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復興、税へ執念を燃やす菅首相 歴代首相「残りの日々」の過ごし方は…
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110613/stt11061306080000-n1.htm
2011.6.13 06:04 産経新聞
歴代首相は退陣表明から実際に退くまでの間、外交など政策の成果獲得に専念したり、後継選びに関わって退任後の影響力確保に躍起となるなど「残りの日々」の過ごし方はさまざま。菅直人首相は震災復興や社会保障と税の一体改革に道筋をつけることに執念を燃やす。思い通りの花道を飾れるか。
■「駆け込み」外交
菅首相と同様に党内の造反が退陣へとつながったのは森喜朗元首相のケース。自民党の加藤紘一元幹事長が内閣不信任決議案に同調する動きを見せた「加藤の乱」はしのいだものの、政権の弱体化は避けられず支持率も1桁台に落ち込んだ。
しかし、森氏は2001年3月に事実上の退陣を表明した後、当時のジョージ・ブッシュ米大統領との会談のため訪米したほか、ロシアではウラジーミル・プーチン大統領との間で北方領土をめぐる「イルクーツク声明」を発表。後任の小泉純一郎氏と交代するまでの約1カ月半、「駆け込み」で外交を展開した。
■余裕の後継選び
小泉元首相は06年9月の自民党総裁任期満了に合わせた退陣を1年半以上前に公言するという型破りなスタイルだった。05年9月の郵政選挙で圧勝すると、内閣改造で安倍晋三氏ら次期首相候補を重要ポストに充てて競わせた。
後継レースに影響力を発揮できたのも、世論の支持を追い風にした余裕の政権運営があったからこそだ。
退任3カ月前の訪米では、大ファンのエルビス・プレスリーの歌マネをするはしゃぎぶりで「卒業旅行」とやゆされるおまけもついた。
一方、小泉氏とは対照的に後継選びで思い通りにいかなかったのが竹下登元首相だ。リクルート事件で1989年4月に退陣表明した後、クリーンなイメージの伊東正義氏を担ぎ出そうとしたが失敗。派閥力学で選ばれた宇野宗佑元首相に政権を引き継ぐ不本意な結果に終わった。
■「つぶやき」あだに
細川護煕元首相は突然の退陣を余儀なくされた。佐川急便からの借金疑惑をめぐり国会が空転する最中の94年4月、知人との会食で不用意に「辞めたい」と漏らしたことが知れ渡った。3日後には正式な退陣表明を余儀なくされ、残りの在任約20日間は完全な死に体となった。
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