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6月2日、わが国の政治が人間でなく化物の世界となったことは、前回述べたとおりだ。菅首相は最悪の選択をした。「一定の期間」に辞めるような言いまわしで、不信任案に賛成する意志を固めていた民主党議員を騙し、反対させ否決した。
菅首相は同夜記者会見し、聞きようによっては「辞めるつもりない」ともとれる発言をした。これまで菅政権を支えてきた大メディアも、さすがに「これはひどい」と菅首相を批判するようになり、与野党から早期辞職の大合唱となった。これまで、菅首相と共に悪政を展開していた仲間がもっとも熱心に早く辞めることを画策している。「政の心」を知らない政治家たちだ。
そこで菅直人のどこに問題があったかを検証してみなければならない。
第一は、菅首相の政治信条が「国民の生命より1日も長く首相をやっていたい」というものだ。内閣不信任案の否決をめぐる「茶番とペテン」でおわかりだろう。3月11日の大震災の直後、官邸で側近に「これで2年やれる」と呟いたという噂が真実だと思える。
第二は、国家というものがどんなものか、まったくわかっていないのが、尖閣列島の中国漁船問題である。日本国内で不法行為を犯した人間を逮捕するのは、国家として当然のこと。これを外交的政治的配慮で釈放した。これはまことに不都合なことであるが、それを行うとすれば菅首相の責任で決断すべきことだ。それをこともあろうに那覇地方検察庁に判断させる。こんな国家の権威と憲法体制を冒涜したことはない。延命のための責任逃れだ。
第三は、同志として政権交代を実現した「小沢元代表の排除」を政権運営の基本方針としたことである。政治家のことだから、好き嫌いも思想信条の論争もあってよい。しかし歴史的政権交代を定着させるためには、大人の政治家としての対応がなければならない。平成19年元旦、小沢邸で私は菅さん本人の要望で小沢代表からの指示もあって、国会対策や政局問題の私的アドバイザーになった。平成21年3月の西松事件で大久保秘書が逮捕されるまで、当時の菅代表代行と真剣な議論をした。西松事件以来、一斉に音信不通となった。事件の本質を見抜く力がなかった。
西松事件は麻生自民党政権が、政権交代を阻止するため策略した「検察ファッショ」であった。民主党では鳩山幹事長にその認識があったが、菅氏は反小沢側にスタンスを移し、検察側のやり方を支持するようになる。メディアの影響もあったと思う。この時期から小沢排除を政治路線としていた。西松事件は検察の捏造であることが国民に見破られ、民主党への政権交代は実現した。
鳩山民主党は、朝日新聞の論説や武村正義という亜流左派の影響を受けて「小沢排除」で発足した。当時、私は「1年続かない」と公言した。検察は小沢氏の権力復活を封じるべく、次に仕掛けたのが「陸山会事件」であった。これも公判で証人が検察調書を批判し、村木裁判と同じような展開になっている。
西松事件・陸山会事件について、個人的には小沢氏と関係の少なくない元検事の郷原信郎弁護士は「今やっている公判は"ショー"」として、「やはり小沢は無罪だ」と、サンデー毎日(6月19日号)で論じている。要するに現在の政治の混迷は、「国民の生活が第一・共に生き共に幸せになろう」という、小沢一郎の政治信条を妨げようとする検察官僚や大メディアの自己保身に原因がある。
3月28日、非常事態の国難に対応する仕組みづくりを、中曽根大勲位に相談に行った。大勲位は「生命を賭けて国家と国民を守るという人物が、総理になっているはずだ」と語った。菅直人はそういう政治家ではなかった。
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