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「朝日ジャーナル」の商標で売っているが、表紙の但し書きにあるように、これは週刊朝日の緊急増刊号であり、昔の朝日ジャーナルとは全く中身が違う。朝日新聞は、マーケティングの論理と思惑で雑誌商品(AERA・週朝・朝ジャ)をセグメントしていて、要するに市場的動機が突出した商売品であり、ジャーナリズムとしては中途半端でお粗末な内容になっている。人をバカにした「朝日ジャーナル」だ。驚いたのは、巻頭言と編集後記に書かれている言葉で、これを見ると、この商品を企画した編集部の正体がよくわかる。巻末(P.146)の短い編集後記には、編集キャップの署名で、「原発は『賛成』『反対』の二元論だけで語れません」とある。脱力させられる。巻頭言(P.3)の「風速計」を読むと、編集長の河畠大四が、「人類は、原子力という割安でエコな『夢のエネルギー』を手に入れた」と書いている。朝日ジャーナルの編集長が、原発の電力生産を低コストでエコだと認識していて、その認識を原発事故の特集号で堂々と垂れているのである。唖然とさせられるのは私だけだろうか。この編集長は、原発についてどれほど本を読んで勉強し、基礎知識を仕入れているのだろうか。この編集部なら当然かと頷けるが、号中に唯一ある対談記事に、何と山下俊一を登場させ、20ミリシーベルト基準値の正当性を存分に言わせている。この対談記事にも腰を抜かす。
大越健介のNW9の原発報道の姿勢と全く同じだ。大越健介の場合は、公共放送という中立の立場表象を利用して、原発反対論に「イデオロギー」だの「原理主義」だののレッテルを貼りつけて印象操作し、脱原発の世論が広がらないように情報工作していて、つまり自覚した原発推進派の工作員であり、官僚と経団連の一味なのだが、朝日ジャーナルの編集部の面々は少し違う。この編集キャップが、原発は「賛成」「反対」の二元論では語れないと言うとき、その思想的な根拠や淵源は、おそらく脱構築主義に由来するものだろう。東京の出版社などの連中は、ほとんどこのスタイルの発想と議論であり、「右でも左でもない」という立ち位置と、「二項対立の時代ではない」という常套句で結論すれば、それが万能の説得力として機能し妥当すると信じ込んでいる。大学でそう教育されて社会に出た者が多い。要するに脱イデオロギーの思想であり、その場合のイデオロギーとは、社会主義でありマルクス主義であり、それ以外は指さない。脱構築とは、脱近代主義であり、脱マルクス主義であり、それらを「古いもの」として無意味と決めつけ、拒否し離脱する思想である。つまるところ、こうした思想性というのは、属性的かつ機能的に、大越健介的な政治の情報工作にそのまま絡め取られるのであり、頷いて靡くのであり、そのため、大越健介と同じ結論に収斂するのだ。
この朝日ジャーナルの中途半端な姿勢や不審な知的レベルに較べれば、5月号の「読者へ」と題した上から目線の巻頭言で、「本誌は、原発について(中略)長年にわたって批判してきました」と言い、「私たちの主張が、原発政策を変えるほどの力をなぜ持てなかったのか、慚愧の念をもって振りかえざるを得ません」と言っている岩波の「世界」の方が、まだ脱原発の姿勢を明確にしていて、読者としては納得ができる。但し、ここでも不興な限定を入れなければならないが、「世界」は、脱原発を明瞭に宣言し、編集方針に据えながら、原発推進派であり、経産省の「原子力立国計画」を纏めた中心人物である寺島実郎をレギュラーとして抱えるという矛盾と欺瞞を続けていて、その脱原発がどこまで本気なのかは信用できない。これほどの事故に遭いながら、未だに国論を脱原発に定められず、政府の政策をそこへ変えられないのは、報道や言論の腰が据わってないからであり、「朝日ジャーナル」の看板で売っている雑誌の編集者が、「原発は『賛成』『反対』の二元論では語れない」などとヘタレを言っているからである。フクシマを経験したわれわれが、原発に対して「賛成」という立場があるのだろうか。米国人や中国人ならいざ知らず、深刻化する悲劇と恐怖の渦中にある日本人の一般市民が、「原発賛成」の選択をするということを、どのような理由や根拠で正当化できるのだろうか。
この号の中で、印象深かった論稿は、元慶大助教授で、広瀬隆や石橋克彦らと一緒に勉強会を続け、脱原発の運動を続けてきた物理学者の藤田祐幸のものである。題は、「裏切られたヒロシマとナガサキ」。三浦半島に住んでいた藤田祐幸は、浜岡原発に地震と津波が直撃する事態に恐怖し、定年を1年半残して退職、2007年春に長崎県西海市の田舎に移り住む。1942年生まれで、広瀬隆や石橋克彦や田中三彦と同世代である。退職前の肩書きが「助教授」となっているところを見ると、やはりと言うか、小出裕章と同じ冷や飯の不遇を強いられた事情が窺い知れる。藤田祐幸は次のように書いている。「戦後の被曝影響評価の土台になったのは、占領軍が被爆地日本に設立したABCC(原爆障害調査委員会)の膨大な資料であった。彼らは、原爆被曝者たちを、治療するのではなく、放射線影響の観察の素材として扱った。(中略)80年には影響評価の基礎になっていた被曝者たちの被曝線量の見積もりに誤りがあったことが明らかとなり、なおいっそう被曝限度は切り下げられ、年間1ミリシーベルトを限度とするよう定められた。(中略)この広島・長崎の被曝者たちの命と引き換えに定められた基準を、緊急時であるという、ただそれだけの理由で打ち捨てる被爆国日本の政府の態度は、ヒロシマ・ナガサキの被曝者たちの痛恨の人生を裏切る、許されざる行為であると言わざるを得ない」(P.27)。
この夏、8月になると慰霊の季節になり、8/6を前にNHKが原爆の歴史について週末に報道特集を組む。おそらく、今年は放射能汚染と内部被曝に焦点が当てられ、被曝者の苦しみが描かれた番組になることは察するに難くない。皮肉と言うべきか、ちょうど、この頃が夏の電力消費のピークであり、電力会社と経産省が計画停電の謀略を仕掛けてくるタイミングと重なる。この藤田祐幸の正論は、情報としてネットでは浸透しているけれど、事故以来、日本のマスコミでは一度も報道で取り上げられたことがない。田中好子が死んだときでさえ、この厳粛な歴史的事実を指摘した者は一人もいなかった。ワイドショーの評論家たちは、「今、テレビで『黒い雨』を放送するのは、時節がら考えて難しいでしょうね」などと、それが常識的なコメントのように言っていた。私は、この感覚が信じられない。慰霊の季節になれば、NW9の大越健介も、神妙な面持ちを演技して、広島・長崎の被曝者の歴史に触れ、放射能の恐ろしさに多少とも言及せざるを得ないだろう。けれども、そのセレモニーが終わるや否や、NHKは豹変し、電力需要を賄うためには原発は必須だと騒ぎ、原発とどう折り合うかが国民の課題だなどと話をスリ替え、原発容認に世論を誘導して、原子力産業を生き残らせ、利権村を焼け太りさせる方向へ仕向けるのである。反原発の世論は、浜岡停止の後、マスコミの情報工作で切り崩しを受け、徐々にモメンタムを失っている。
広瀬隆は、火力と水力を合わせた電力能力が、電力需要のピークを賄うに十分な設備余裕がある点を繰り返し、さらにGTCC(ガス・タービン・コンバインド・サイクル)が次の電力エネルギーの本命であることを言い、現実論で原発必要論を論破する持論を述べている。これでいい。石橋克彦の「『原発震災』を繰り返さないために」も、正論で説得力がある。石橋克彦の文章を読んでいると、あらためて地震の問題が意識に上る。余震が続いていた4月の頃を思い出す。われわれが、当時の恐怖を忘れ始めていることに気づく。3・11が過去の出来事になり、現在が、震災からの復興と原発事故の収束が続いている安全な時間帯だと思ってしまっている。3か月経ち、次の大地震が来るという危機感が消えている。浜岡原発を停止させたからといって、東南海地震が遠のいたということではないのだ。列島周辺の地震活動は活発になっていて、石橋克彦の言う「大地動乱の時代」に入っている。太平洋プレートの地殻変動は続いていて、周辺で「歴史上未曾有の大地震」が発生する確率はきわめて高い。来年はフィリピンかもしれないし、千島列島かもしれないし、アリューシャン列島かもしれない。日本列島で再発するかもしれない。東日本大震災を超える規模の大地震が、5年以内、10年以内に起きておかしくないのだ。それを考えると、地震対策は十分で安全だからと言い、原発を3か月後に運転再開させるという政府判断が、どれほど異常で狂気の沙汰であることか。
不満なのは、並べられた諸氏の議論の中で、政治の問題を提起したものがないことである。原発の戦後政治史を書いたものがない。高橋哲哉は、この事故について丸山真男の「無責任の体系」を用いて批判する。その通りだが、それだけでは一般論であり、原発問題の思想的分析として不十分で展望に繋がらない。「無責任の体系」は過去からあったものだが、これほど甚だしい惨状は最近のことだ。具体的には、80年代は、未だ広瀬隆がテレビの討論番組に登場し、原発賛成派と反対派が相互に主張を噛み合わせて論戦する場面があったのである。なぜ、当時はそういうことが可能だったのか。なぜ、現在はそれができず、反原発はマスコミで異端で論外の扱いを受けるのか。それを政治の問題として捉える視角を持った論者がいない。長谷川公一もそうだし、明石昇二郎もそうである。マスコミ批判をするのだが、どうしてマスコミがここまで腐敗したのかを解明しようとしない。政治の構図と勢力関係から説き起こす論を提出しない。原発の存否が、ずっと左右の政策上の対立軸であり続けた政治史に触れない。早い話が、社民党と共産党が選挙で過半数を取れば、日本のエネルギー政策は脱原発で決まりではないか。80年代後半、反原発の言論が勢力を得ていたのは、単にチェルノブイリの事故があったからだけではない。そうした言論を媒介する政治の環境があったからだ。政治の構図と力関係が変わり、90年代以降、マスコミ報道と世論の中で、反原発の言論は異端化され、排斥されたのである。
当時の日本は、地球の裏側のチェルノブイリの事故でさえ、あれほどナーバスに(正当に)反応し、真面目に国民的議論をする態度を持っていた。今、福島でチェルイノブイリと同レベルの事故が起きているのに、テレビは反原発の論者を出さず、政府は原発の再稼働に踏み切ると平然と言い、大越健介が嬉々として原発の必要性を説教し、国民は指をくわえてそれを見ている。
http://critic5.exblog.jp/15731560/
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