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グローバル経済も原子力発電も“バベルの塔・人間の思い上がり” 中谷巌、小出裕章の共通点 (世相を斬る あいば達也) 
http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/648.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 6 月 26 日 01:24:25: igsppGRN/E9PQ
 

グローバル経済も原子力発電も“バベルの塔・人間の思い上がり” 中谷巌、小出裕章の共通点
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/ee8edf11761fa6788ecb2b910fbdb751
2011年06月26日 | 日記 :世相を斬る あいば達也

今日は小渕内閣時代から「新自由主義、市場原理主義の論客として自民党政府を支え続けたが、2008年にマクロ経済学者として、アメリカ流の新自由主義や市場原理主義、グローバル資本主義に対する礼賛言動、構造改革推進発言などを自己批判し、180度主張を変更、ベーシック・インカムや労働市場デンマーク・モデルを推奨している」(wikipedia参照)中谷巌氏の最近のコラムを読んでみた。

同氏の180度の転向には、個人的には“何を今さら”と云う気分もある。しかし、著書『資本主義はなぜ自壊したのか〜「日本」 再生への提言』(集英社)は名著である。筆者も、民主主義や資本主義の限界が近づいているのでは、と云う疑問を持ち始めたのも、氏の著書によるところが大きい。 あまりにも氏の劇的転向に、一時多くの学者・識者等々が異論を放ったが、現実に資本主義や民主主義と云う金科玉条な思想に齟齬が生まれているのは事実であり、「過ちては改むるに憚ることなかれ」(孔子)である。

ただ、多くの学者・識者が同氏の資本主義への疑問をマクロ経済学者としての分野に拘泥して捉え、彼を責め立てたのだが、筆者はその立脚点が間違っているのだと思う。同氏は文明論の領域で話をしていた、と捉えている。 中谷氏はマクロ経済学者として、あまりにも著名で政界財界報道界の寵児だった経歴が批判者の目を濁らせただけであると思っている。

同氏は、その後教育界で教鞭をとり、多摩大学で長きにわたり学長を務めた。おそらく、同氏の体質に経済学者としてよりも、本質的にゼネラリスト的体質を強く内包していたものが顕在化したのではないかと理解している。つまり、人間性が出てきたのである。マクロ経済学的には、氏の理論が幾分経済学を逸脱しているように見えるのも、その証だろう。

筆者は中谷巌氏の著書『資本主義はなぜ自壊したのか〜「日本」 再生への提言』や今日紹介するコラムを読んでいて、京大原子力実験所助教の小出裕章氏の顔を思い浮かべていた。マクロ経済にせよ、原子力にせよ、どちらも極めて専門的分野の学問知識である。尚且つ、これらの知識が国家とか世界規模で、人類の生き死に影響するものであることも確認した。

このような、国家観に大きく関わる知識が一握りの専門分野の知識人に任せなければならない現実がある時、僅かな知識や情報しか有していない我々は、何を持って最終的にその国策的政策を信じるのか、そういう問題があるのだな、と思うわけである。

この世の嘘には「嘘、大嘘、統計」の三つがあると云う格言?名言?がある。マクロ経済にせよ、原発の安全にせよ、世界の嘘の一つである「統計」や「基準値」に裏打ちされ、実しやかな言説になった事実を見逃してはいけないのだろう。

この二人に共通している事は、専門的知識を有している、しかし、その専門的知識に没頭する自分と、その専門領域に埋没しそうになる自分を客観視する第二の自分の存在なのではないのだろうか。つまり、己の中で相反する意識が内部的に闘い合うのである。このような一人の人間の中で起きる、内なる闘争を制御するものは、社会的には属人的過ぎて、ひどく合理性に欠けるのだが、意外に真実に到達することが多い。

その客観視できる自分と云う存在の根拠が、所謂“人間性”なのだ。怖ろしく非合理なのだが、属人性に強く期待する事になる。この辺りに今後の民主主義や資本主義のシステム的構造の課題が隠されているのだろうが、現時点ではこれ以上考えても堂々巡りしそうなので、思考は停止させる。(笑)ただ、両者に言えることは、両者にゼネラリスト体質とヒューマニティーから生まれた文明論・思想を感じるのだが、筆者だけだろうか。

≪中谷巌コラム
福島原発問題が我々に突き付けているもの三菱UFJリサーチ&コンサルティング 理事長 中谷巌
 東日本大震災で発生した巨大な津波は、私たちに改めて自然の圧倒的な力を見せつけた。古来、日本人はこのような理不尽な天災にしばしば打ちひしがれながら、何とかそれを克服し、共存の道を模索して生きてきた。
 人は自然の恵みによって生かされているが、同時に自然は容赦なく人間を叩き潰す。日本人はそのことを従容として受け入れる「諦めの哲学」をも発達させてきた。大震災と津波に翻弄された東北の人たちの姿に世界各国の人たちがある種の感銘を受けたとすれば、それはおそらくは日本人のそのような自然観や死生観に何か本質的なものを感じたからなのではないだろうか。
 今回の東日本大震災の規模はあまりにも巨大であり、あまりにも壊滅的であった。従って人々がそこから立ち直るのは困難を極めるだろう。しかし、それにもかかわらず、やがては復興の槌音があちこちから元気よく聞こえてくるはずである。
 また、今回の大震災は紛れもなく筆舌に尽くしがたい「天災」であった。その理不尽さはいくら強調しても強調しすぎるということはない。しかし、原理的に言うならば、もっと大きな問題は福島原発の問題である。なぜなら、福島原発問題が、大地震と津波という巨大な「天災」によって引き起こされたことは事実としても、原発そのものは人間が「科学革命」の成果として生み出した人工物であり、それが今や制御不能になったという意味では明らかな「人災」だからである。
 福島原発問題が表面化するまで、世界はクリーン・エネルギーのエースとしての原発を強力に推進する方向に傾いていた。原発はより豊かな生活を目指す人間の欲求に効率的に応えるためには「致し方のない選択」とみなされてきた。世界の電力会社とそれを支援する政策当局は、原発を安全で制御可能な、効率的エネルギー源として世界に喧伝してきた。
 しかし、今回、福島原発事件で世界の人たちが実感したのは、核というものは、ひとたび人間の制御の手をかいくぐるや否や、解き放たれた巨大なモンスターのごとく、たちまち手に負えない存在になるということであった。残念ながら、福島原発から発する放射能はおそらくしばらくの間、自然を汚染し続け、周辺の生活を脅かすことになるだろう。これはうまく制御されている間は世界経済の活性剤になるが、ひとたび当局の手を離れ、独り歩きし始めるや、たちまち巨大な バブルを生み出し、手に負えない暴走を始める「グローバル資本主義」の姿と重なり合う。
 旧約聖書には、恐れを知らぬ傲慢な人間によって天高く築き上げられた「バベルの塔」が神の怒りに触れる話が出てくる。もっと遡れば、アダムは、禁断のリンゴを食して神から罰を受け、そこから人間の苦難の歴史が始まった。いずれも、畏れを知らぬ人間の行為が原因となって「天罰が下る」という筋書きになっている。
 西洋近代社会は、「科学革命」を成就させることで、「力による自然征服」を可能にした(かに見えた)。実際、それはかなりの成功を収めた。今日の高い生産性と豊かな生活が「科学革命」によって成就されたものであることは言うまでもない。しかし、今回の原発事故によって我々はその成功が実は人類破滅への一 里塚にすぎないことを見せつけられたのではないだろうか。そうだとすれば、我々は人類がいよいよ「文明の転換期」に入ったことを悟るべきだと思う。
 「力づくで自然を征服する」というこれまでの西洋文明の考え方はつい最近まで、素晴らしい未来を人間に約束しているように見えた。我々日本人もその夢に乗ることをためらわなかった。しかし、「力づくで自然を征服する」という発想があちこちで破綻し始めていることは明らかだ。そろそろ「自然と共存する」「人間は自然によって生かされている」という日本古来の文明観に戻る日が近づいているのではないだろうか。これこそ、福島原発事件が私たちに突き付けている最も根本的なメッセージなのではないだろうか。≫(三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社HPより引用)
 

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コメント
 
01. 2011年6月26日 01:31:39: oNwDCrlZwQ
中谷巌は本当に過去を反省しているのか疑問です。

02. 2011年6月26日 01:49:30: ibwFfuuFfU
最後の勝利者は政府が率先してGDPでなくGDW(Gross Domestic Welfare)を指標として追求しているネパール人だろう。後の国は大半が「隣の国の人たちなんてついこないだまでリヤカーだったのが、最近じゃメルセデスに乗ってますぜ。どうですかおたくもここらで一念発起して気合いを入れてみては?」とかけしかけられて、物欲主導型に致命的な転換を行って、結果は良いように国際金融資本に搾取されてるだけだ。

03. 2011年6月26日 07:50:42: 78IL90wTo6
 マッチョでパワフルだが、周辺の人々に威圧感を与えるアメリカ的なグローバル化の経済思考を改め、一流の水泳選手のように、痩身で一見ひ弱に思えるが、その実態は、パワーと耐久力があり無駄が少ない「痩身型経済=ヘラクレス型経済」へと、我々・日本人は思考を切り換えねばならない。
 大企業のみが繁栄する歪な経済状況ではなく、優れた経営感覚を持つ中小企業が多く存在する国家の方が、地域経済が発展して国民生活も豊かで幸せである。
全国各地に展開する「大店舗」の拡大が、駅前の一等地であるにも関わらず「シャッター街」となっている意味を理解する事。

04. 2011年6月26日 08:42:03: AU9WbNVKaI
ここでバベルの塔を持ち出すのは、中谷という人は歴史に対する想像力の欠けた愚かすぎな猿知恵。

蒸気機関とか鉄道だって、危険度からすれば初期の人々にはバベルの塔に喩えられたのではないのかと思われます。


05. 2011年6月26日 15:12:37: zxRwWYtUnA
しかし、蒸気機関が壊れ鉄道が脱線しても、人類は滅びない。当時の人間は恐れたかもしれぬが、それがどうした?

日本でも写真を撮影されると魂まで抜かれると恐れた時代もあった。それは知識が足りなかっただけだ。

原発を恐れなかったのは、知識が足りなかったからだ。今、破滅に瀕してやっと自分たちがどんなに無知だったか知ったにもかかわらず、まだまだ原発を動かそうと思うのは、全能の神をも恐れずバベルの塔を築こうとする傲慢に等しいと中谷氏が言ってることのどこが「猿知恵」なんだ?その通りじゃないか。


06. 2011年6月27日 21:46:26: 7UrILTBQrY
猿知恵というなら、私自身は権利関係の事務実務に驕慢さがあるのだとおもう。とくに、日本の技術などというものがあるが、確かにそのようなものはあると思う。しかし、デマごみなどの言う意味は金のなる木と衆愚主義の道具があるということである。森島通夫のいうイギリスと日本(続もふくむ)では、ナショナリズムの核のひとつに技術性があると示していた。技術に軽視軽蔑をするわけではないが、本音ではきちんと取り扱ってください評価してくださいというのが一次的にはあるに違いない。

 財産権としてはこれを”保護”といういいまわしで正当性を法令上付与しているが、こんなのは法律論で実際は、各個の件とその技術論、事務実務である。ある政治家に科学と技術の違いを述べる人物がいる。それはいいのだが、それ以上何も示していない。考えがある人はいるだろう。ただ、政治家に要求することはあくまでどこまで世俗的意味で権利関係を設定するかであり、哲学などではない。

たとえば、請願権というものがある。国かそれに準ずる対象に対しての要求作用といってもいいだろう。これに、異常な反応をするものがいる。


07. 2011年6月27日 22:42:15: G3Ikd8Haug
ただ、政治家に要求することはあくまでどこまで世俗的意味で権利関係を設定するかであり、哲学などではない。
変更する。つけ込む隙かあるかもしれないのでね。
世俗的いみで権利関係を設定、または執行するかであり、哲学ではない。

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