僚が将棋盤をひっくり返す総理を支持するかどうかだ。
そもそも「再生可能エネルギー法案」は環境問題の見地から鳩山内閣によって準備された。「脱原発」を実現するものではない。太陽や風力などの自然エネルギーで作る電力を電力会社に買い取らせ「脱化石燃料」を図ろうとしたものである。産業界は電気料金の値上げにつながるとして反対している。
「脱原発」や「再生エネルギー」を真面目に考えている人たちにとって、菅総理の参入は迷惑な話ではないか。菅総理が6月に入ってから急に再生エネルギーを言い出したのは政権延命のためと言われても仕方がない。国会で真面目に議論しようとしても余計な詮索に時間が費やされ、きちんとした議論は出来なくなる。
連立を組む国民新党の亀井代表は一貫して菅総理を支持してきた。連立を組んでいるのだから当たり前だが、亀井代表が菅総理と意見を異にするのは、政敵と手を組み、全政治勢力を結集して復興に当れと言う一点である。従って国会延長後、亀井代表は大幅改造を進言した。ところが菅総理はこれを無視して復興担当大臣に松本防災担当大臣を横滑りさせた。何もやらなかったに等しい人事である。
人事は最高の権力行為であり、人事によって人は権力者にひれ伏す。しかし菅総理は大幅改造などとても恐ろしくて出来なかったのではないか。閣僚は任命権者である総理に楯突く事は出来ないが、首を切られれば批判する側に回る可能性がある。また政敵を入閣させれば寝首をかかれる恐れもある。菅総理は疑心暗鬼の真っ只中にいるように見える。
最高の権力行為とされる人事すら出来なくなれば総理であっても権力者とは言えない。この人事で菅総理は支持発言を続けてきた亀井代表を裏切ったが、このまま行くと日一日と味方の数が減っていく。「権力が倒れる時は敵ではなく、味方によって崩れる」と以前書いたが、身内から刺客が出てこないとも限らない。それでも将棋盤をひっくり返す事に菅総理は執念を燃やすのだろうか。
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/06/post_266.html#more
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