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「uedam.com」の掲示板から2011年 6月20日(月)「知事たちが有権者の立場に立つ制度的理由=戦後の地方自治制度にある」を下記に転載投稿します。
=転載開始=
ウエダ 投稿日:2011年 6月20日(月)15時58分24秒
こんにちは、皆さん、植田です。
3.11の原発事故以降、原発立地県の知事さんたちが、県民の安全を最優先するようになっています。
たとえば、19日の毎日新聞。
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http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/news/20110619ddr041010004000c.html
原発:再稼働要請へ 「論評に値せず」 立地知事、批判が噴出
海江田万里経済産業相が18日、原発の再稼働を促したことについて毎日新聞は、原発立地道県の知事に感想を聞いた。原発の運転に関して知事に法的権限は無いが、道県と地元市町村、電力会社は安全協定を結んでおり、知事の同意無しの再稼働は困難とみられる。経産相は近く立地自治体を訪問する方針だが、この日の説明に関し「論評に値する内容が無い」などと厳しい批判も噴出。「適切」とした安全対策に疑問を示す知事も多く、各地で紛糾するのは必至の情勢だ。【まとめ・石川淳一、柳澤一男、関東晋慈】
以下、略
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これはなぜか、といえば、知事職が公選のためです。
有権者の多くが原発事故を受けて、原発は危険だと実体験したのであれば、今、推進を主張すれば、極端な話、知事のリコール運動が起きかねません。
こう考えると、アメリカ占領軍の「日本改造」は成功でした。
戦前の中央権力が知事を任命する方式に変えて、地方有権者の直接選挙に変えました。
GHQで日本国憲法案が起草された時、地方自治案を担当したのがセシル・G・ティルトン陸軍大佐でした。当時、44歳。ハーバード大・ビジネススクール卒の人でした。
1946年12月のアメリカの「ライフ」の記事にこの人の仕事が紹介されました。
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ティルトンは、2人の助手の力を借りて、日本全国にわたる地方自治体の完全な改革を遂行中である。
日本の46都道府県知事は、これまで東京の中央政府によって任命されてきた。今後は地方議会によって選任され、知事によって任命されていた町村長はもちろん、知事も住民の直接投票によって選ばれることになる。市町村・都道府議会も改革され、議員の選出方法は改善される。こうした改革の結果、全地方自治体は中央政府の支配から離れ、住民の手に委ねられる。
将来の日本の政治指導者は、地方自治の経験者の中から生まれてくるべきである。東京のエリート中央官僚出身者で占められるべきではない。
ジャスティン・ウィリアムズ『マッカーサーの政治改革』から
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というわけで、今、県知事さんたちが原発推進に慎重になっているのは、県民の声に耳を傾けているためです。
これが戦前の方式だったらどうか。
知事が耳を傾けるのは、中央政府です。
県民は統治される対象でしかありません。「知事の言うことを黙って聞け」と。
これを見れば、「いやあ、アメリカ占領軍が改革をしてくれてよかった」、となるわけですが、ここで大切なことは、アメリカ占領軍はいかなる思想を持っているので、そのような改革をしたのか、です。
この点は、もうすでに充分論じてきました。
自然理性です。
で、以上のことから言えることは、思想は政治制度に反映される、ということです。あるいは、政治制度とは、その社会の人たちの思想の反映である、と言えます。
そうであるなら、日本国の無責任体制の原因は、制度にある、と考えることが出来ます。
そしてそれを許しているのは、日本人の思想である、と。
それは何か、といえば、律令理性、と。
このことの具体例を古賀茂明氏が紹介しています。
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霞が関では大臣に(官僚が)いくら逆らっても、ペナルティはない。次官の意向に添っていればまず飛ばされない。前に説明した大臣・次官の双頭の体制になっているからだ。
『日本中枢の崩壊』p.169
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双頭の体制とは、一方に霞が関の官僚組織があり、他方に、選挙政治家たちの永田町がある、という体制です。
なぜ双頭体制になるか、といえば、ここが戦後日本人の思想のクラッシュ・ポイントです。
頭では「国民主権」とわかっていても、不比等以来の1300年の官僚統治の歴史は重い、と。
おまけに、「国民主権」の思想は、「メイド・イン・ジャパン」ではない、と。
で、民主党が2009年8月の衆院選挙でスローガンに「脱官僚」を掲げ、見事、政権交代を達成したのですが、しかし、それから2年後、ルーピー首相と、脳死首相のもとで、自滅しています。すなわち、誰も「脱官僚」が成功したとは実感できない状況になっています。
それはなぜか?
私は、不成功の最大の原因は、基本にあるのは思想の対立であることが、まだ日本語言論の中で認識されていないからだと考えます。
それゆえに、脱官僚が制度化できない、と。
すなわち、大臣に逆らった官僚にペナルティーを与えることが出来ない。
だったら、日本の政治が無責任体制になるのはあまりに当たり前ではないか、と。
ところが、律令理性の弱点は、自分たちの意識・思考を対象化・相対化して、分析する作業ができないことです。
それゆえに、いつまでも、問題がブスブスと不完全燃焼するだけで、ちっとも前進しません。
しかし、今や、放射能が律令理性人を追い詰めています。
推進派=それでもまだ、推進するのか?
原発被災者=それでもまだ、我慢するのか?
どちらにとっても、不完全燃焼とはいかない事態になりつつあります。
=転載終了=
(参考)「律令とは何か (今も日本の政治が官僚主導になる歴史的背景)」
http://www.asyura2.com/11/senkyo114/msg/429.html
「西岡氏、国会審議を拒否するという異常」
http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/367.html
(投稿者)一方での2005、6年当時の次のような現実。
参照;2006年刊行 日経BP社 「超・格差社会アメリカの真実」 小林由美著 P41〜P42
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(略)
アメリカ政界とのパイプが日本の政界での発言力を強め、衆議院の選挙も大統領選挙さながらに、党首が国民に直接語りかけることが、新しい選挙スタイルになる。アメリカで確立された制度は、そのまま日本にも導入される。これらの現象は、植民地と宗主国の関係に他ならない。そこに軍事力と腐敗傀儡政権が加わったら、アメリカの同盟国になっている多くの中南米諸国や発展途上国の図式そのものだ。
そしてアメリカとって最大の問題であるはずのクイックマネー・メンタリティー、貧富の格差拡大や社会階層の固定化、教育の質の低下や職業訓練化、株価の上昇を最優先する経営すらも、まるで社会の活性化と変革への処方箋であり、アメリカから武器を買って軍隊を作ることが、国家の発言力を強めてステータスを高める方法であるかのような論調さえ、最近の日本では見受けられる。
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