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(回答先: 我が国の「選良/エリート」たちは、いまどき、なぜ、わざわざ各駅停車(年功序列)の鈍行に乗るのだろうか?(uedam掲示板 投稿者 五月晴郎 日時 2011 年 6 月 15 日 12:17:30)
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/10368
「uedam.com.」の掲示板から掲題を転載投稿します。
=転載開始=
投稿者:ウエダ 投稿日:2011年 6月15日(水)11時35分16秒
こんにちは、皆さん、植田です。
古賀氏の『日本中枢の崩壊』を、今度はじっくりと読んでいます。
昨日書いた、鈍行列車のたとえは、P.167に古賀氏自身により、もっとうまい説明がありました。やはり、そのへんは本職の人の方が、実体験を踏まえているだけに、うまいです。
で、じっくりと拝見したのは、第3章の「霞が関の過ちを知った出張」。
これは、通産官僚に日本経済の舵とりを任せて置くと、「日本中枢の崩壊」どころか、日本列島の全体の崩壊となる、と古賀氏が体感したのではないか、と私は思いました。だから、自分のキャリアなど、投げ売ってもいい、と。そこまで日本の官僚制度は、今や、時代に遅れてしまった、と。
いかに遅れてしまったか。
その実態を古賀氏が霞が関村のルールを破ったことで、罰として地方巡業に行かせられたことで発見しました。
霞が関村のルールとは、日本全国一律に同じサービスを提供しなくてはならない、という行政の基幹方針です。
しかし、日本経済が国際社会の経済競争に立ち向かうには、それでは負ける、と。
「中央官庁の現実無視の政策と官僚の時代遅れの価値観は、日本の製造業に構造的かつ致命的な欠陥をも植え付けてしまった。それは、大企業を頂点として一つのカルチャーに染まってしまう体質だ。」p.122
いや、大企業最優先の日本経済の体質は、−これは新卒たちの企業選びにも見事に発揮されていますー、官僚がつくり出したのではなく、不比等戦略の企業階層バージョンです。つまり、奈良時代に用意されていたものです。日本人の精神構造が律令理性である限り、1300年前も今も、そこから生み出される社会組織のヒエラルキー(階層)はまったく同じになる、と。
で、問題は、高度成長時代にはまったく見事に機能したこの大企業最優先の日本経済の方法が、ポスト・高度成長の時代に入った今、逆転してしまったことです。
古賀氏によれば、大蔵省に「護送船団方式」があったとすれば、通産省には「擦り合わせ方式」がありました。
企業の系列ごとに、製品の規格を厳密にきめてしまう方式です。
だから、系列を離れると、その精密な、世界一の技術はたちまち使い物にならなくなってしまう、と。
これが、欧米企業と競争時代に入った今、日本企業の足かせになっている、と。
「日本の製造業は、ただ≪擦り合わせ≫を金科玉条として、取るに足らないところまで使い勝手の良さを求める。そのため、高コスト体質から抜け出せなくなっているのだから、本末転倒である。
結果、日本人は汗水垂らして長時間働いても一向に報われないという、まるでギリシア神話に描かれたシジュフォスに科された罰のような生活を強いられている。」p.124
「経産省では、日本企業の細やかな≪擦り合わせ≫こそ、他国のまねのできない特有の文化で日本の競争力の原動力、との解釈がまかり通っており、≪日本の技術を守れ≫とばかり、むしろ、≪擦り合わせ≫文化を奨励してきた。日本企業に≪擦り合わせ≫文化が定着した一因は、経産省の感覚のずれた価値観にあるといっても過言ではない。」」p.125
そこで、解決法です。
もう経産省の官僚には、毎日、日課として昼寝をしてもらう、と。
朝、出勤してから、夕方、あるいは深夜に退庁するまで、寝ていてもらう、と。
霞が関は「存在」することに意義があるのだから、官僚の皆さんは出勤さえすれば、それで努めは達成。
つまり、ポスト・高度成長の今は、民間企業には、できる限り自由を与え、自由に競争させよ、と。
高度成長の時代と、その後では、日本経済のルールはまったく変わったのだ、と。
そのことを認識して、官僚の皆さんは、昼寝をすることが日本経済への最大の貢献と認識せよ。
アイデンティティーの保証機関ですから、それだけで充分です。
そこにいるだけで仕事が達成できる、というのが、これからの霞が関の存在意義です。
官僚の皆さんには、へたにがんばってもらってはならない、と。
この官僚の新しい行動原理への切り替えを訴えたのが古賀氏でした。
昼寝だけでよいのだとしたら、ちょっとばかりお給料を減らしていいかな、と。
職員もちょっとばかり減らしてもいいかな。
公務員の制度改革をしてもいいかな。
現状だと、「キャリア一人を維持するための国費で、失業者5人に雇用を提供できる」、と古賀氏が試算しています。
さて、このような経済合理性を跳ね返すのが、律令理性人のアイデンティティーの需要です。
失業者が10人出ても、キャリア官僚一人の存在のほうが必要である、と。
なぜなら、官僚が存在することが、日本人を日本人たらしめているからである。
不比等戦略は、日本人が自然理性人にならない限り、永遠である。
経済合理性など、ゴミの計算でしかない。
日本人は、そんなものでは動かないのだ。
というのが、律令理性社会の行動原理です。
古賀氏は、この律令村の中枢で、その行動原理をさかなでしたのでした。
以上、ちょっと整理できないまま書いたので、話題がかみあっていないところがありますが、このままにしておきます。
=転載終了=
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