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前原某も、仙谷某も、同じ事を言い出した。
「菅直人、鳩山由紀夫、小沢一郎三氏は、もういい」
「トロイカは、一線を退くべき」
「若い世代に譲るべき」
何としてでも『小沢』を処分したくてたまらない彼等の、テイのいいオタメゴカシ以外の何物でもない。
▶菅・鳩山・小沢トロイカ一線を退くべき…仙谷氏(讀賣見出し)
>仙谷氏は首相、鳩山前首相、小沢一郎元代表の「トロイカ」が一線を退くべきだとの考えを表明した。
>仙谷氏は次期代表選で野田財務相の擁立を検討しており、野田氏や、仙谷氏に近い前原氏、枝野官房長官らの世代による党運営を目指す意向を示したものだ。
>「恩讐を超える」ことにも言及し、小沢元代表を巡って続く党内対立に終止符を打つことにも意欲を示した。
【讀賣新聞/6月13日(月)8時39分配信】
「恩讐を超える」
こんな「美辞麗句」を使うのであれば、小沢氏にひれ伏すべきである。
それ以外に、何をどうしようと言うのか。
小沢一郎が、『トロイカ』の中で他の二人と<決定的に>違う事がある。
勿論、政治家としての『能力』の事では無い。
それは、「小沢がまだ何もしていない」と言う事だ。
存在感の薄い野党、に過ぎなかった『旧民主党』は、言ってみれば素人の「政治ごっこ」集団でしかなかった。
社民党からの参加者は「言うにや及ぶ」であるが、それ以外の『新党さきがけ』『市民リーグ』からの顔ぶれを見てみると、全く役立たずばかりである。
96年「旧民主党」結党時。
鳩山由紀夫
菅直人
仙谷由人
枝野幸男
小沢鋭仁
玄蕃光一郎
前原誠司
海江田万里
98年「新民主党」結党時。
岡田克也
原口一博
樽床伸二
それにしても、『松下政経塾』の多い事には、あきれさせられる。
これらの顔ぶれは、表に裏に、小沢を嫌って来た。
そして、その「嫌いな」小沢一郎の力で政権交代を成し遂げた。
それが、一段と気に喰わない。
彼等の胸の内は、政権を獲得した「喜び」と、自分達の力を過信する事で醸し出される「小沢への鬱陶しさ」、更に小沢の実力への「劣等感」と、それらが総て相乗効果をもたらしての『反感』である。
確かに、小沢の手法は分りにくかった。
新進党の解党や、自自公連立、果ては最近の福田総理との「大連立」騒ぎに至るまで、『剛腕』の異名はダテでは無かった。
その時々の「政治情勢」と、目指す政策実現の為に働く小沢独特の政治力学は、理解されにくい事は、確かである。
しかし、党内で事前に事細かに説明していては、「事は成し遂げられない」微妙な問題を、瞬時に決する必要が有り、正しい判断と即決力とが求められる。
政治は「数」である。
そして、政治は「数」だけでは無い。
しかし、得てして「陣笠代議士」程、自分を買いかぶる。
鋭敏な政治的嗅覚と判断力を持たない、平凡な議員蓮には、その「切り替え」のタイミングが理解出来ない。
従って、政権を握り、小沢を追い出した「現政権」の面々は、まともな事を何もやれなかったのだ。
そこが、「政治ごっこ」に堕してしまうと言う事だ。
そして、権力闘争に明け暮れる事になってしまう。
剛腕は、決して単なる「壊し屋」ではない。
新たな可能性を求めて、より目標達成に近い道を模索しての、離党、分党、解党であったのだ。
一国の政治は、真に「有能」なリーダーと、リーダーの理念を正確に理解して「行動」する、数を形成する議員達が、求められる。
往々にして、「真に」有能なリーダーなど居ないものだ。
そして、「数」の内に徹する事に自分の存在意義を見出せる議員は、なかなか居ないものだ。
取り敢えず、政治に向かう「理念」が確立して居なければばならない。
リーダーとして。
一陣笠として。
以前の自民党政治に於いては、リーダーが無能であろうが、理念が歪んでいようが、「官僚政治」に徹していた以上、問題は無かったと言える。
勿論、搾取される国民こそ「いい面の皮」であるが、少なくとも国政に「混乱」は起こりにくい。
しかし、民主党の理念は、「脱官僚政治」で有った筈だ。
国民に、選挙によって「審判」を受ける国会議員が、国政の責任を取る。
個人は責任を取る立場に無く、「組織」として利権を優先する「官僚」のやり方では、国民に目を向けた政治は、行われる事は無い。
その「自民党なるもの」を否定する所から、『民主党』の政権奪取行動はスタートした筈では無かったのか。
それを企画して、方向付けをして、理論武装して、実現の方策を立てたのが、小沢一郎であった。
結果としては、「小沢の独り相撲」に過ぎなかった訳だ。
政治家が「責任を取る」立場で政策を決定する。
政治家が「責任を取る」在り方で政策を遂行する。
これは、確かに能力と実行力と信念とを欠いた政治家に取っては、重すぎる事柄であろう。
本来ならば、そのような「不適格」な者が政治家になってはならないのだ。
しかし、現代の「政治家」とは、職業の一種であるらしい。
「塾」でシステムを学び、或は官僚として「高度な」手練手管を身につけ、もしくは親の看板かばんを引き継いで、政治家をめざす。
「名誉」と「権力」と「利権」と「自己満足」を追い求めての政治活動に終始する。
このような議員達に取っては、小沢は煙ったいに違いない。
しかし、待って欲しい。
民主党の議員諸君に問いたい。
貴殿らは、一体何を求めて現職に有るのか。
貴殿らを、現職に或らしめたのは、誰なのか。
貴殿らは、何を望まれて現職に有るのか。
いやしくも、『マニフェスト』を掲げて、選挙と言う戦に臨んだ筈である。
そして、国民はその「政党の約束」を吟味し、比較検討して、民主党を選んだんだ。
その結果が、諸君達をして、その職に在らしめて居るのだ。
忘れまいぞ。
そして、掲げた約束は「実行出来る」実行力を持っている事、という建前で諸君らは現職に有る。
その諸君達のリーダーに有るべき人物を、寄って集って卑しめて、拘束して、放り出そうとしている事の意味を、考えてみたまえ。
日本への損失を、考えてみたまえ。
国民は、「小沢一郎」の政策を選んだのだ。
決して「菅直人の政策」では無い。
ましてや、「仙谷」や「枝野」、ましてや「前原」如き「その器に有らざる」者共に、国民が与えた権力をもてあそんで欲しくはない。
小沢一郎が、政権交代を成し遂げた。
誰も否定出来ない、厳粛なる事実である。
小沢一郎は、自民党なるもの、「利権誘導政治」に反旗を翻して、離合集散を繰り返し、その時々のベター・チョイスを求めながら苦難の道を、切り開いて来た。
国民の大半は、自民党政治に諦めを抱き、政治に希望をなくし、「主権国家」の主権を構成する国民である実感を、無くしかけていた。
その前に、小沢が「可能性」と「希望」とを提示してみせた。
民主党議委員各位に敢えて求める。
日本と言う、民主主義が未成熟の国に有って、いわば国民の最後の砦、一縷の望みであった「政権交代」の<重み>を理解しなければならない。
そして、国民が求めた方向に政治の舵を切る為に、担当能力の有るリーダーを否定してはならない。
「恩讐を超える」
もし、本当に心の底からこんな言葉が出て来るのであれば、国民は悲観したりしない。
あくまで、個人的怨嗟と嫉妬、妬みや嫉みで国政を弄んで居る事が、あまりにも見え透いているから「悲嘆にくれて」居るのだ。
心して、聞いて欲しい。
小沢一郎は、政治的展望をしっかりと持っている。
今こそ、震災の爪痕に苦しみ、原発事故の終息に全く展望が持てないでいる、今この時こそ、正しい指標を示し、その方角へと国民を導けるリーダーが必要である。
菅直人、鳩山由紀夫と、小沢一郎を「同列に」扱ってはならない。
政治観、国家観、世界観、実行力が、違う。
そして、彼は未だに「総理大臣」になっていない。
鳩山がダメだった。
菅もダメだ。
だから「トロイカ」は身を引くべし、などと言うオタメゴカシは、権謀術数に励み、己が権力の座を射止めたい「政治屋」の詭弁である。
小沢一郎に、チャンスを与えるべし。
来る「両院議員総会」で、菅直人政権の閣僚達と、党執行部を解任すべし。
「臨時代表」を決め、小沢とその他「離党処分」と「議員資格停止処分」にされた同士達の、措置を解除すべし。
松木兼行、田中真紀子、内山晃、岡島一正、太田和美、笠原多見子、川島智太郎、三輪信昭の名誉を回復せよ。
そして、その臨時代表によって「公正な」代表選挙を行え。
民主党議員は、菅直人政権のメンバーを除いて、打って一丸となって「救国内閣」を組織出来る人物を、代表に選出せよ。
諸君の「見識」が問われている。
小沢一郎は、一度も仕事をさせてもらってないのだ。
小沢一郎に、仕事をさせよう。
国民は、心の底からそう願っている。
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