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2011年6月23日 (木)
脱原発を論議しようとしない思考の停止した人々
3月17日に
「日本は原子力発電からの決別を決断すべきである」
と題する記事を掲載した。
今回の事故は、米国のスリーマイル島事故、ロシアのチェルノブイリ原発事故に次ぐ、三回目の大規模事故である。
当然のことながら、脱原発について、徹底した論議が求められる。
福島第一原発の事故については、事故調査委員会がこれから、事故発生のメカニズム、原因を明らかにする。
津波の影響、地震の影響、設備の老朽化の影響、リスク対策の正否など、徹底的な分析がなされなければならない。
はっきりしていることは、地震と津波が大事故発生のきっかけになったことだ。これを踏まえるとき、忘れてならないのは、日本は世界有数の地震国であり津波国であるという事実だ。
菅直人氏は、政府の地震調査委員会の資料をもとに、「「30年以内にマグニチュード8程度が想定される東海地震が発生する可能性は87%」と極めて切迫していると文科省、関係機関から示されている」ことを根拠に、浜岡原発の運転中止を要請した。
この政府地震調査会が示したデータは、今回の地震発生前のものであり、この資料では福島第一原発地点で同規模の地震が発生する確率はゼロとされていたようである。
東京大学の地震学教授であるロバート・ゲラー氏は、現代の科学技術では地震予知は不可能であることを英科学誌「ネイチャー」に掲載した。ゲラー氏は、「(地震の予知は)無益な努力だ。不可能なことを可能であると見せかける必要はない」ともコメントしている。
日本政府は地震予知に膨大な税金を投入しているが、上記の地震予測でも、福島での地震予測など、予測はまったく無益・無意味なものだった。
つまり、日本全国、どの地域も、ほぼ等しく巨大地震、巨大津波のリスクを背負っていると考えるべきなのだ。地球の運動周期は長いから、次の大規模地震が100年先ということもあるかも知れない。しかし、本年中に発生することも、まったく同様に否定できない。
したがって、今回の重大事故を踏まえて、まず、日本全国のすべての原発立地点周辺で、今回規模の地震と津波が発生した場合の影響を精査するのは、当然のことである。イロハのイにあたる作業だ。
基本的には、いったんすべての原発の運転を中止して、安全性を確認することが本来必要なのだ。
ところが、海江田経済産業大臣は、福島の事故調査がようやくこれから行われるという段階で、何が問題であり何をチェックすべきであるのかもわからない段階で、全国の原発の新規稼働にゴーサインを出した。狂気の沙汰としか言いようがない。
原発問題に関連してさまざまな主張が交錯し始めているが、以下の三点だけは、現時点で確実に確認しておかなければならない。
第一は、脱原発論議の必要性だ。脱原発の主張の最大の根拠は、原発事故の持つ特性にある。他のすべての事故と比較して、原発事故は、最悪の方向に振れた場合、その影響が甚大であることだ。日本列島全体が死の列島と化してしまう可能性すらある。
統計学には期待値と分散という概念があるが、災害発生の期待値がたとえ高くなくても、分散が極めて大きい、つまり、最悪の事態が発生した場合には、取り返しのつかない事態が発生するとした場合、この最悪ケースが生じた場合の、想定される姿が許容できるかどうかが焦点になるのだ。
「絶対安全神話」が確実に崩壊したいま、この最悪ケースを想定して、脱原発の判断を下すことは、十分に考え得る選択なのだ。
第二は、すでに述べたが、日本では、ほぼどの場所でも、地震と津波という、想定される大きなリスクが存在する。さまざまな規模の地震や津波が発生し得るが、最大値を取る場合には、今回の震災並みの影響が生じることを前提に考えねばならないのだ。巨大事故を発生させたあとで、「想定外」などの言葉を口にすることは、もはや許されない。したがって、日本全国のすべての原発に関して、リスク評価を再実施しなければならない。そのうえで、リスクゼロとの判断が持たれない限り、原発を稼働させるべきではないのだ。
電力供給の安定性がすぐに問題にされるが、電力需給がひっ迫するのは、真夏の電力使用ピーク時前後に限られる。このピーク時でさえ、原発以外のすべての発電能力をフル稼働すれば、電力供給に支障を来すことはないとのデータが存在している。
ピーク時以外については、より問題が小さい。ところが、原発推進の火を絶やさぬために、政府、電力会社、マスゴミが、意図的に需給ひっ迫の不安心理を煽る情報操作を展開している。これに騙されてはならない。
脱原発の方向に進む際、仮に電力料金が全体として小幅に上昇するとすれば、それは、脱原発のコストと考えるべきだ。万が一にでも大事故が発生する場合に、日本列島が死の島と化してしまうリスク、この超巨大リスクを遮断してしまうためのコストである。
第三に、福島原発事故による放射線被害をどう考えるかということだ。医学界では低線量被曝について、見解が定まっていない。低線量でも有害であるから被曝を避けるべきだとの見解が多数派であると見られるが、低線量被曝は有害でない、あるいは、かえって有益であるとする説すら存在する。
実証データが限られていることが原因で、論争の決着には時間を要すると考えられる。ただ、広島、長崎の被爆者を追跡した調査では、低線量被曝でも、がん以外に、心疾患、脳溢血、呼吸器疾患、消化器疾患の発生率に被曝量と比例的な関係が観察されるとの報告も示されている。
日本では、こうした医学的見識をもとに、現状では、ICRP勧告に準拠して、一般公衆の年間被曝限度を1ミリシーベルトとすることを法で定めている。
細かくなるが、これは、
「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」
に基づいて定められた
「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則」
第十五条第四号ならびに第七号に定めのある、
「経済産業大臣による濃度限度」であるところの
「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則の規定に基づく線量限度等を定める告示」
第三条第一項に定められている。れっきとした法定限度線量なのである。
原発事故による放射能汚染だから、論議がやや混乱しているが、これを、ある宗教団体が宗教施設のなかで、サリンなどの有害物質を扱っているさなかに事故を引き起こしてしまったという例で考えてみよう。この宗教団体が法定限度を超す有害物質を周辺地域にまき散らした場合、周辺住民は、法定限度を超す有害物質の散布に対して苦情を示すだろう。
福島県在住の住民が、法定基準を超える放射線を浴びたくない、とりわけ、放射性物質の甲状腺への影響が懸念される子供の被曝を回避したいと親が考えるのは当然のことと思われる。この法定基準が適切であるのかを論じるのは、この法定基準を定める際の問題である。事故が発生したあとに基準を便宜的に変更することは国民の不信を招く行動と言わざるを得ず、政府の行動として望ましいものでない。
いたずらに不安を煽る必要はないが、政府は法定基準に準拠した対応を示す必要があると思われる。より重大な問題は、原発北西部地域で、かなり深刻な放射能汚染が発生したことである。政府がSPEEDI情報をスピーディーに開示していれば回避された大量被曝者が多数存在するものと推定される。
震災・原発事故が発生して3ヵ月以上の時間が経過したが、最大の問題は、本質的な問題が論議されないこと、そして、経済復旧・復興を中心とする本格的な政府対応がまったく取られていないことである。小学校でも中学校でも、速やかに除染措置を取ってゆけば、事態は大幅に改善するのに、菅政権は財政事情だけを考えて住民が安心できる対応を積極的に取ろうとしない。
この期に及んでペテン師・いかさま首相を擁護する向きが一部にあるが、一刻を争う時点での時間の浪費が、必ずのちに大きな禍根を残す。
「マーフィーの法則」のなかの“最後の法則”に次のものがある。
「だめになりそうなことが案外うまくいっている場合、だめになってしまった方が、結局は得なことが多い」
現状は、まったく、「案外うまくいっている」状況にはないが、「だめになるもの」は結局「だめになる」のだから、一秒でも早く「だめ」を確定して、再出発する方がはるかに良いのだ。
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