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【安藤慶太が斬る】
かなりトホホなモラルハザード 菅首相退陣騒動に見る辟易感
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110612/plc11061212010003-n1.htm
2011.6.12 12:00 産経新聞
東日本大震災は発生から3カ月が過ぎた。当欄もお休みをいただいていたが、今日から再開させたい。
政局が激しさを増している。そこで今回、取り上げようと思うのは菅直人首相である。
菅首相は現状に平気なのだろうか。こんなことって許されるのだろうか。民主党の政治家たちはこんなやりかたを是として済ませるのだろうか。済ませられるのだろうか。
出処進退は自分で決める。これがあるべき姿だとは私も考えている。
不祥事をめぐって政治家が周囲から執拗(しつよう)に追及される場面を今まで何度も見てきた。辞任をうながされる場面だって珍しくないし、菅首相は野党時代、辞任をうながす急先鋒(せんぽう)の政治家のひとりだったと思う。
こうした追及の際、政治家はどういうことを考えるものなのだろう。
自分が肩書にしがみついていないか。それとも自分の身の潔白、正当性を訴え続けるべきか。こうしたことは考えるに違いない。
倒れる場合でも前のめりでありたい。そう願う人もいるだろう。一言も言い訳をせずに黙って周囲の非を丸ごと背負って辞めていく場合だってあるだろう。自分を支えてくれた人、自分を信じてくれた人に申し訳ないという場合だってあるに違いない。
いずれにしてもどんな窮地に陥った場合でも、最終的な最後の決断だけは自分に委ね、自分で決めるべきである。それが正しい在り方だ、というのが「出処進退は自分で決めるべき」という考え方だ。ただ、これには別の意味も込められていて、一度口にしたが最後、取り消せないから自分でしっかり考えて後で後ろ指を刺されないようにしなさいよ、恥ずかしくない判断をしなさいよ、という意味でもある。
その意味で菅首相は自分の言ったこと、やったことが何を意味するのか、しっかり今一度、考えてほしいと思う。今に至るも、8月までの続投話が出てくる。信じられない思いだ。
歴代の首相を振り返ってみると、哀れな退陣劇はこれまでもあった。が、菅氏の場合、かなりいただけない。突出して見苦しいのである。
■信じられない朝令暮改
民主党代議士会での演説で辞意を表明し、それを受けて民主党の政治家たちは不信任案の否決に回った。のど元過ぎれば熱さ忘れるということなのだろうか。その後の夜の記者会見で、菅氏は直ちに辞めない旨、明言した。
朝令暮改である。ほとんど国民へのだまし討ちに等しい光景だった。
「こんなのありかよ!」 「政治や自分たちを愚弄するものだ!」
「菅氏は政権にしがみついている!」
素直に誰もがこういう確信を抱いたに違いない。
私が思ったのはこのままでは菅首相の話などいずれ誰からも相手にされなくなるのではないかという危惧だった。最悪で醜い出処進退だといわざるを得ない。国民があきれた後になって「政権にしがみつくつもりはない」などと打ち消しに走っていたが、もはや躍起になればなるほど、逆効果というものである。
■自分の組織に火を投げ入れるトップの不見識
菅首相が民主党の代議士会で口にした発言は次のようなものだ。
「震災対策、原発対策に一定のめどが立った段階で若い世代に責任を引き継いでいきたい」
まず注意をうながしたいのは、菅氏は辞任の時期をきちんと明言しなかった点だ。
「一定のめど」とはどういう状態を指すのか、ちっとも分からない。原発の収束に一定のめどといったら、明日かもしれないし、10年以上かかるかもしれない。
要は何も言っていないに等しいのだ。普通は退陣表明と取るが、本人にとっては「非退陣表明」のつもりだったかもしれないのである。
菅氏に限らず、民主党の方々は、この手のどうにでも評価でき、後でどうにでも言い逃れが可能な言辞を弄ぶ場面が多すぎる。
あんな発言をしてしまえば、世の中の次なる関心はほぼ全て「いつ菅首相は辞めるのか」という一点に向けられる。
言い逃れが許されない問題というのは存在する。口にしてしまった以上、取り消せない問題がこの世の中にはある。そのひとつがこの手の出処進退だと思う。政治家の言葉は重いのである。
「一定のめど」などという曖昧模糊とした辞任条件を打ち出してしまえば、普通は組織に火をもたらす。だから普通は迂闊(うかつ)にそうした発言はやらないものである。首相自身にどれだけそうした深い洞察があったのだろうか。疑問である。
■密約で首相の身分を縛る元首相
実際、民主党内は菅首相の発言に右往左往した。鳩山由紀夫元首相にいたっては(自分の迂闊さや不見識は棚に上げて)「ウソだ」「ペテン師だ」と菅首相を難じはじめた。
確かに混乱の発端は「一定のめど」発言にあるし、一義的な責任は菅首相にあると思う。それは間違いない。
ただ、見逃すべきでないのは菅首相も菅首相なら、鳩山氏も鳩山氏であるという点だ。そもそも一国の首相の身分をあんな変な密約を持ち出して制約を試みること自体、首相経験者としては不見識であると私は思う。サインをさせなかったのが政治家として甘いという批判もあった。
確かに「甘い」と思うが、甘いで済ませる話ではない。あんな密約を持ちかける感覚から狂っているのだ。一体、自分で首相を務めていながら首相という職責をどう考えているのだろう。
甘さをいうなら、鳩山氏だけが甘かったのではない。いつ辞めるのか、かなり怪しいまま、民主党はこぞって不信任案の否決に動いた。肝心の点を曖昧にしたまま、それで平気な民主党の面々は、国民の負託を忘れている証拠であり、鳩山氏と同様、相当、迂闊で甘いと思う。
鳩山氏は菅首相の辞任の時期を6月中と言って批判を強めている。しかし、その当の鳩山氏自身が、次期衆院選には出馬しないとかつて語っていた。それを反故(ほご)にしていて、そのことをうやむやにしている。オバマ米大統領に「トラスト・ミー」といったが、その約束は果たしたのか、とも思う。
民主党のツートップ2人に共通するのは言葉をきちんと定義しないで思わせぶりな言葉遣いを弄ぶ病弊である。先ほども述べたが、この病弊は2人だけではない。民主党の政治光景を眺めているとこうした光景があまりに多すぎる。
■無秩序で場当たり
民主党政治を評して「お子ちゃまサッカーチームのようである」と評する表現があった。みんな勝とうと真剣なのだが、ボールが転がったところへ皆が無秩序・場当たり的に群がる。肝心の自分本来の役割を忘れてしまうというわけだ。チームプレーも何もあったものではない。その象徴的な存在が菅首相だというわけだ。
「最少不幸社会」もそうだった。「理不尽を正す政治」も然りだ。「新しい公共」も同じである。どれも響きは良いが、定義がきちんと詰められていない漠とした言葉である。鳩山氏の「東シナ海を友愛の海に」なども同じで、在日米軍について大風呂敷を広げて沖縄県民を惑わしたことにも通じる感覚だ。
在日米軍については「学べば学ぶにつけ、海兵隊のみならず沖縄の米軍が連携して抑止力を維持していると分かった」と言ってみたと思えば後になって「辺野古に戻らざるを得ない苦しい中で理屈付けしなければならず、考えあぐねて『抑止力』という言葉を使った。方便と言われれば方便だった」。こう平気でいえるのも鳩山氏ならではの感覚である。
■高校無償化だって…
朝鮮学校への高校無償化適用にも通じる話だ。北朝鮮による砲撃事件で「わが国など北東アジアの平和と安全を損なう事態であり、国を挙げて情報の収集に努めた。不測の事態に備えた緊急の対応で、総理の指示で手続きを停止した」といって、無償化の手続きに急ブレーキをかけたのである。
それまで文科省は外交上の判断で無償化の適用の是非判断はしないという立場だった。「不測の事態に備えた緊急の対応」というのは「わが国や国際社会にとって全く予想できない砲撃だった。わが国の平和と安全、まさに国家の存立を脅かす、そういう事態だった」。いつも彼らは場当たり的な対応を繰り返す。
自分で自分たちの使う言葉がどう波及し、何を意味するのかを深く考えずに発言する。そして、その後の状況に応じて発言をコロコロはばからずに変えていくのだ。
菅首相は自分の意気込みや思いが十分に国民に理解されていないことに憤っているらしい。「なぜ分かってくれないのか」と気持ちが萎えることもあるそうだ。為政者の孤独の吐露といえば、そういう話なのかもしれないが、菅首相の場合、責任の一端は、間違いなく自分の言辞にある。
■尖閣に注目しよう
ところで今週は尖閣諸島に注目である。防衛省によれば、中国海軍のミサイル駆逐艦や潜水艦救難艦など計11隻が沖縄本島と宮古島の間を通過したそうで、外務省は「公海上で国際法上問題はない」として抗議しない方針というのだ。一体、この問題がどう推移するか。注目している。
とりわけ焦点は、菅首相はじめ、民主党の対応だと思う。
中国にすれば菅首相、民主党の政権が続くうちにできる限りのことをやっておこう、今が最大のチャンスだと考えているはずである。何をやっても菅首相はじめ民主党の面々は毅然(きぜん)とした対応を取らないからである。
中国だけではない。韓国もそう考えているだろう。北方領土に初めて韓国の国会議員が訪問したさい、韓国からは李明博大統領が訪日していた。菅首相は被災地に出向き、サクランボを食べるパフォーマンスに興じていた。本来なら断固、李大統領に抗議すべきだった。抗議しないから、それが「ここまでは大丈夫なのか」というメッセージとなっていくのだ。どこかでバシっとやらないと、断ち切れないはずなのに、それができずにいる。
ロシアも然りである。要は日本は民主党政権発足後、完全になめられているのだ。ところが、当の当事者が自分がなめられていることを直視していない、もしくは自分がばかにされていることに気づかない。尖閣が竹島にならないことを祈るばかりである。(社会部編集委員 安藤慶太)
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