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http://diamond.jp/articles/-/12724
職業的な人材不適合
在任を正当化する理由として、菅直人首相が先般の東日本大震災を得る前によく言っていたのが「短期間で首相がころころ代わるような国ではいけない」という話だった。この理由を楯にして、菅氏が一日でも長く首相にとどまるような事態は国民にとって望ましくないと考えるが、首相が短期間で交代するような状況が望ましい訳ではない。
最近5人の首相の在職日数は、安倍晋三氏366日、福田康夫氏365日、麻生太郎氏358日、鳩山由紀夫氏266日、そして菅直人氏が現在374日(6月15日)であと少々は増えるとしても長くはない。5人を平均すると1年に満たない筈だ。
過去に12回ほど転職して、一社当たりの平均在職年数が2年台の筆者が言うのは憚られるが、この在職期間はさすがに短すぎる。
それぞれの首相の就任と辞任には固有の理由と事情があり、辞任の際に辞められて惜しいと思った方は正直なところいなかったが、これだけ短期間で職を辞することになった理由は、そもそも人材として首相職に対して不適合だったということではないか。
たとえば、5人は、失礼ながら、在任期間の終わり頃には、首相職のストレスに耐えかねてか、心身の健康に問題を抱えておられたように思う。
今更、個別に誰がどうとは言わないが、目が泳ぐ、人前でヒステリーを起こす、人相が一層歪む、腹が下る、怒鳴り散らす、など、「健康な政治家」なら陥らないような情けない状況が国民からはっきり見えた。まるで、首相官邸に総理の健康を蝕む環境ホルモンが存在するかのような印象だったが、サラリーマンでいうと、職責のストレスに堪えかねた中間管理職によくあるような症状だ。何れも首相でさえなければ、個人として同情を差し向けるべき、か弱き人物達だったと言えよう。
さて、今回ほどなく辞任に至るはずの菅首相が辞任に至らざるを得ない理由は、震災と特に原発事故問題に対する対応の拙さに見られた、首相としての「資質」の不足であった。
「急流で馬を乗り換えるな」という諺にあるように、困難な事態の最中にあって組織のトップをすげ替えることには危険が伴う。
しかし、民間会社であれば、会社にとって難しい事態であればあるほど、社長やCEOの職にふさわしい能力を持った人材を充てることが当然だ。乗った相手に馬の価値さえ無いと分かったときに、直ちに乗り換えを図ることは組織にとって悪いことではない。
だが、次の首相職に必要なのはどのような資質なのかという反省を反映させずに次の首相を選ぶと、過去5回と同様の失敗をする可能性が大きいのではないだろうか。高い授業料ではあったが、せめて、われわれは失敗に学ぶべきだ。日本の首相選びは「失敗学」の有力な研究対象ではないか。
首相候補が就活生なら
首相は、日本人なら年齢の条件を満たし公民権が停止されていなければ、原則として誰でもがなれる。衆議院議員になって、同院で選出されればいい。
しかし、首相の職を一つの「仕事」として見ると、これを十分にこなすためには、いろいろな素質と経験と能力(総称して「資質」)が必要なのではないか。これを調べずに決めることは無責任ではないのか。
たとえば、国民が、あたかも会社が新卒社員を採用するように首相を「採用」するとするならば、このスペシャルな採用枠の社員に対して、能力・経験それぞれにさまざまな条件を付けるのが普通だろう。
首相候補が就活生なら、本人の能力に関して、エントリーシート、ペーパーテスト、小論文、グループディスカッション、プレゼンテーション、そして何次かにわたる面接といった、様々なテストを受ける可能性がある。そして、もちろん健康診断も条件に入る。
学生の就活の場合、企業側が学生個人について個別に評価が出来ている場合(端的にいって特別に優秀であることが分かっている場合)に、ペーパーテストやグループディスカッションなどを省略して、何人かによる面接だけで採用を決めることがあるが、学生個人に関するデータがない場合には、かなりの手間を掛ける。
では、日本の首相にはどのような能力チェックがあると望ましいのか。
この点に関しては、人によって要求したい項目にはかなりの違いがあるだろう。憲法、国語力、論理と計算力、外国語力、経済常識、日本史、世界史、日本文化に関する知識、行政一般の知識、外国文化に関する知識、など「出来れば身に着けていると望ましい」という知識やスキルは数多い。
また、能力一般に関しても、コミュニケーション力、記憶力、体力、ストレス耐性、などもあって欲しいし、国内外に通用するユーモアのセンスなども欲しい。性格まで要求して良ければ、誠実で情に厚いことなども求めたい(逆の例を考えると明らかだ)。
加えて、社会一般の経験、ビジネスへの理解、家庭人としての経験、官僚組織を動かすことに関する経験など様々な分野に関して良質な経験を有するリーダーが望ましいことは動かし難い。
ヘッドハンターが企業の経営者をスカウトする場合も、どんな条件が必要かを定義した上で候補者探しをする筈だ(日本の首相選びについて、ヘッドハンターの意見を聞くと面白いと思う)。
一方、これだけ列挙すると明らかだが、一人の人間でこれらの条件を全て満たすことは極めて難しい。
しかし、我々は、首相である人物に関して、これらの何れかに不足があると、相当の文句を言う。就任前にこれらの条件に関して、何らチェックしていないにもかかわらず、文句を言うのである。
この点、米国が典型だが、国の行政トップを直接選挙で選ぶ仕組みがある国の場合、選挙戦を通じて、候補者がその資質の様々な面を晒してから、国民に選ばれることになる。
もちろん、憲法で決まった仕組みに基づいて日本の首相は選ばれるのだが、我々は、適性の(より露骨にいうと「能力の」)チェック・プロセスを全く欠いたままに首相を選んでおきながら、事後的に首相の資質に文句をいっているのだから、自業自得的な誤りを繰り返していると言われても仕方がないのではなかろうか。
人材採用の観点から考えると、日本の首相は、国民が雑に選んでいるのだから、長持ちしなくても仕方がないのだ。
首相公選制の問題点
では、米国の大統領選挙のように、首相を直接選挙で選ぶと問題は解決するのだろうか。
直接選挙だけでは、問題は、必ずしも解決しないし、かえって悪くなる可能性もあると筆者は考える。そう考える理由は、過去の、東京都知事や大阪府知事といった大人口の選挙区での首長選挙を見ているからだ。
大規模な知事選挙では、しばしば、圧倒的な知名度がないと勝負にならないし、知名度であらかたの勝負が付く。
先般の東京都知事選挙でも、元タレントとして知名度のある東国原前宮崎県知事の立候補が予定された中で、元神奈川県知事だった松沢氏の勝ち目がないと見られ、結局、現職の石原知事が出馬し、これに対して、ジャーナリストの池上彰氏が立候補しない(民主党が期待しただけだったと思われるが)と伝わった時点で、石原氏の勝ちが見えた(誤解があるかも知れないが、筆者からはそう見えた)。
また、過去の事例として、青島幸男元東京都知事や横山ノック元大阪府知事などは、知名度によって当選したが、自治体の首長として適切な能力や経験を持っていたようには思えない。
首相公選制の場合に、候補者を衆議院議員に限るとすると、単なる人気と知名度だけの候補者はかなり除外出来るかも知れないが、それでも、タレントの人気投票のような選挙になる可能性は否定できない。
首相を直接選ぶとしても、米国の大統領選挙のように、首相候補の資質が多面的に表れるような時間を掛けて選挙を行う必要はありそうだ。
もっとも、長期間にわたる米国の大統領選挙でも、大統領候補本人の資質が選挙参謀やスピーチ・ライターの手腕によって相当程度ごまかされることがあるし、候補者の能力よりは「親しみやすい性格」のような好イメージの有無によって白黒が決する傾向があるようなので、安心はできない。
せめて首相の能力に関わる情報公開を
直接選挙で首相を選ぶようにするためには、憲法の改正が必要だから、これは簡単ではない。
それよりも簡単で、日本の首相選びのプロセスの杜撰さをカバーできる試みは、首相候補の能力に関するデータを公開することではなかろうか。
たとえば、首相に立候補する候補者には全て、基礎的な知力に関するペーパーテスト、重要な幾つかの問題に関する小論文の試験を受けて貰い、この答案を全て公開する。また、これを踏まえて、公開の場で(現実的にはテレビで)グループディスカッション及び個々の候補者による政策及び公約に関する時間を区切ったプレゼンテーションを実施する。さらに、健康診断も受けさせて、このデータも公開する。
こうした公開情報を踏まえた上で、現在の憲法に定める手続きに則って、首相を決めたらいい。この際に、テストの何れの項目も、目的は、投票者及び国民に対する参考情報の公開であって、その点数の優劣によって直接当否を決めるものではなく、選抜において決定的な(いわゆる「足切り」のような)効果を持つべきものではないことを確認しておかなければなるまい。テストの目的は、直接的な選別ではなく、情報の採取・公開だ。
もちろん、テストは代理の効かない形で、入学試験並みに厳正に、個人の能力を問う形で行われなければならない。
現職の首相が立候補する場合には、再び同条件でテストを受けるべきだろう。FP(ファイナンシャルプランナー)のような資格でさえ継続教育が義務づけられているのだから、首相職に就こうとする人物が、そのたびに能力(健康を含む)を証明しようとするのはむしろ自然であり、当然のことだ。
一般に、一国の首相の健康や個人の能力に関する情報は国家のトップシークレットであるとされる。しかし、たとえば、首相の健康情報であれば、首相の重病を外国に知られることよりも、自国民が知らないことの方が遙かに拙いのではないだろうか。首相の病気を、外国の諜報担当者は知っていて、国民は知らない、といった状況こそが最悪だ。
たとえば、首相のTOEICの点数が低い場合、国民は、外交の舞台で首相がこれをどうカバーしているかに興味を持つだろうが、これは、適切な通訳者を複数用意するなど、十分な対策が採られているかどうかをチェックするきっかけにもなろう。
また、簡単な漢字が書けない首相候補は、他の資質が優れていれば、むしろ国民に親しまれるかも知れない(過去の首相がそうだったかどうかは分からないが)。
何れにせよ、国民は、自国の首相は何が苦手で何が得意かを知っておく方がいい。
首相候補の名前が挙がる度に、所詮政治家の仲間内ともいうべき政治評論家や記者クラブ・メディアのジャーナリストによる人物評が紙面を賑わすが、こうした情報は、過去において役に立たなかったし、むしろ有害だった。彼らは政治家と利害が近すぎる。
国民としては、全ての候補者が共通に受ける「首相テスト」の情報の方を知りたい。直接に投票できないのは残念だが、知力・体力・人格について堂々と等身大の能力を晒した政治家にこそ国のリーダーシップを託したい。
首相候補の政治家が、受験勉強まがいの試験対策に時間と労力を使うことに多少の弊害があるかも知れないが、国民にとっては、未来の首相候補に、不勉強で開き直られるよりも、勉強したり、鍛えたりして貰う方が何倍もましである。
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